アメリカのおいしい生活
1月
10日月曜日

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  #45  今年のクリスマス計画
 
 

 年が明けて、十一月末のサンクスギビングあたりから延々続いたホリデー気分もようやく終わり。ツリーも電飾も片付けられて、あっけないくらいにさっぱりと日常に戻った。
 クリスマスプレゼントのやり取りに頭を悩ませる日々が終わって、心の底からホッとしている。この界隈、十二軒ほどのご近所さんたちとのお付き合いである。
 たとえばいっそのこと、「十ドルくらいのものを交換し合う」という決まりがあれば気が楽だが、実際には、すごく気合の入っているお宅から、なにもしないお宅、プレゼントを贈らない代わりにパーティーを開くお宅、前回はプレゼントをくれたのに今回はなしのお宅、逆に前回はなしだったのに今シーズンはありのお宅……いろいろあるので、我が家としてもどう出たものか、と悩むのだ。
 気合ナンバーワンは、なんといっても、カレンのところ。四角いガラスの花瓶にクリスマスらしい色合いのフラワーアレンジメントをほどこしたものと、それからウチの赤ん坊にと、小さなスヌーピーのぬいぐるみとアルファベットの学習カードみたいなのを両手に抱えてやってきた。
 赤ん坊を抱いて玄関を開けた私は手がふさがっていて、カレンからのプレゼントを受け取ることができない。
「どこに置く?」
 えっと、えっと、と私が言っている間に、ささっと靴を脱いだカレンは、「ここ? あそこ?」とウチのなかをうろうろしている。アメリカ人は、こちらがちょっとした用事で訪ねていったときにも「さあ、上がって」と気安く家のなかに招き入れるが、彼らがこちらの家に来たときにも、同じようにずんずん入ってくるので私はいまだに面食らう。そういう人の家はたいていいつもキレイにしてあって、そしてそういう人が来たときには、きまってウチのなかは散らかっているものなのだ。買い物してきたばかりのモノが散乱しているうえに、クリスマスプレゼントをラッピング中でしっちゃかめっちゃかのキッチンにカレンが行かないよう、なんとかリビングに押しとどめる。
「忙しい時間にごめんなさいね。お邪魔よね。ホントは電話してから来なくちゃいけないんだけど、明かりがついているのを見たら、『いま!』と思って。クリスマスはどうするの? なにか特別な計画はあるの? ウチはね、二十二日からスキーに行くのよ」
 真っ赤なコートに黒のパンツのカレンは、高い声でひとしきり話して帰っていった。私は、まるで巨大スクリーンで万華鏡を見せられたあとみたいに呆けてしまった。プレゼントには、きれいな筆記体でメッセージが書かれたカードが赤いリボンで結わえ付けられていた。フルタイムで働いているというのに、カレンのこの行き届きぶりはどういうことなのだろう。

クリスマスにかける意気込み

が、もうまるで違うのである。
 ナンシーのところは、さっぱりしていた。昨シーズンも今回も、「この近所の名まえで、オレゴンフードバンクに寄付金を渡しました」というメッセージがついたカードを、息子ふたりが手渡しに来た。今回は、長男のほうが「それと、これ」と言って、スイスチョコレートもくれた。そういえばこの長男は、スイスで英語を教えているのだった。
 容器にアルプスの山の写真がついたミルクチョコレートは、空港の売店で買ったものと思われる。きっと、「近所に配るから、適当なサイズのチョコレート十二、三個買ってきて」と母親に頼まれたのであろう。私も日本に帰るときには、母から近所用のチョコレートを十も二十も買ってくるよう言いつかることがある。
「○○さんからお芋をいただいちゃったし、××さんにはキムチをいただいて、まだお返ししてないから」
 そういうのを聞かされるたびに、私は、モノが飛び交う日本の近所づきあいはちょっとうっとうしいなあ、と思うのだが、クリスマスシーズンのウチの近所も、まさにそれ。茨城県稲敷郡の母のところとなんら変わりはない。チョコレートを買ってくるよう言いつかったナンシーの息子も、「めんどくせ」と思ったのではなかろうか。
 あとのお宅は、コーヒー豆をかわいらしくラッピングしたものとか、八歳の娘が作ったというキャンドル立て(市販のプレーンなキャンドル立てに小石みたいな飾りを接着剤でつけたもの)など、失礼ながら、あまり工夫がなかった。そんななか、アニータのところは、ちょっと凝っていた。
 高校生の娘、シドニーが「はい、これー」と気軽に渡しに来たそのギフトは、茶色い箱に赤いリボン。ずっしり重たくて、羊羹でも入っているのか、という感じであった。箱を開けると、茶色いラッピングペーパーにくるまれた筒状のものが三本。中身は、市販のクッキードウ――包丁で輪切りにしてオーブンで焼くだけ、というクッキーの生地であった。クリスマスイヴに暖炉で燃やすユールログという薪をかたどって、茶色いペーパーで巻いたのだ。メッセージには、「『ログ』は使う直前まで冷蔵庫か冷凍庫に入れておいてね」とあった。
 こういう、値段が張らずに気が利いていて、しかも実もあるギフトはうれしい。ろうそく立てとか写真立てとか、いくつあっても邪魔にならない無難なギフトが飛び交うなか、贈り手のにんまり笑っている顔が浮かんでくる。なにかあげなくちゃ、と義務感ばかりが先行していた感があるご近所のクリスマスプレゼント合戦だったが、アニータの「ログ」には、贈り物の楽しさが添えられていた。
 クリスマス前の一週間は、ご近所パーティーが三つも立て込んだ。日曜にランチを催したゲイルのところは、正統派。ダンナさんのスコットがスモークしたサーモンをメインに、料理自慢のゲイルが作ったサラダやキャセロール、スコーンが並んだ。皿も食器も、プラスティックは使わない。
 ケリーとアランのところは、クリスマスイヴに家を開放して、子供も大人も、好きなときに来て好きなときに帰ってよ、というオープンハウス形式。脱いだジャケットは、勝手に二階に上がって寝室のベッドの上に自分で置いてよね、という気軽さだ。キッチンにはケータリングのロールサンドイッチやハム類、果物などがふんだんに並べられており、エプロンをしたアランが、ホットラム(ラムのお湯割りにバター、バニラアイスクリーム、スパイスなどを混ぜたもの)をせっせと作っては、客に手渡していた。
「パーティーをしよう、って一日前に決めたのよ」
 と、藪から棒に招待してくれたのは、アンばあさん。急なことだから人があまり集まらないかと思った、というわりには盛大なパーティーであった。
 ばあさんは、去年、隣の古い家を買って大々的に修繕し、貸しに出した。最初に入ったテナントは一カ月ちょっとで出て行ってしまい――ばあさんは、「こんなひどい話ってある?」と文句たらたらだった――その後、また店子を探していた。十二月に入ってようやく新しい借り手が見つかったらしく、不動産屋がつけた「貸家」の札が取り去られ、引越しトラックが停まっていた。
「今度の人はね、前回とは違ってすごくいい人らしいのよ」
 真っ赤なドレスに大きなカメオのつきのネックレスをしたアンばあさんは、ガラガラ声をひそめて言った。
 アンばあさんの貸家の話を初めて聞いたときから、大家が隣に住んでいるという状況はちょっと窮屈なんじゃないだろうか、という気がしていた。しかも、アンばあさんみたいに、ときに親切が過ぎるところがあるような大家ならなおのこと。
 そんなふうに考えるのは私だけではなかったらしい。アンばあさんの貸家の管理は不動産会社がすることになっているのだそうだ。アンばあさんは店子たちとは接触しないよう決められている。隣同士なのだから、それはそれで不自然な話なのだが。
「でもね、パーティーに呼んじゃったのよ、新しい店子たち。話しもしちゃいけない、って取り決めなのはわかってるけど……。隣に住んでるんだしねえ」
 アンばあさんは、上機嫌であった。
 ばあさんの新しいテナントは、熊のような山男っぽいダンナさんと、ジュリエット・ルイスを思わせる、細くて知的な感じの奥さん。感じのいいカップルだったが、いきなり決まりを破ってパーティーに招待してしまうようなアンばあさんに圧倒されて出て行ってしまわないかと、ちょっと心配になった。
 
 というわけで、近所づきあいに忙しい十二月が終わってホッとしている。ちなみにウチは、さんざん考えた末に、ポートランドアートミュージアムのショップで見つけた、安藤広重の版画――その昔、永谷園のお茶漬け海苔に入っていたような――の卓上カレンダーを配った。 
 ご近所さんにはまずまずの評判だが、私としてはいまひとつ満足しきれていない。今年のクリスマスは、アニータのところを見習って、アイデア作戦でいこうか。いや、一時帰国の折に、日本でなにか見繕ってくるか。それとも、思い切ってパーティーでもやるか。――年が明けたばかりなのに、

もう今年のクリスマスの策

を練っている私。疲れる、疲れると言いながら、実はけっこう嫌いじゃないのかも。

 
 
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