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私のこれまでの人生に失敗は山ほどあるが、今回のはなかなか派手であった。なにしろ、二週間、自分の家に戻ることができなかったのだから。
父の一周忌のため、一月下旬に一週間の予定で日本に行った。一周忌といっても、親戚や知人は呼ばず、お坊さんも呼ばず、母と私たち家族で父の墓参りをしたのだ。行くまえには、墓参りだけならわざわざアメリカから出かけることもないかなという気もしたが、父の初めての命日はうらうらと穏やかな日和で、母が作ったおむすびをお参りのあとにお墓のそばで食べたりして、いい一日であった。それから数日間、茨城の母の家に滞在した。もうすぐ一歳になる私の娘がちょうど「あんよ」を始めたところで、母は目を細めて喜んでいた。
大変だったけどやっぱり来てよかったなあ――母との別れを惜しみつつ、帰路、成田からアメリカ行きの飛行機に乗ろうとしたときに、問題が発生した。
夫と私の米国滞在ビザの
有効期限が、一月九日で切れていた
のである。
航空会社のチェックインカウンターの係員に指摘されるまで気がつかなかったという間抜けぶり。開いた口がふさがらなかった。
それなら申請不要の観光ビザでアメリカに入国するか、とも思ったが、係員に「バレたら罰金を取られるし、ヘタするとブラックリストに載って、今後の入国が大変になりますよ」と止められた。たしかに、私たちのパスポートに期限が切れたばかりのビザがあるのが怪しいし、それに、観光だったら帰りの日本行きのチケットがあるはず、と詰め寄られたら、すぐに尻尾が出てしまう。罰金だけで済めばまだいいが、時節柄、テロリストと間違われて大騒ぎになった日には目も当てられない。
結局、赤坂のアメリカ大使館まで行って、新しくビザを申請するしかなかった。ビザ関係に詳しいという係員が、「申請書類さえ揃えば、そう時間はかからないんじゃないですか。事情を話せば、一日、二日で発行してくれますよ、きっと」と私たちを励ましつつ、大使館の電話番号と住所を教えてくれた。
が、実際には、そんなになまやさしいもんではなかった。申請に必要な書類を揃えるのに一週間近く(素人が出先で作れるような書類ではないため、以前にビザ申請を依頼したニューヨークの移民専門の弁護士事務所と連絡を取らなければならなかった)、そして、面接を受けて手続きを済ませてからビザが送られてくるまでにまた一週間。ふう。
都内で数日間、書類を揃えるのに奔走したあと、茨城の母の家に移動した。
夫は、仕事をしなくては、といってそこから片道三時間以上かけて会社に通った。私と娘は、母のところで母子三代和気藹々……と思いきや、そういうわけにもいかなかった。遠い異国に帰ってしまったと思った娘一家が舞い戻ってきて最初はちょっとうれしそうだった私の母は、一週間を過ぎたころからだんだんイヤそうな顔をし始めたのだ。
父が亡くなってからひとりで暮らしてきた母は、寂しいながらも気ままな毎日を過ごしてきた。そんなところに、私たち家族――ふらふらと歩き回って片時も目が離せない赤ん坊と、それを追い回すのに手一杯の私、そして、朝早く出て夜遅くに戻ってくる夫――がころがり込んだ。掃除に洗濯に食事の支度。フル回転で家事をしなければならない状況に久しぶりに陥った母は、肉体的にも精神的にも、そうとう疲れたようだった。
世話になってばかりだからあまり文句を言えた義理ではないのだが、私もそれなりに大変であった。アメリカの家のセントラルヒーティングに慣れた体には、ひと部屋ごとに温める日本の家屋は寒いのだ。赤ん坊がいるせいで灯油ストーブが使えなかったから余計に、である。炬燵にばかり張り付いていないで友人を訪ねてみようかとも思ったものの、茨城からの道のりは遠い。唯一ともいえる気晴らしは、車で二十分ほどのところにあるショッピングセンターであったが、愛知のスーパーで乳児が刺されるという事件が起こってからは、ここもうろつく気がしなくなってしまった。
時差もあり環境の違いもあって、いつもより機嫌の悪い赤ん坊の相手には、心底疲れた。私たちと違い、アメリカで生まれた娘には、アメリカと日本、ふたつの国のパスポートがある。娘だけなら、理屈上は、ビザなど関係なくすんなりとアメリカに帰ることができたのだ。どんなに理不尽に泣き叫ばれても、今回ばかりは、「不注意な親ですいません」と娘に頭を下げるしかなかった。
今回の一件では、在日アメリカ大使館の、ビザに関する問い合わせ電話料金の高さにもびっくりした。
音声による案内が一回八百四十円。これはまだいい。すごいのは、オペレーターと話したときで、最初の六分が千六百八十円で、それ以降、六分ごとに八百四十円。アメリカらしくクレジットカードで支払う仕組みになっているのだが、それにしてもこの料金設定、高すぎやしないだろうか。
問い合わせが多いから、なるべく通話を短くしたり、通話の数自体を減らしたりしたいのはわかる。しかし、
六分で千六百八十円
なんて、本国のアメリカでは聞いたことがない法外な値段である。手続きのことはウェブサイトを見ればわかるようになっているから、とにかく電話してくるな、ということだろうか。それとも、日本人はこのくらい払う、と踏んでの料金設定なのだろうか。バブルがはじけて久しい日本にそんなにお金があるとも思えないのだが。
ついでに、アメリカ大使館の中のトイレのことも、ちょっと書いておこう。
面接を待つ間に入った大使館のトイレは、一瞬、アメリカにいるのかと錯覚させるほどのアメリカ式。便器が洋式なのはもちろん、個室のドアは、中に入っている人の足が見えるくらいに短い。手を洗ったあとに手を拭くペーパーも用意されている(日本のトイレには手拭きのペーパーも風で手を乾かす機械もついてないところが多く、アメリカ式に慣れてしまってハンカチを持たない私は、濡れた手をもてあますことがしばしば)。
そうか、アメリカ大使館のなかはアメリカなんだな、と感心していたところ、なぜかトイレットペーパーのわきのあたりに、日本的な「音消し」の装置がついている。男性は知らないだろうが、日本の女性用トイレには、小用を足すときの音を消すために「シャー」という音が出る、冗談みたいな機械がついていたりするのだ。
本国と見まごうほどのトイレを作ってみたものの、日本にいるのだから日本的なものも取り入れて……というアメリカ大使館関係者の心模様にくすっとなったのだが、よく見たら、その音消し装置は壊れていた。古ぼけ具合からして、壊れてからずいぶんそのまま放置されているようだった。日本的な要素もいちおう取り入れてみたけれど、メンテナンスまではしないらしい。
他国に気を遣っているように見せて、結局のところ自分流を押し通すというアメリカの姿勢が、こんなところにも表れているような気がして、なかなか奥深いトイレであった。
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