夫の元部下、セスの結婚式に向かう車のなか。
「あれっ、ネクタイしてないよ! いいの?」
ふと見れば、隣で運転している夫の服装が、いやにカジュアルだ。
娘に履かせようと思っていた黒い靴がすっかり小さくなっていることに気がついて大慌てで代わりの靴を探したり、靴が黒じゃなくて水色になったのならピンクの三つ折ソックスではまずかろう、と白いソックスを探したり(アイボリーと白の片方ずつしか見つからなかったが、どうせすぐ日が落ちて暗くなるよ、と不揃いのまま穿かせた)、出がけまで娘と自分の身支度に手間取っていて気がつかなかったが、夫は、結婚式に行くとは思えないほどの軽装なのだった。
白地に薄紫と赤茶の格子柄のシャツに、白っぽいベージュのパンツ。明るい茶色のジャケットに、タンの革靴。なんだか、
ちょっと遊び人ふう
だ。
「結婚式なのに、ネクタイなしでいいの?」
私が重ねて言うと、夫は、急に心細そうな顔になって、「やっぱりダメかな?」とつぶやいた。ダメかなもなにも、いまから家に引き返していたら式に遅れてしまうから、仕方がないんだけど。
セスとリーの結婚式は、ポートランドのダウンタウンから北西に三十分ほどの、ソウヴィーアイランドで行われるのだった。
「農場での結婚式だっていうし、それに女の人はハイヒールがダメなんだろ? だからネクタイなしでもいいかな、と思ったんだけど……。ダメかなあ」
招待状には、会場である農場への道順とともに、「アウトドアウェディングです(雨が降っても)。ハイヒールはオススメしません」と書いてあった。この時期のポートランドでは雨が降ることはまずないから天気のことは心配ないのだが、舗装されていない地面では、細いかかとがぶすぶす刺さって歩きにくいから、ハイヒールはやめておいた方がいいですよ、ということなのだろう。
夫は、しきりに胸元を気にしていた。シャツの胸元を何度見たところで、ネクタイが生えてくるわけではないのに。
ニューヨークあたりのすかしたレストランでは、ジャケットを着ずに入店した客に、紺のブレザーを貸してくれる、というか、着るように強要することがある。
「どうする? 『改まった席ですから、ノーネクタイでは困りますねえ』とか言われて、ネクタイを貸してくれたりして。それもうんと派手な、星条旗の模様のヤツ」
私が言うと、夫は、そんなことあるまい、と言いながら、さらに不安そうな顔をした。
式場は、私たちが何度か訪れたことがある農場であった。えび茶色の大きな納屋ふうの建物の中で採れたての野菜や果物を売るファームスタンドがあり、外ではラマやヤギなどの動物に触ったりもできるところだ。農場の一部を、結婚式やそのほかのパーティーの会場として貸し出しているのだと初めて知った。
舗装されていないドライブウェイを入っていくと、ウェディングのゲスト用駐車場のサイン。砂ぼこりを上げながら走ると、草原の上にすでに何台も車が停まっている。
まばらな人の列について歩いていく。四方に畑が広がるなか、小高い丘になったところに大きな木があり、その下に、白い折りたたみ椅子が並べられていた。
集まった人たちは、思い思いの服装だ。正装の人はほんのひと握りで、ほとんどが、ダウンタウンのちょっとしゃれたレストランにディナーにでも行く、といういでたち。ネクタイどころかジャケットさえ着ていない、アロハシャツの男性もいる。女性はワンピースが多かったが、パーティードレスというにはくだけている。招待状の注意書きを忠実に守って、だれもハイヒールは履いていない。フリップフロップ(ビーチサンダル)の人もいる。珍しく湿度の高い日で、配られたプログラムをみんな団扇代わりにしてぱたぱたさせていた。
六時。大きな木のまえにいた女性がバイオリンを弾いて、式が始まった。リーが、父親に連れられてゲストのあいだを歩いていく。少しアイボリーがかったシンプルなドレス。ボブスタイルの金髪に、花輪を載せている。
もう何分もまえから木の下で待機していたセスのもとに父親がリーを送り届け、男同士、軽く挨拶を交わす。役目が終わったという様子の父親は、並ぶ椅子の最前列に腰掛けた。
紺のスーツをぱりっと着こなした牧師が、式を執り行なった。リーの家族がいつも行く教会の牧師だそうで、ウィスコンシンから飛んできたのだそうだ。クリアーな英語を話す牧師は、ユーモアを交えながらめりはりのきいた説教をした。
彼は、言った。
「たくさんのゲストが来てくれて君たちはうれしいだろうけれど、あえて言えば、参列者がいなくても、結婚式は挙げられるでしょう。ハネムーンも楽しいだろうが、それもなくたって、結婚したことには間違いない。でも、指輪――これだけは、なしで済ませることができません。なぜなら、指輪は、ふたりの約束のしるしだからです。ふたりが信頼し合い、助け合って生きていくと誓う、この日の約束の証なのですから」
日が暮れるにはまだ少し早く、人々はプログラムを団扇にしたり、日除けにしたり。式が執り行なわれている丘の向こう側の畑では、スプリンクラーがいくつも、低い音をたてながら勢いよく水を撒いている。牧師に続いて誓いの言葉を繰り返すセスは、早口で少々緊張気味。リーは、ゆったりと微笑んで余裕の表情だ。

式は農場で
広い農場のなかに立つ一本の大木のもとで行われた結婚式は、無駄がなく、大げさなところがなく、こけおどしなところもなかった。のどかにして厳か。いままでに出席したなかで、
いちばん心に沁みた
式だった。結婚式が、「約束の儀式」であるということを、これほど思い知らされた式はこれまでになかった。
テントの下に丸テーブルをいくつもしつらえて行われたパーティーも、気取らず、シンプルだった。少し離れたところにある東屋にバーが設けられ、ゲストはそこに足を運んでは思い思いのドリンク(といっても赤と白のワインとレモネードという品揃えなのだが)を手にした。
食事も、セルフサービス。パイナップルとマンゴーのソースを添えたサーモンと、バーベキューソースで味付けした厚揚げのようなもの(リーはベジタリアンなのだ)がメイン。付け合わせの、ハチミツ入りバターをつけたコーンブレッドがしっとりしていて、ほんのり甘くておいしかった。リーの出身地、ウィスコンシンのほうでよく食べるものなのだと聞いた。
眠くなった娘がぐずり出し、食事のあとのウェディングケーキカットを見ずに農場をあとにした。
「いい式だったねえ」
「うん、いい結婚式だったなあ」
帰りの車のなかで、夫と私は話し合った。
「もう一回結婚するなら、ああいう式がしたいなあ」
「そうだなあ」
農場でのウェディングにすっかり感激した私たちは、まるで来年あたり結婚するカップルみたいにウェディングプランをあれこれ練りながら、家路を急いだ。後ろのチャイルドシートでは、娘がツルのように首を折り曲げて寝ていた。
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