毎日、暑い。
ポートランドの夏は、湿気がないのでまだ救われるが、日差しの強さには頭がクラクラする。日焼け止めを塗っていても、腕の辺りが音を立てて焼けていくようだ。乾燥しているところでこんなに焼けると、そのうちジャーキーみたいになってしまうのではないかと怖ろしい。
ある朝、蝉時雨で目が覚めた。家の周りに、ずいぶんたくさんの蝉がいるようだ。
ああ、オレゴンにも蝉がいるんだなあ。
ぼんやりした頭で考えた。
蝉時雨に、ときどき風鈴の音も混じる。風が強いのか、高い金属的な音がひっきりなしに鳴る。
寝室の白いシェイドの向こうが、すっかり明るくなっていた。隣に寝ていた娘もごそごそし始めた。もうすぐ起き出しそうだ。
枕から少し頭をもたげて時計を見た。七時半。夫は出張中だし、もう少し寝ていたいなあ、と思った瞬間、娘がぱちっと目を覚ます。もうちょっと寝ようよ、と、わき腹のあたりを手でとんとんとんと軽く叩いてみたが、娘はもう起きることに決めたらしい。あっという間にベッドの端まで這って行って、後ろ向きになって床に下りようとしている。
やれやれ、とベッドから身を起こした瞬間、部屋がぐるぐるっと回った。吐き気もした。それで、ようやく気がついた――蝉時雨に風鈴は、
自分の耳鳴り
だったのだ、と。
去年、突発性難聴になって以来、右の耳のなかで耳鳴りが続いていた。もう一年以上になる。最近では慣れたのか、耳鳴りはちっとも気にならなくなっていたのだったが、その朝は、大音量で響いていた。
起き抜けとは思えぬほどに元気な娘は、寝室の中を走り回り始めた。
「母さん今日は具合が悪いから、おとなしくしてね」
頼んでみたところで、一歳半にもならない娘にはまだわからない。「遊ぼうよ」と言わんばかりに目をぎらぎらさせて、部屋じゅうを行ったり来たりしている。
とにかく、朝ごはんを食べさせなくては。
立って歩くのもままならないので、娘を脇に抱えて階段を一段ずつ座って下りた。
いつもなら、娘をハイチェアーに座らせ、オレンジジュースにバナナ、パン、ヨーグルトを食べさせるのだが、その日の私には椅子に座っているのさえつらい。娘の手に一枚クラッカーを持たせ、テレビの幼児番組を見せた。
じゅうたんの上に突っ伏して、どうしよう、どうしよう、と考えた。朝からエンジンフル回転という様子の娘に、一日付き合うのはとても無理だった。だいたい、娘を着替えさせるのでさえ、できるかどうか自信がない。
異国での暮らしが、急に心細く、不安に感じられるのはこういうときである。
電話すれば、すぐに車を飛ばして来てくれるであろうアメリカ人の友人や知り合いは何人かいる。引っ越してきたばかりで近所に親しく付き合っている人はまだいないけれど、ドアを叩いて事情を話せば、快く手助けしてくれるであろうこともわかっている。
そう頭ではわかっているのだが、体調を崩してにっちもさっちもいかなくなると、不意に、「異国に住んでいる」という事実が――あるいは、「ここは日本ではない」という事実が――本当に心細くて、どうにも途方に暮れてしまう。
母親仲間のナオミさんに電話した。
「今日、ちょっと具合が悪くて――」
「どうしたの?」
私が病状をかいつまんで説明すると、
「めぐみちゃん、今日一日、みててあげるよ。寝ていたいでしょ? ゆっくり休みなよ」
私がお願いするまえに、ナオミさんはベビーシッターを買って出てくれた。彼女のところにも、ウチの娘より少しだけ年上の赤ちゃんがいる。ひとりの相手をするだけでも大変なのに、これがふたりになったら――大変なことをお願いしているのはわかっていたが、彼女の言葉に甘えることにした。
実のところ私は、これまでアメリカの日本人社会とは距離を置いてきたのだった。ウチは海外駐在だから、いつかは日本に帰ることになる。それなら、日本にいてもできること(日本人と付き合うこと)よりは、アメリカでしかできないことをしたい。そんなふうに思っていた。
この春から日本人の母親グループに参加するようになったのは、ひとえに娘のため。娘に日本人の友だちを作ってやりたいというのが動機であった。
クラクラする頭を枕につけてうとうとしながら、私は、母親グループに参加させてもらっていてよかったなあ、と思った。
娘は、ナオミさんの家で夕飯までごちそうになり、九時すこしまえに送られてきた。お風呂にも入れてもらったらしい。
一日寝て、私はずいぶん楽になった。
ナオミさんは、「食べられる?」と言いながら、私に小さなお弁当の包みをくれた。カレーライスに、大根とツナのサラダ。ヨーグルトの空き容器に、ブルーベリーも入っていた。
「本当にどうもありがとう」
お礼を言うと、
「気にしないでー。明日も具合悪かったら遠慮しないで言ってよね。私たち、異国で子育てしているもの同士、助け合わないと」
ナオミさんはさらりと言い、赤いワゴンを走らせて帰っていった。
ウチの石けんとは違う匂いのする娘を抱いて寝室に上がりながら、これまで日本人社会を避けていた私の(そのくせいざ子供ができたら「娘に日本人の友だちを」などと鞍替えした私の)、スケールの小ささを反省したのだった。
それから二週間ほどが経ち、私のめまいもほとんどよくなった、ある日曜の午後。昼寝から目覚めた娘を動物園に連れて行こう、と高速道路を走っていたときのこと。
ハンドルを握っていた夫が、突然、
「うわっ、なんだこれ」
と言い出した。
「なに?」
「なんか――、なんか――」
夫は、前を向いたまま、目をぱちぱちしている。
「なに? どうしたの?」
「目のなかに、
黒いものがわーっと
出てきた。突然」
ウチの車も、周りの車も、六十マイル以上(百キロ近く)のスピードで走っている。
「とにかく、次の出口で出て。それで、停められるところで車を停めて」
クモ膜下出血? 脳卒中? そう思いながら、夫に指示した。
夫は、次の出口のすぐ手前にあった大きな路肩に車を停めた。まだ高速道路の上だ。いつもなら、一般道に入ってからどこか適当なところに停めるはずなのに。
運転を代わり、大きな病院のERに連れて行った。延々待たされてブツブツ言うのが恒例のERなのだが、今回は、まえの人たちを飛ばしてすぐさま奥の診察室に呼ばれた。
検査の結果、夫は目に問題があることがわかった。
「脳になにかあったんじゃないんですか?」
恐る恐る訊くと、女性のドクターは笑いながら否定した。
どうやら、網膜が破れたらしい。医学用語がわからず、cloudsとかshadesと夫が表現した目のなかの黒いものは、英語ではfloatersというそうだ。日本語では、飛蚊症という(家に帰ってから、家庭の医学で調べた)。
加齢により、網膜は破れやすくなるとのこと。近眼の人がなりやすい、とも。
翌々日に、網膜の専門医(と聞いて、網膜だけを診て生活が成り立つものなのか? などと思ってしまったのだが、けっこうニーズがあるらしい。待ち時間がやたらと長い)で、レーザー手術を受けた。網膜が剥離するのを防ぐために、破けた部分の周囲をレーザーで凝固させたのだそうだ。
術後は車を運転することができないので、私が迎えに行った。
もう度が合わなくなってしまったから、と最近しなくなっていたサングラスをかけて助手席に座った夫とふたり、クモ膜下出血でなくてよかったね、と何度も言い合いながら家に帰った。
というわけでこの夏は、私が倒れ、夫にも不具合が出た。
順番からいうと、次は娘。連日、暑いなかをあちこち引っぱりまわしているから、疲れが出ても不思議ではないころだ。
ある日のこと。
「あ、ウンチした?」
と、娘のオムツを開けてみて肝をつぶした。
便が、真っ黒なのだ。
「病院に連れて行かなくちゃ!」
おろおろと慌てる私に、夫が言った。
「ブルーベリーじゃないか?」
そういえば娘はその日の午前中に、ファーマーズマーケットで買ったブルーベリーをしこたま食べたのであった。
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