アメリカのおいしい生活
3月
21日月曜日

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  #48  またまた引越し
 
 

 東京に住む友人から早春らしい三寒四温を伝えるメールが届くなか、こちらはもう二週間もまえに花見を終えてしまった。ウィラメット川沿いの公園に植わっているソメイヨシノが、三月の最初の週末に満開になってしまったのだ。
 例年なら雨の毎日のはずなのに、今年の春は暖かくて晴れの日ばかり。前回も書いたけれど、ほんとうに空恐ろしい。二年前、私たちがポートランドに引っ越してきて初めて迎えた三月は、三十一日のうち二十八日が雨であった。いつ咲くかと楽しみにしていた玄関先の枝垂桜が、咲かずに腐ったのを覚えている。
 
 家のことでごたごたしている。
 去年の夏に大家のブルースじいさんが亡くなった。未亡人になったホープばあさんから、私たちがいま借りている家を買わないか、と持ちかけられた。
 家は、ポートランドの街の端にある。十六年ほどまえに開発された地域で、カルデサックと呼ばれる円形の袋小路の入り口。高速道路の乗り口までほんの五分なのに、起伏が激しい地形のせいか、静かな地域だ。
 じいさんとばあさんが建てた家は、少々趣味が古臭いのが難点だが、地下にあるガレージから荷物をキッチンに上げる小さなエレベーターがついていたりして、なかなか凝った作りである。小さな庭には南天やゲンペイカズラなどが植わっている。いまの季節は、白とピンクのヘザーが芝生の上の斜面に咲いていて見事だ。
 ホープばあさんが提示した値段は破格の安さだったので、一瞬「むむっ」と心が動いた。が、海外駐在員という身の上では、家を買うのはやはりためらわれる。会社の命により日本に帰ることになったときに、家がなかなか売れない、などということになったら面倒くさそうだ。買ったときよりも値が下がったらひどくがっかりするだろうし。
「買わないんだったら」
 と、ばあさんの申し出は続く。

「私を一緒に住まわせてくれませんか」

 節税のため、ばあさんの住所をこの家にしたいというのだ。詳しくは知らないが、相続税の関係らしい。いまホープばあさんは、ウィラメット川の向こう、ポートランドの東側地区にある老人用のアパートに住んでいる。パーキンソン病で日常生活が困難になったじいさんのために入ったアパート。身の回りのことに困らないホープばあさんは、じいさんが亡くなったいまとなっては、そこに住んでいる必要はないという。
 一緒に住まわせてくれないか、というのは、私たちと家族同様に暮らしたいということではない。この家のベースメント、つまり地下にはちょっとしたキッチンがあり、シャワーつきのバスルームもある。その地下の部屋を貸してくれないだろうか――もちろん家賃は払うから――と持ちかけてきたのである。私たちが借りている家の一部を貸し返してくれ、というのだ。奇妙な申し出である。
 考えさせてください、というと、後日、ホープばあさんの申し出の詳細が書かれた手紙が来た。
「もしも地下の部屋を私に貸してくれる場合には、ガレージの一台分のスペースも使わせてください。それから週に二回ほど、洗濯をさせていただきたい。倉庫の一部に荷物を置かせていただけるとありがたいです。あなたたちの生活を邪魔するつもりはまったくありません。が、赤ちゃんの面倒を見て欲しいとか、猫の世話をして欲しいと頼まれたら、喜んでやりましょう」
 いまどき珍しいタイプで打たれた手紙は、打ち間違いがところどころホワイトで消されていた。
 ホープばあさんはいい人だけれど、だれであれ赤の他人との二世帯同居というのは気詰まりだ。それが大家ならなおのこと。地下へのドアを閉じておけばほとんど顔を合わせることがないとはいえ、週に二度、洗濯機を使いに上がってくる。カレーなど、匂いの強いものを作ったときは、なんとなく夕飯に呼ばなければいけないような気になるかもしれない。
 それに、ホープおばさんの心持ちが気になる。かつて自分が家族と暮らした家の地下に間借りをしようという、おばあさんの気持ち。実際にそうやって住み始めてみたら、わびしい気持ちになるのではないだろうか。
 いや、ばあさんがどう感じるかはわからない。そういう申し出をするくらいだから頓着しないのかもしれない。しかし、私自身が、「地下でばあさんがわびしく感じているのではないか」と気になって、いてもたってもいられなくなるだろう。
「やっぱり、ダメ。ホープばあさんとは一緒に住めない」
 同居の申し出はお断りした。
「それなら」
 大家のばあさんの提案はさらに続く。
「買うのもダメ、同居も現実的でないとなったら、あなたたちに出て行ってもらってこの家を売る以外に方法はなさそうなのですが、しかし、あなたたちもいつ日本に帰るのかわからないとのこと。そんな状況でまた別の家へと引越しをさせるのも気がとがめます。手続き上は、私の住所がこの家になっていればいいことなので、どうでしょう、私の住所だけここにさせてもらうというのは。私への郵便があなたがたのところに届いてしまうことになりますが、転送してもらうということで……」
 こうなると、もういけない。私たちの引越しの手間を省こうとして知恵を絞ってくれているだけなのかもしれないが、ばあさんの住所を偽っていることがしかるべきところにバレたら、ちょっとした問題になりそうだ。丁重にお断りした。
 かくて、ばあさんの家は売りに出されることになり――私たちが来月初めに引っ越してから家が売れるまでのあいだ、ホープばあさんがひとりで住むのだそうだ――私たちは次なる住処を求めて、ハウスハンティングを始めた。
 
 オズウィゴ湖のほとりにある家は、不動産屋のウェブサイトで見たときにはキレイだと思って心が躍ったが――白い壁にこげ茶の梁、リフォームされたばかりというキッチン――行ってみたら、思わず息をのむほどのボロ家だった。
 見晴らしがいいといううたい文句のポートランドの家は、たしかに眼下に広がる街の景色が素晴らしかった。が、数年まえに改装されたというその家は、へんてこりんなモダン趣味。妙にすかしたブティックホテルの部屋のようで落ち着かない。黒いタイルにシルバーのトタン(!)の壁のバスルームは、どうしたって好きになれそうもない。
 新築の家が貸しに出されているのもあった。ぴかぴかにキレイで大きい家。が、高い木に囲まれて暗い上に、庭がほとんどない。小さな敷地にぎゅうぎゅうに建てられた大きな家――小さな台に懸命に身を縮めて象がのっかっている、そんな図が思わず頭に浮かんだ。
 ブドウ畑の中に建てられた家というのも見た。広い敷地に、背の低いブドウの木がずらっと並ぶ。それを見下ろす形で、丘の上に家が建っている。オーナーがワインを作っているそうで、ガレージの一部には農作業する機械を置かせておいて欲しい、とか、ブドウの手入れをする者たちがその機械にいつでもアクセスできるようにして欲しい、など、ブドウがらみの注文が多い。面白い物件じゃないの、と期待に胸を膨らませて見に行ったのだが、家が、あまりにも安普請だった。「ここはイタリアか?」と見まごうほどの美しい場所に(いや、ちょっと大げさだが)、どうしてあんなぺらんぺらんな家を作るのだろうか。
 数週間のハウスハンティングを経て私たちが選んだのは、ポートランドの隣、ビーヴァートンという大きな街の高台にある新興住宅地のなかの一軒。私たちが借りる家からはちょうどうまい具合に隠れて見えないけれど、少し歩けば、同じような形をした家々が海のように四方に広がるのが見える。
 建てられて三、四年という家は新しく、壁のペイントの色などの趣味もなかなかいい。ベースメントはない。不動産屋によれば、地下室を作らないのが最近の傾向だそうだ。コストが安く抑えられるからだろう。庭には、常緑樹と芝生。春めいた陽気なのに、花をつけている木は見当たらなかった。

一年じゅう、庭の景色は変わらない

のかもしれない。
 もうすぐ出ることになる家の玄関先の枝垂桜が、今年は早めに咲いた。それを見るたび、ホープばあさんとの同居にイエスと言ったほうがよかっただろうか、とほんの少しだけ心が迷う。

 
 
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