九月には美しい秋晴れの日が続いたが、それも終わり。ポートランドに、また雨の季節がやってきた。
三カ月ほどまえに日本から引っ越してきたばかり、というアメリカ人と知り合った。ご主人が日本人で、小さな娘がふたりいる。彼女自身はオハイオ出身で、ポートランドには初めて住むという。
「明日から雨ですね」
どんよりした曇り空の下、公園で子供を遊ばせながらそう言った私に、彼女は「そうなのー?」と気軽に返事をした。この地域の、秋から冬、春にかけての雨の季節が、いまひとつピンとこないらしい。
「日本の梅雨みたいなものですか?」
彼女は日本語がとても上手で、「梅雨」などという言葉も普通に出てくる。
「うーん、ちょっと違うかなあ。いちど降り出すと、
来年四月までずっと雨
の日々なのよ」
「えっ。四月まで! それは、梅雨よりも長い!」
彼女は目を白黒させていた。
三年まえ、東海岸から引っ越してきたばかりの私も、雨が五月まで続くとか七月まで続くなどと言われるたびに目をまん丸にしていたものだが、ふと気がつけば、いつしか自分が、ポートランドの雨をネタに新入りの人を驚かせるようになっている。私のビックリした様子を見た地元の人が一様に顔に浮かべていたニヤニヤ笑いを、私もするようになった。
九月から、娘を学校に通わせている。
学校というのは実は少し大げさで、保育園とか幼稚園といったほうが正確なのだろうと思うが、彼ら自身が「学校」と名乗っているので、私もあえて逆らわずに学校と呼んでいる。
このCreative Children's Centerという「学校」のことは、去年の四月、娘が二カ月のときに、地元の新聞で読んだ。細かいことは忘れたが、子供を自由な環境に置いて創造力を花開かせよう、というポリシーの学校、というような内容だったと思う。汚いから泥遊びはさせない、とか、危ないから鋏は持たせない、ではなく、むしろ多少のリスクを承知で(もちろん安全に配慮もしつつ)子供にいろいろとやらせてみよう、と。
たまたま目に留まったこの記事を読んで、私はすっかりこの「学校」のことが気に入ってしまい、ほかの保育園などろくに調べもせずに、ここに娘を通わせるぞ! と決め込んだのだった。
まだ一歳半の私の娘が通っているクラスは、週に一度、二時間で、しかも、親同伴。小学校の教室くらいのスペースに、クレヨンと紙を用意したテーブルあり、おままごとセットあり、コーンミールを砂代わりに使った砂場あり、粘土のテーブルあり、積み木あり、絵本あり。ほかにも、水遊びができる小さなスペースもあるし、水性ペイントで絵が描けるイーゼルも用意されている。この教室の中を、五人の赤ん坊がちょろちょろと動き回り、母親たちがそれを追いかけ回す。先生がひとりいて、子供たちに遊び方をあれこれ教えたり、クラスの最後には音楽をかけてダンスを教えたりする。
ダンスのまえには、mini mealというおやつの時間もある。最近、日本では「食育」という言葉をよく耳にするが、この学校のおやつも、それに近い。「スナックの時間も『学び』の機会です」というのだ。日本とちょっと違うのは、健康的に食べよう、とか、食べ物について知ろう、だけではなく、食べ物で遊ぼう、という点。このおやつに関するガイドには、「小さく切った果物と爪楊枝で、いろいろな形を作る」とか「クラッカーにピーナツバターとレーズンで顔を作ろう」とか書いてある。
ユニークなのは――そして、ちょっと面倒くさいのは――このおやつを親が持ち回りで用意しなければいけないことだ。ガイドには、「おやつイコール甘いものと考えず、ミニ・ミール(ちょっとした食事)と考えて、ヘルシーな食べ物、飲み物を用意してください」とある。
食べ物がからむと、私のなかの日本人としての血が騒ぐ。いっちょう、かっぱ巻きでも作って持って行くか、と気合を入れたのだが、よくよく読んだら、「店で買ったもの、そして封を切っていないものを持ってくること」と書いてあった。
第一週目は、上の子もこの学校に通わせていたのでミニ・ミールには慣れているというロリが、トルティーヤにチーズをはさんで焼いたケサディーヤを作った(ホットプレートとか、卓上調理器、鍋など簡単な調理器具は学校に用意されている)。アレハンドラは、パンとチーズとストロベリー、ラズベリーなどのベリー類を持ってきた。三週目のジェニファーは、ほうれんそうと豆、二種類のディップに、クラッカーとチーズ。
そして私の番。考えに考えた末、日系スーパーで買った、冷凍の枝豆を持っていって、教室で茹でた。アルゼンチン出身のアレハンドラだけは、「これなんていうの? 全部食べるの? それとも中だけ?」と珍しそうにしていたが、あとのアメリカ人は慣れた手つきで豆を食べていた。「エダマーミ」と呼ばれる枝豆は、いまや普通のスーパーの冷凍食品売り場にも売っているくらいポピュラーなのだ。赤ん坊たちは母親に剥いてもらった豆をもくもくと口に運んでいたが、母親たちも、「もうやめなくちゃ」とか言いながら枝豆の皿に何度も手を伸ばしていた。
緊張して迎えたおやつ当番の第一回を無事にクリアして、ほっとしたのもつかの間。実は、学校がらみで、少し気が重いことがある。それは、十一月に開かれるオークションである。
このオークションは、学校運営のための資金集めが目的で毎年開かれており、今年が十五年目なのだそうだ。年を追うごとに規模が大きくなり、去年は三百人を超える人が参加したとか。
ひとり三十ドルのチケットを夫と私のふたりぶん買って参加することになるこのオークション(食事、ドリンクつき。子供は連れて行かれないイベントなのでベビーシッターに預ける)じたいは、楽しみなのだ。気が重いのは、オークションにかけるための賞品・寄付集め。学校の資金集め係の人たちはもちろん、生徒の親たちも総動員である。
私たちに課せられているのは、「七十五ドル」。地元のさまざまな店や団体などに働きかけて、商品、商品券、または現金の寄付を募る。その
一人当たりのノルマが、七十五ドル
というわけ。そんな面倒くさいことやりたくないという人は、自分の懐から七十五ドル出して学校に払う。七十五ドルまで寄付が集められなかった場合も、おそらく個人が差額を補填することになる。
オークションのためのガイドにはこう書いてある。
「あなたがよく行くお店に、オークションのレター(寄付を募る内容で、学校があらかじめ用意したもの)のコピーを置いてきましょう。レターは車に常備しておくこと」
「電話帳で適当に選んだ店や団体に、レターを郵送しましょう」
店に飛び込んで行って、「学校に寄付をお願いします」などと言う勇気はない。だから、思いつくまま、三十ほどの商店やレストランなどにレターを郵送してみた。切手代が十二ドルちょっと、それに封筒が数ドル。これでノルマの額を超える寄付が集まればいいが、集まらなかったら無駄な出費である。
七十五ドルを「上納」するには、実はほかにも方法がある。オークションで買い手がつくようなモノやサービスを自分が提供できればいいのだ。
ガイドには、キルトや絵、陶芸などの芸術や、庭仕事や大工仕事といった労働系、それに料理などができる人は、それを「寄付」することもできます、とある。料理の項目には、子供向けのティーパーティーとか、六人の大人を招いてのインターナショナルディナーを催す、などというのが例として挙げられている。
私がレターを送った三十店からの寄付が七十五ドル集まらなかったら、ジャパニーズディナーでも作るか? などと思いつめたりするわけだが、しかし、大人六人分ものディナーとなると、材料費プラス自分の労力を考えたら、七十五ドルでは割が合わない。こういうのは、割に合うとか合わないとかということを考えずに、純粋に楽しめるような人でないと向かないのだろう。
というわけで、ユニークな学校のユニークな資金集めで、ちょっと頭が痛いのだ。七十五ドル、どこかに落ちてないかな。
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