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前回も雨のことを書いたからもうやめようと思ったのだが、でも言いたい。どうしてこんなに雨が降るんだろう。二十四時間天気予報ばかりをやっているウェザーチャンネルで、向こう一週間ずっと雨という予報を見てしまった。画面の左から右にずらっと並ぶ、七個の雨マーク。あんなの初めて見た。
幸い、予報がはずれて(太平洋上からの雲の流れは読みにくいのか、このへんの天気予報はけっこうはずれることが多い)晴れ間が広がった日もあってほっとした。久しぶりに青空を目にすると、「奇跡じゃ、奇跡じゃああ!」と叫びたくなってくる。映画「十戒」で、海がさーっと割れたシーンをなんとなく思い出すのである。
雨が降ってたなと思ったら急に空が明るくなって、そしてまたざざーっと雨。そんな泣き笑いみたいな天気の日に、ポートランドのダウンタウンにあるレストランでランチをしていたら、ウェイトレスが窓の外をぼんやり見ていた。ヘンな天気ですよね、と話しかけたら、
「春だから」
とあっさり言われてしまった。
雨にうんざり、というのに同調してもらえるかと思っていたので彼女の無味乾燥な答えにはちょっとガッカリしたのだが、オレゴニアンはとっくの昔に「うんざり」なんか通り越しちゃっているようだ。雨を笑う余裕さえあるらしい。雨に関するジョークをいくつか聞いた。
「オレゴンの州花はカビ」
「雨のなか傘をさしてるのは、いくじなしか旅行者のどっちか」
「オレゴニアンは毎年サングラスを買う――あんまりにも長いあいだ使わないので前のをどこに置いたのかわからなくなるから」
オレゴニアンたちは、今は雨ばっかりだけど夏のオレゴンはそれはそれはきれいだから、と口を揃えて言う。七月四日の独立記念日のころになると、まるでだれかがパチンとスイッチを入れたみたいにドライな夏が始まるのだそうだ。それまでの雨のおかげで木々の緑は豊かだし、花々も美しく咲き乱れる、と。
一月にオレゴンに引っ越してきたときには、「五月には雨はやむから」と聞いた。それ以来、「五月になれば」とひたすら念じてきたが、最近会う人には「七月になれば」と言われる。なんだか目の前にニンジンをぶら下げて走らされている気がしなくもない。
というわけで、オレゴニアンたちは美しい夏を思って雨をやり過ごしているようなのだが、私にとっての慰めはビールである。雨のおかげで水が豊かなオレゴンにはブリュワリーがたくさんあるので、地ビールが気軽に楽しめるのだ。
地ビールといえば思い出すことがふたつある。去年だったか、ネバダとの州境に近いアリゾナの小さな街のレストランでローカルのビールを頼んだら、クアーズライトが出てきたことがあった。「ローカル」がローカロリーの略だと勘違いされたのだ。
ニューヨーク・クィーンズのバーでは、バーテンダーに、ローカルのビールある? と聞いたら、「バドワイザー?」と言われた。アジアからの旅行者だと思われたのであろう。地球規模で考えると、たしかにバドはローカルといえばローカルなのだが……。
オレゴンでローカルのビールください、と言ったら、「いろいろあるけど、どれにする?」と聞かれるだろう。オレゴン州には、
約七十のブリュワリー
がある。
週末、ブリュワリーを求めてフッドリバーという街までドライブした。ワシントン州とオレゴン州の境を流れるコロンビア川沿いの高速道路をひたすら東へ六十マイル。左手のワシントン側にはコロンビアリバー・ゴージ(小峡谷)が広がり、川を挟んで右のオレゴン側にはときおり白い滝が見える。
フッドリバーのフルセイルブリュワリーは、オレゴンのブリュワリーの中では大きなほうだ。外から見るといかにも工場という感じのコンクリートの建物なのだが、中にはパブが併設してあって、コロンビア川を眺めながらできたてビールが飲める。
アンバーエール、ペールエールと、エールが並ぶなか、ピルスナーを飲んだ。イギリス系のエールに対して、ピルスナーはラガーの一種で、チェコのピルゼンという町で作られたのが始まり。エールが主流を占めるオレゴンでピルスナーを作っているのも珍しいなあと思って飲んでみたのだが、これが軽いけれどもきちんとコクがあって、新鮮であった。
バドやクアーズなど、アメリカの代表的なビールもピルスナーなのだが、麦芽に米やとうもろこしなどを混ぜているので軽いというか薄い。それに比べると、フルセイルのは、どしっと腰の据わったピルスナーだ。普通の店でも買えるのかと思ってパブの壁際に積んであるビール瓶ケースを念入りに見たのだが、どこにもなかった。瓶詰め出荷なし、ここのブリューパブでしか飲めない、というピルスナーなのである。
翌日の日曜には、ポートランドの街にあるブリッジポートブリュワリーに行った。買い物も終わったし、ウチに帰ってテレビで野球でも見る? それとも何かほかのことする? と迷っていて、あ、ブリュワリーにでも行くか、となったのだ。この「ブリュワリーにでも」という気楽さが、地ビール天国ならでは。
ブリッジポートはオレゴンで最も古いブリュワリーである。古いといっても開業は一九八四年なのだけれど、百年以上まえに建てられた、もとはロープ工場というレンガ造りの建物は「元祖」の風格をたたえている。
工場を見学させてもらった。毎日、午後二時と五時にツアーがあるのだ。日曜だったから機械は何も動いていなかったけれど、案内してくれたブリューワー(ビール醸造者。たぶん日本酒でいうところの杜氏みたいな存在)のトムが、ビールのことを話し出したら止まらない、というくらいのパッションの持ち主であった。通常のツアーは二十分ほどなのだが、私たちのツアーは延々二時間にも及んだ。
このブリュワリーでは、エールを作っている。黒ビールも含め、エールだけ何種類も。品揃えを増やしたいなら、イギリス系のエールだけではなく、ドイツ系のラガーを作ればいいのに。なぜエールにこだわるのか聞いてみた。
「技術的にはここの工場でラガーを作ることはできるんだけど、エールのほうがビールとしての歴史があるから、伝統を継承していきたいって気持ちがあるんだよね」
とトム。男性が料理を作るとき、「本格的に」などといって高級材料を買い集めに走っちゃうことがあるけれど、それにちょっと似ていると思った。ひたすら源流を求めて川をばしゃばしゃ登っていく探検家のようでもある。ブリッジポートのエールは、男のロマンの結晶なのだな。
そして花開いたのが、ブリッジポートのIPAというビールだ。二〇〇〇年、ロンドンで開かれた権威あるコンテストで金賞を受賞したそうである。IPAとは、インディア・ペール・エールの略で、その昔、イギリスがインドを植民地にしていたころに、遠く離れたインドまでの道中に腐ってしまわぬよう、防腐剤の役目を果たすホップを多めに入れて作ったのが始まり。ホップの香りと苦味が際立つエールなのである。金賞受賞のIPAには、五種類のホップが使われているそうだ。
ツアーの後、パブで試飲させてもらった。ショットグラスにポーター(黒ビール)やバーリーワイン(アルコール度が九パーセントとやや高め)を少しずつ注ぎ、トムが差し出す。そして彼は、真剣勝負でもしているみたいに私の顔をじぃっと見つめて、私がどう思ったのかを探ろうとするのであった。トムみたいなビールオタクに凝視されていたら、仮にそのビールの味がいまひとつだったとしても「まずい」なんて到底言えない雰囲気だ。
ポーターを試した私が言葉を探していると、トムは、「モルトの香りがわかるだろ」と先回りした。黙っていられない感じなのだ。しかしまあ、そう言われてみれば、この香ばしくてほろ苦い味わいは、先ほど工場の中で齧らせてもらった深煎りの麦芽のそれなのであった。
もちろん、IPAも試した。今までにも瓶入りのを何度か飲んだことがあって、「苦いビール」とだけ思っていたのだが、ゆっくり味わってみたら、苦いというよりはスッキリとシャープな印象。そして、この香りは……?
「ホップの香りがするだろ」
またしてもトムが先回りだ。たしかに、工場の隅にある、五℃くらいに保たれたものすごく寒いホップ貯蔵部屋を満たしていた、ホップの青臭い香りが口に広がる。舌に残る苦味が、グレープフルーツのちょっとビターなシトラスっぽい。
その翌日も、ポートランドの東側にあるまた別のブリューパブに行ったのだが……まあそれはよかろう。ビールのことを書き出すと、なかなか止められなくて困る。もしかすると、ビールオタクのトムのエンドレスな情熱が伝染したのかもしれない。
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