アメリカのおいしい生活
7月
11日月曜日

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  #55  おばちゃんと呼ばれたい
 
 

 ニューメキシコ・サンタフェに住む、友人のナオさんからメールが来た。また引っ越したらしい。
 彼女と知り合ったのはアトランタでオリンピックが開催された年だから、九年前。それ以来、彼女はいったい何回引っ越しただろう……と数えてみる。私が覚えているだけでも、六回。そのなかには、アメリカから日本、日本からアメリカ、と、太平洋を横断しての大移動もあった。今回の引越しは、サンタフェ内での、近場の移動のようである。
 住む地域を変えるごとに、職をがらりと変えて私を驚かせるナオさん。私が知り合ったころにはグラフィックデザイナーだったが、その後、日本に移ってカウンセラーになり、アメリカに戻ってきてからしばらく、ドメスティックバイオレンスの被害者用シェルターで働いていた。いまは、サンタフェにあるRaw Food(「生食」と直訳すると妙な感じだが、加熱調理をしない調理法で作る食べ物)のカフェで働いている。
 どの仕事をしているときにも、たまにもらうEメールから、楽しそうに働いている様子が伝わってきたものだが、今回のカフェでの仕事はとりわけ肌に合う様子。もともと食べることが好きだし、個人的にも情熱を傾けているRaw Foodに関する仕事に従事しているせいか、ストレスを全く感じないのよ――と、去年の秋、カフェに勤め始めたころに熱いメールをくれた。
 彼女からの、今回の引越しメールに、
「カフェの仕事はどうですか? もうすっかり

看板娘に

なっているのでしょうね」
 と返事を出した。すぐに届いた彼女からの返信には、
「ハネムーンの時期は終わりましたが(笑)、それでも結構楽しくやってます。フードサービス業、私に合ってるかもしれない……」
 とあった。やはりいまも楽しく働いているようだ。
 が、そのあと、
「それにしても看板『娘』っちゅうのはないよ、君ぃ。(わかってるくせにぃ……)」
 と書かれていた。
 ナオさんは私よりちょい年上の四十前半である。たしかに、「娘」というのはちとキビしかったか。
 ……という話をウチの夫(もともとナオさんは夫の知り合いであった)にしたところ、
「そりゃマズいよ」
 とぴしゃりと言われてしまった。まるで、決して言ってはならないひと言を口にしてしまった、とでもいうような勢いだ。
「そんなにマズいかな?」
「マズいね。だいたい、看板娘っていうのはさ……」
 夫は、「看板娘」がいかなるものかを説明し始めた。
 ――マツ子は先月、十九になったばかり。家業の団子屋を手伝って忙しい日々だ。常連の客、熊八さんに「嫁に行かないのか」とよくからかわれるが、「やだー、嫁になんてまだまだ行かないよー」とけらけら笑っている。そんなとき、はちきれんばかりの白い頬が、うっすら桃色に染まるのであった。
「少女から大人になるくらいの時期でさ。化粧っけもなくて髪もひっつめなんだけど、汗で頬に張りついたひと筋の髪が妙に色っぽかったりして、男の常連客たちをドキドキさせたりするわけだ。でも、本人は全然そんなのお構いなしでさ。自分の性的魅力にもまだまだ気づいちゃいないってくらいなんだよ」
 夫の口元が、なんだか緩んでいる。
「おぼこってことか」
 私が言うと、
「まあ、そういうことだな」
 相槌を打つ夫の口元がさらにでれれーっとゆがんだのであった。
 看板娘がおぼこでなければいけないのなら、ナオさんに「看板娘なんじゃないの」なんて言ってしまったのは、ちょっと嫌みっぽかったかもしれない。
「でもね、私のなかでは、『商売を盛り立てる元気な女性』って感じで、あんまり年齢制限ないのよね。看板娘っていうと、あの人、えーっと、なんて名まえだっけ、橋田須賀子のドラマによく出てきて、『モモちゃん』とかって呼ばれがちな人――」
「沢田雅美?」
「そうそう、沢田雅美! あの人が、私のなかでは看板娘って感じなんだけど」
 夫は、首をぶんぶん振って異を唱えたのであった。
 
 女性の年齢を示唆する言葉というのは厄介なものだが、実は私もここのところ、「お姉ちゃん」問題で頭を悩ませている。
 最近、ウチの赤ん坊と同じ年ごろの子供を持つ日本人のグループに参加しているのだ。この集まりは、子供同士で遊ばせるのが目的なのだが、ほかのお母さんたちとのおしゃべりが私の息抜きにもなるし、よその人の子育てぶりが興味深く、また参考になる点もいろいろあって、楽しい集まりである。
 よその子に私が声をかける場面も多々ある。
「Jくん、それ、おばちゃんに貸して」
 なにやらおもちゃを手に持っていたJくんに私がそう言ったら、そばにいたJくんのお母さんが、
「あ、ウチはね、おばちゃんって言わせないようにしてるの」
「え? でも……」
「お姉ちゃん、って。はい、お姉ちゃんにどうぞって」
 まだシワだのシミだのタルミだのに悩まされているとは到底思えない若々しいJくんの母さんは、息子にそう言い聞かせつつ、Jくんの代わりにおもちゃを私に手渡したのだった。
 Wちゃんのお母さん(同じく若い。おそらくまだ二十代)も、
「女の人はみんなお姉さん」
 と言い切る。娘のWちゃんには、女の人はすべて「お姉さん」と呼ぶように教えているらしい。
 困ったことになったなあ、と思うのである。今年で四十歳の私が、「お姉ちゃん」などと呼ばれてもいいのだろうか。
 年齢を取り巻く心情というのは本当に微妙だ。
「いくつに見える?」
「えーと、三十七?」
 などと、実際の年齢よりも二つ、三つ若く言ってもらえるとうれしい。が、自分よりもうんと年下の人に「若いですねー」などと言われると、どういう反応をしたらいいのか戸惑う。また、同じ年くらいの女性が数人で集まっているときに、自分たちのことを「女の子」と表現しているのを聞くと(何度も言うけど、もう四十近いのですよ)、なんだかそわそわしてしまう。
 結局のところ、年相応に見えて、年相応に振る舞うのがいちばん心地よさそうだ。
 四十を目前にしてそんな境地に至ったところに、いきなり浮上してきた「お姉ちゃん」問題である。
 Jくんの母さんもWちゃんの母さんも、よその女性をむやみに「おばさん」と呼ばないようにと自分の子供に教えたいのであろう。たしかに彼女らみたいに若い人たちは、たとえ子供からであっても、「おばさん」と言われるとガーンとショックを受けるわけで、そういう意味では、「お姉ちゃんと呼びなさい」というのは、彼女ら自身が「おばさん」と呼ばれたくないという願望の現われであるかもしれない。
 わたしだって、できたら「おばさん」とは呼ばれたくない。そのへんの若造にいきなり「おばさん」と声をかけられたら、思いっきり聞こえない振りをしつつ、心の中で憤怒の炎がめらめらしてその晩は眠れないかもしれない。若造どころか、おっさんにそんなこと言われた日には、いきなりつかみかからないとも限らない。
 でも、子供が相手となると、少し違ってくる。年齢的にはすっかり「おばさん」な私のことを無理やり「お姉ちゃん」と呼ぶように教えるというのは、何も知らないのをいいことに、

子供にウソを強要している

みたいではないか。みのもんたが確信犯的に中年女性たちを「お嬢さん」と呼ぶのとは、まるでわけが違うのだ。
「お姉ちゃん」以外のオプションは、子供の名まえに「ママ」をつける呼び方。ウチの場合は「めぐみママ」。……もうすぐ四十で「めぐみママ」か。これもキビしいなあ。なんか、いまひとつ流行らない飲み屋の、若作りなママさん(ちょっと厚化粧)みたいではないか。
「『お姉ちゃん』は、私にはちょっとキツいよ」
 と言うと、
「そんなことないですよー」
 と、若い母さんたちは明るく答えるのである。
 ありがとう。 
 でもね、私はやっぱりおばちゃんと呼ばれたい。頼むから、「お姉ちゃん」でも「めぐみママ」でもなく、「おばちゃん」って呼ぶよう、子供たちに指導してください。

 
 
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