アメリカのおいしい生活
6月
6日月曜日

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  #53  理想の母娘
 
 

 五月末、メモリアルデーの連休を利用して、ニュージャージーから友人のセアが遊びに来た。我が家から一時間半ほど南にある、コーバリスというところのカレッジで開かれた、フリスビーの試合を見に来たのだった。ミネソタの大学に行っている彼女の娘が、選手として出場していたのである。
 セアに最後に会ったのは、私たちがニュージャージーに遊びに行った去年の九月だから、

八カ月ぶりの再会

だ。特に変わった様子はなかったが、髪が、赤かった。ハイライトを入れてみたのだそうだ。
「なにもしないでいるとどんどん老けていくだけだから」
 ちっともしゃれっ気というものがない彼女のことだったから、少し驚いた。
 セアと私が知り合ったのは、十年ほどまえ。最初は、彼女が自宅で開いていた英会話クラスの先生と生徒としてつきあっていた。その後、彼女が高校でESL(外国人生徒に英語を教えるプログラム)の教師として働き始めてからは、彼女が休みのときにランチをしたり、ハイキングに行ったりと、普通の友だちづきあいをするようになった。ベビーブーマーで、ヒッピー世代。若いころにはアジアの国々を放浪。ベジタリアン。
 セアは、木曜に我が家に泊まって、そのあと金、土とコーバリスで娘が出場したフリスビーの試合を見て、そしてまた日曜にウチに戻ってきた。
「どうだった? ゲームは」
「残念ながら決勝戦まではいかなかったけど、でもすごくよかった。去年まではスター選手がいて、その子のおかげでウチの娘のチームは強かったの。でも今年は特にスターもいなかったけど、その代わりにみんなが上手になってて、去年よりもずっといいチームになってた。ウチの娘も二千倍くらい上達してたわ」
 知り合ったころには小学生だった娘のサラ。来年六月には大学を卒業するそうだ。大学の入学前にルームメイトと電話で話して仲良くなっておきたいんだけど、どうやら日本人らしいから(しかもその子の名まえも「サラ」というのだった)まず電話してみてくれないか、と恥ずかしそうに私にお願いしてきたのが、ついこのあいだのことのような気がする。
 セアとサラの母娘には、いろんなエピソードがある。
 ハイスクールでサラが演劇部に入っていたとき、「コーラスライン」を上演することになった。サラの役は、ヴァル。ダンスはうまいがスタイルがいまいち、それで豊胸手術を受けた役者志望の女の子の役だ。
 彼女がソロで歌うのが、「Tits and Ass」という歌。「おっぱいとおケツ」とでも訳そうか。「とにかく役者として成功するにはスタイルが第一、おっぱいとおケツがよくなくちゃダメ。ペチャパイなら、ちょちょいのちょいっと手術を受けてボインにならなくちゃー」(超意訳)というような歌であった。
「こういう歌をサラに歌わせてもいいでしょうか」
 と、演劇部の先生からセアのところに電話がかかってきたそうだ。高校生であるお宅の娘さんに、おっぱいだのおケツだのというセクシャルな歌を歌わせてもいいだろうか、と。
 アメリカ人はなにかにつけオープンだという印象があるが、実は、「青少年と性」とかいうことになると、大人はちっともオープンでなかったりする。全米ネットワークのテレビ局が女性の乳房の映像を放送してはいけないお国柄だ。おまけに、日本語にはうまく訳しにくいが、titsもassもスラングで、品のよい日常会話には登場しない言葉である。
「おっぱいにおケツゥ――!? ウチの娘にはそんな歌、歌わせられませんっ」
 などと言いそうな親も多い(だから先生は確認の電話をする)。
 そんななか、セアは、
「ああもう、全然問題ありません。娘さえいいんなら、私は一向に構いません」
 なんでそんなこと訊くの? という具合である。
 また、セアが働いている学校の関係でサラが奨学金をもらえることになったときには、こんなことがあった。
 奨学金の授与式のようなものがあって、奨学生たちがステージの上に座らされることになった。サラは、「見世物じゃあるまいし、そんなこっ恥ずかしいことできるわけないじゃん!」と猛反発。講堂に集まった人々の視線がすべて自分に集まるなどと思いがちな、見当違いなほどに自意識過剰な年ごろである。
 千ドルとか二千ドルとか、奨学金というには割に小さな額であった。でも、お金はお金。もらえるならそれに越したことはない。なにもしないのに学費をいただけるのだから、壇上に少しのあいだ座るくらいは我慢しなさい。ありがたいと思いなさい。
 サラとセアは、会場で激しく言い合った。そして結局、サラはステージに座らなかった。
 授与式からの帰り道、セアは、「今日という今日は、アンタに愛想が尽きた!」と言って、サラを車から蹴り出した。六、七マイルの道のりを、サラは歩いて家に帰ったそうだ。日が長い時期のことだったから、暗い夜道を若い女の子がとぼとぼ歩く、というわけではなかった。が、子供の安全にはことさら神経質なアメリカ人の親としては、ティーンエイジャーの娘を何マイルもひとりで歩かせるなど、異例のことだ。
 この派手なケンカのあと数日間、母娘は口をきかなかった。が、ある日、サラが「自分が悪かった」と謝った。
「ただ、私のことを『bitch』と呼んだのだけは謝ってほしい」
 娘は、そう要求した。セア自身も、実はその点は悪かったと思っていたので、取り消したそうだ。
 こんな感情むき出しの母娘ケンカも、最近はめっきり減ってきたらしい。
 私が日本の母の家に三週間滞在したあと、
「んもう、母が、私のやることなすことなにからなにまで批判的なのでうんざりしちゃった」
 とこぼすと、セアはこう言った。
「そうなのよね。私もサラがクリスマス休暇なんかに家に戻ってくると、文句を言いたくなることが山ほどある。でも、私があれこれ言うと、サラはそのあと長いこと口をきかなくなっちゃうので、黙ってることにしてるの。すごーく努力がいるけど。親というものは、ある時点からは子供らを大人だとみなして、彼らをそう扱わなければいけないってことなのよね」
 難しい年頃だからいろいろと言いたくなることもあるが、それをぐっとこらえているというのだ。セアがそれをどのくらい実践できているのかは定かではない。が、娘を「大人として扱わなければ」と意識しようと努めている親がどのくらいいるだろうか(ウチの母など、娘が四十になろうというのにできていない)。私は将来、セアを見習うぞ、と心に決めたのだった。
 こういう努力の賜物か、娘のサラは、セアのことをクールな母親だと思っているらしい。大学の休みのあいだに家に戻ってきた彼女は、地元の友だち数人とランチだかお茶だかに集まったとき、セアのことを誘ったそうだ。
「行ってみたらね、親で呼ばれてたのは私だけだったから、ちょっとうれしかった。でもね、あんまりはしゃぎ過ぎないように気をつけたの。『恥ずかしい親』って思われたくないからね。サラの友だちはいい子たちでね。みんな私に普通に接するの。こういうのが、娘からのなによりのプレゼント。なにかモノをもらうよりも、ずっとうれしい」
 セアは、目を細めていた。
 私も自分の娘と、将来、彼女らみたいな関係になれるといいなあ、と思うのである。

私もクールな母親になりたいなあ、

と。
 だから、今回、我が家に遊びに来たセアが、こんなことを言ったときにはちょっとビックリした。
「娘にはね、遠くに行かないで、って言ってるの。サラがミネソタの大学に行く、って言い出したときにはホントにびっくりしたんだけど、まあ、大学は仕方ないかな、と。でもね、ミネソタが限界。そこより向こうに行こうなんて絶対に思わないでね、って言ってるのよ」
 私は耳を疑った。若いころにアジアを放浪したセアが――つねに冷静に娘に接しようと努めているセアが――娘に遠くに行くな、とは。てっきり、「どこへでも自由に羽ばたきなさい」というタイプかと思っていた。クールとはほど遠いではないか。
「一人娘だしね。遠くに住んじゃって頻繁に会えなくなったら寂しいじゃない」
 そう言う母親を、サラは、
「なによ! 隣に住めとでも言ってんの?! 気持ち悪い」
 と煙たがっているらしい。
「今はいいの。若いんだから、そう言って当然。でもね、遠くに行くな、って私が言い続けていれば、いつかサラがもう少し大人になって分別がついたころ、『親のそばに住むのも悪くないか』って思うかもしれないでしょ。それを狙って、今からちくちく言い続けているの」
 セアは、ニヤニヤしながら言っていた。
 なーんだ。クールに見えたセアも、実は娘にはデレデレなのだ。がっかりしたというか、安心したというか。

 
 
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