日本に行ってきた。今回は、東京から愛媛(夫の実家)、神戸(夫の甥の結婚式に出席)、そして私の実家がある茨城まで、二週間で駆け抜けた。その間、スーツケースやかばんを開けたり閉じたり、宅急便で次の滞在地まで送ったり。夫と私、ふたりだけのころでも一大事だった移動が、赤ん坊が加わってさらに大変になった。からだが小さいくせに荷物は大人の二倍くらいあるし、夫か私のどちらかが赤ん坊を見ていなければならないから荷作りなどの作業の効率が半分になるし、乗り物の中ではじっとしていられないから周りの乗客に気を遣うし。
いつもなら、アメリカの自宅に戻って、「旅行が終わったねえ」とほっとするところなのだが、今回はちょっとわけが違う。日本行きの
三日前に引っ越し
たのだ。荷解きもそこそこに旅立ってしまったので、家のなかには手つかずの段ボール箱がまだたくさんある。旅行から戻ってほっとひと息どころか、いまひとつ勝手がわからない家のなかでほとんどキャンプ生活みたいな状態だ。
早く片づけをしなければ、と気が急くが、一歳二カ月の娘がそれを許してくれない。時差ですっかりおかしくなった娘は、アメリカに戻ってからも日本時間で暮らしていくと心に決めたかのように、かたくなに昼夜逆転の生活を送るのである。
このまま寝続けてくれ、と祈るような気持ちで十時ごろに寝かしつけた赤ん坊は、午前一時にぱちっと目を覚ましてハイパー気味に寝室のなかをぐるぐる走り回る。「頼むからもう一度寝てください」とお願いし続けること六時間、世間が活動を始めるころにようやく赤ん坊は眠りに戻る。
娘が寝るときに私も一緒に寝ておかないと睡眠が確保できなくなるから、私もベッドに横になる。ようやく眠れる――ほっとする一方で、こんなことではいつまでたっても段ボールの山はなくならないなあ、とため息が出るのである。
家のなかは片付かないが、とりあえず新しいご近所さんに挨拶に行った。引っ越してきてすぐに二週間も家を開けていた私たちのことを、いったい何者だ? と訝しがっているのではないか、と気になっていたのだ。
ピンポーン、とお向かいのベルを鳴らす。お向かいとはいっても、そちらの家は我が家に横向きに立っている。
やがて出てきた中年の男性は、怪訝そうな顔であった。
「お向かいに引っ越してきたんですけれど」
親子三人揃って言うと、彼の表情は少し明るくなった。が、すぐに、
「ああ、よろしく。今、妻は出かけてるんだけど。お会いできてうれしいです。じゃあね」
と言ってそそくさとドアを閉めてしまった。
次は、お隣。出てきたのはその家の奥さんだ。
「お隣に引っ越してきたんですけれど」
「あ、ウチの裏ね」
こちらのお宅も、我が家から見ると位置としてはお隣なのだが、我が家に面しているのは裏庭だ。
ぽっちゃりした奥さんは、愛想よく型どおりの挨拶をしてドアを閉めた。さっきのお向かいさんといい、新しく移り住んできた私たちのことなど、ちっとも興味がなかったみたいである。
夫と私は、拍子抜けしてしまった。
ここに来るまえに住んでいたところのご近所さんは、こちらから挨拶に行くまえからウェルカムバスケットを持ってやってくるお宅も何軒かあったほどにフレンドリーで、ちょっと気持ち悪いくらいであった。バスケットを持ってこないお宅も、こちらが挨拶に行ったら「ちょっとお上がりなさいよ」といって家に招き入れ、やあ日本人か、とか、ニュージャージーから引っ越してきたのか、などと話に花が咲いたものだ。
オレゴンの人はやたらとフレンドリーなのだな、と私たちは決めつけたのだが、どうもそうではないらしい。まえのご近所さんたちが特別だったのだ。
不思議なもので、まえのご近所さんがウェルカムバスケットを携えて玄関先に現れたときには、クールなニュージャージーの隣人たちを懐かしく思ったものだが、やたらフレンドリーだったご近所に慣れたいまとなっては、新しい家の周りの、失礼ではないけれどもさっぱりとした人々が物足りない。いや、物足りないどころか寂しくて、まえの家に逃げ帰りたいくらいだ。住んでいたころには、ちょっと鬱陶しくさえ感じていたのに。
まえの家を出るときに、フレンドリーなご近所さんのひとり、ゲイルにこうこぼしたことがある。
「次に住むところは新興住宅地だから、近所同士のつながりが希薄かもしれない」
ゲイルは、
「私も経験があるけれど、新興のところほどみんな意識的に近所づきあいするものよ。大丈夫」
と言ってなぐさめてくれた。
それを聞いて、なるほど、と安心したものだが、フタを開けてみたらゲイルの言葉とはちょっと違うようである。
暖かいところから急に寒いところに引っ越してきてしまったみたいで寂しいなあ、と思っていたら、それに追い討ちをかけるように、裏の家の犬が吠える。娘を庭で遊ばせていると、木の柵の向こう側で、犬の声がうるさいのである。
普段は犬好きの娘がおびえるほどの剣幕だ。
たまりかねた夫が、その家にひとこと言いに行った。
「あら、ごめんなさい。でも、
ホントはスイートな犬
なのよ。会ってやってちょうだい」
そのお宅の奥さんは、ジャーマンシェパードをウチの娘に引き合わせた。さっきの剣幕とは打って変わっておとなしく、娘の顔をぺろりとなめたりする。
が、娘が家に戻って庭で遊んでいると、やはりシェパードは吠える。家族のまえでは「スイート」に振る舞っているが、裏庭に放されると急に塀越しに無愛想に(どころか獰猛に)なる。
まえのご近所さんとは打って変わってさっぱりとした隣人たちに加え、ばうばうと吠える犬。新しい家では、周囲にちっとも歓迎されていないようで、悲しくなる。
まあ、まだ移ってきて間がないのだし、と自分を慰めるわけだが、でも、まえみたいにパーティーに呼ばれたり、クリスマスプレゼントを交換したり、ということはなさそうである。
コンピューターのチップを扱う大きな企業が近くにあることもあり、IT関係の仕事についている人が多く住んでいる地域だと聞いた。「ハイテク・ヒル」と呼ばれているらしい、とも。このクールさと、なにか関係があるのだろうか。
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