アメリカのおいしい生活
12月
6日月曜日

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  #43  安全な社会
 
 

 十一月最後の週末、サンクスギビングの休暇を利用してサンディエゴに行った。メキシコとの国境に近い街だ。青い空に椰子の木。飛行機で二時間ぽっち南へ飛んだだけなのに、針葉樹が雨でびしょびしょ濡れているポートランド・オレゴンとは気候も風景も大違いであった。
 ビーチにも行ったし(泳げる季節ではなかったけれど)、八百種類、四千頭以上の動物がいるという動物園にも行った。三日目にシーワールドに行くか、それとも、サンディエゴから百四十マイルのパームスプリングスまでドライブするか迷い、夫の希望で後者を選んだ。「なんか行ってみたい」という、なんとも曖昧な理由により。
 パームスプリングスは、砂漠の真ん中に作られたリゾートなのだった。ゴルフ場が有名らしい。風がびゅうびゅう吹いて寒いなあと思ったら、すぐそばに林立する風力発電用の巨大な風車がぐるぐる回っていた。
 知り合いに教えてもらったフレンチレストランで昼食を取ることにした。駐車場はバレーパーキング(係員に車を停めてもらう有料サービス)のみ。停まっている車は、メルセデスにジャガー、フェラーリにベントレーの新しいクーペ(十五万ドルくらいするヤツ)などなど、高級車ばかり。案内されたパティオは、うっそうと生い茂った木が美しく、強い日差しを防いでくれる。通りに面した部分には風除けの工夫がこらされ、頭上にはヒーターが。屋外のオープンさを楽しみつつ、快適さは限りなく室内に近い。
 席に座るや、「シャンパンはいかが?」と、ウェイターが歌うように言って、フルートグラスに泡のはじける酒を注ぐ。小さな黒板に白いチョークで書かれたメニューには、値段が書かれていない。パティオの席の七割がたを埋める客は年配が多く、みんな余裕がありそうな感じの人ばかり。黄色いセーターを着たフレンチなまりのおじさんが握手を求めてきた。シャンパンを飲みすぎてちょっと羽目をはずしているおっちゃんかと思って適当にあしらったら、店のオーナーが挨拶に来たのであった。
 アンディーブに洋ナシ、スティルトンチーズのサラダ、ラムの腰肉のロースト、そしてデザートにチョコレートムースのケーキ。雰囲気は抜群だし、料理はどれも悪くないし、シャンパンはどんどん注いでくれるし。これでウチの赤ん坊がむずからなかったら、最高のランチであった。びくびくしていたお勘定も、思ったよりリーズナブルでほっとしたし。
 機嫌よくレストランをあとにしたわけだが、街の外に広がる埃っぽい山を見たらシャンパンの酔いも醒めてしまった。砂漠の真ん中でフレンチとはなんとも酔狂な。なにもしなければ草ひとつ生えないような場所なのである。そんなところの、外にいるのに外でないように工夫された中庭での優雅なひととき。贅沢といえば贅沢だし、悪趣味といえばちと悪趣味。
 帰りの高速道路に至るまでの道には、ショッピングセンターがたくさんあった。マクドナルド、ウェンディーズ、ホームデポ、スターバックス……。どこにでもある巨大チェーンストアばかりで、目新しい店はひとつもない。いまのアメリカは、どこに行っても、

金太郎飴みたいに同じ

店があるばかり。これも相当に悪趣味な話である。シーワールドに行ってイルカを見たほうがよかったかな、とちょっぴり後悔した。
 
 旅行のあいだずっと気になっていたし、いまも気になっているのは、日本で起きた誘拐殺人事件だ。被害者は小学校一年生の女の子。胸がつぶれる思いがする。
 下校途中に連れ去られたと聞く。子供がひとりで歩いても安全なのが日本だと思っていたが、もはやそんな時代ではないのかもしれない。
 アメリカでは、ほとんどの子供は学校まで歩いていかない。親が車で送り迎えするか、あるいはスクールバスに乗る。子供の肥満が増えているそうだし、車なんか乗らずに歩け、と思ったりもするのだが、校区が広いこともあり、また、車中心の社会だから道路に歩行者用のスペースがないこともあり、仕方がなさそうだ。もちろん、性犯罪や誘拐の危険だってある。登下校だけでなく、子供らだけで外で遊んでいる姿というのはほとんど見かけない。プレイデートの約束をした友だちの家まで、親に車で送ってもらうのだ。
 こういうのを見聞きするたびに、「アメリカだな」と鼻で笑っていたものだが、最近の日本の子供を取り巻く物騒な状況を考えると、日本も早晩同じようなことになりそうだ。日本のよさが、またひとつなくなる。
 私が子供のころは、歩いて学校に行くのは当たり前であった。たいていは友だちと連れ立って歩いたが、ひとりのときもあった。文房具屋に寄って下敷きだの消しゴムだのを買ったり(店のおばさんはカツラだというもっぱらのうわさであった)、空き地の花を摘んだり、チャックつきの運動着を脱ぐときに眉間につけた傷を見た床屋のおじさんに「よっ、旗本退屈男!」なんてからかわれたり。
 そろばん教室からの帰り、バス停からの暗い通りをひとりで歩いたりもした。星空を見上げたり、切れかかった街灯がちらちらしているのがなんだか怖くて走り出したり、団地の階段の真ん中にとまっていた大きな蛾をまたげなくてしばらく見ていたり。いま思えば懐かしく、こういうひとりの時間が子供には必要だ、と思う。が、一方では、子供にいたずらをしようという輩にとっては格好のターゲットにもなり得たわけだ。アメリカでなら、夜道を小学生ひとりで歩かせたりしようものなら、「子供を危険にさらした」と、親は即刻逮捕モノである。
 逮捕モノといえば、私がまだ赤ん坊だったころに、こんなことがあったそうだ。母が、当時住んでいた社宅の共同トイレを掃除中、外の砂場で遊んでいた私がいなくなった。パンツ一丁に黄色い長靴といういでたち。母はそうとう肝をつぶしたらしい(そりゃそうだ)。結局、数百メートル離れた、けっこう車の通りの激しい道を歩いていたところを偶然知り合いに発見されて事なきを得たそうだが、これもいまのアメリカだったら後ろに手が回るばかりでなく、「こんな無責任な親に子供は育てられない」と、子供を施設に送られてしまうだろう。
 さすがにこんなのどかな話はいまどきの日本ではないと思うが、それでも子供の安全となるとアメリカとは意識に多少のずれがあって、日本の感覚をそのままアメリカに持ち込むと、ちょっとした騒ぎになりかねない。
 よく聞くのは、車に子供を残したまま用を足しにいった日本人の親が、警察に通報されるというケース。小さい子供だけの留守番も同様に通報される。「子供が寝てたから」とか「ちょっと買い物をするだけだったから」という言い訳は通用しない。
 また、子供を車に乗せるときにはベビーシート、チャイルドシートは「絶対」である。出産後退院するときには、ナースが車まで来てベビーシートを確認する。シートがついていなければ退院させないきまりなのだ。これらのシート類は日本でも定着してきたようだが、半年ほどまえに日本に帰省した折には、助手席に子供を抱いた母親の姿をずいぶんと見かけて(しかも高速道路で!)ハラハラしたものだ。
 ところで、子供の安全について考えるとき、思い出す話がある。デンマークでは、スーパーで買い物をしたり、レストランで食事をしたりするときには、店の外にベビーカーを置いていくのが普通なのだそうだ。赤ん坊が入ったままのベビーカーである。
 デンマーク人の友人、アンにそう聞いたときには思わず「ウソー」とのけぞったが、本当なのだった。その話を聞いてしばらくして、ニューヨークでこんな事件が起きた。
 デンマークから遊びに来ていた女性が、生後十四カ月の赤ん坊を乗せたベビーカーをイーストヴィレッジのレストランの外に置いたまま食事していて逮捕されたのだ。その女性は、普段やっていることをやっただけなのに、と、騒ぎになったことにいたく驚いたらしい。

ニューヨークのど真ん中に

赤ん坊を置き去りにした(ほんとうに置き去りにしたのではないのだが)母親の出現にアメリカ人もびっくりしたようで、当時、けっこうなニュースになった。
 アンは、「ほらねー」と、自分の言ったことが正しかったことに誇らしげであった。デンマーク人にしてみれば、安心して子供を外に置いておけないアメリカ社会のほうが「どうかしている」ということなのだった。
 しかし、笑ってしまったのは、アンもその夫も、ガレージに入れた車に鍵をかけること。自分の家の、しかもシャッターが閉まるガレージに停めた車である。なんでそんなところでまで車をロックするのか、と尋ねると、
「車は貴重だから」
 という答えが返ってきた。デンマークでは課される税金が高いために、車は非常に高価である。ゆえに、車泥棒が多い。アメリカに暮らしていても、ついデンマークにいたときの癖で、車を盗まれないように細心の注意を払ってしまうのだそうだ。
 こんな話をしていたのは七年ほどまえのこと。いまでもデンマークではなんの気兼ねもなく赤ん坊入りベビーカーを外に置いておけることを願う。日本も、子供がひとりで歩いても安全な社会であり続けるといいのだが。

 
 
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