ヒラリー・スワンクが出ている映画はもう見ない。
遅まきながらMillion Dollar Babyを見て、そう心に決めたのだ。
我が家が加入しているケーブル会社の、オンデマンドというサービスを初めて利用してみた。これは、「見たいときに見られる」というサービスで、ケーブルボックス専用のリモコンでタイトルを選んでボタンを押すと、見たい映画がその瞬間から見られるというもの。以前は、映画は選べても開始時刻までは選べなかったから、ケーブル会社が放映するスケジュールにこちらが合わせなければいけなかったが、いまはその必要がない。ビデオ屋(いまはDVD屋と呼ぶのですか)にも足を運ぶ必要がなくて、大変便利。これで3ドル99セントは価値がある。
が、このシステムの「穴」は、肝心の映画のラインナップだ。優に百を超えるタイトルをアルファベット順にざーっと見ていったところ、見たい映画がちっともない。小さい子供がいて映画にはとんとごぶさたの私も、世間でどんな映画が封切られて、なにが流行っているのかぐらいはいつも新聞でチェックしている。が、このオンデマンドのラインナップには、知っているタイトルがほとんど見当たらないのである。放映権の関係だろうか。聞いたこともないような、
Bな匂いがぷんぷん
するタイトルばかりが並んでいる。
そんななかに、今年のアカデミー賞の作品賞(ばかりか監督賞、主演女優賞、助演男優賞)受賞作品を発見したのであった。掃き溜めに鶴。
そういうわけで、Million Dollar Babyを見た。てっきりヒラリー・スワンク演じる女ボクサーの這い上がり人生を描いたものかと思っていたら(途中まではそうなのだが)、中盤、話が急展開したので驚いた(どう展開したのか言いたくてたまらないけれど、まだ見てない人がこれを読んでいたら申し訳ないのでやめておく)。見たあとは、なんともいえない悲しい気分になった。どーんと腹に一発パンチをお見舞いされたような、重みのある映画だったけれど、もう二度と見たくない。悲しすぎ。
まえにもこんな気分になったことがあったなあ、と思ったら、ヒラリー・スワンクが最初に主演してやはりアカデミー賞を受賞したBoys Don't
Cryも同じような映画であった。こちらは性同一性障害を抱えた少女(自分は男だと思っている)という役どころだったが、これも絶望的に悲しすぎて二度と見たくない映画だ。
ヒラリー・スワンク主演の映画は要注意である。
芸術の秋、などといいながらいろいろ映画を見ているのだが、Sidewaysは面白かった。別にアカデミー賞モノを狙って見ているわけではないが、こちらも、今年のアカデミー脚色賞受賞作品。
別れた妻に未練たっぷりのダメ男が、もうすぐ結婚する悪友とふたりでカリフォルニアのワイナリー巡りをするという話である。この親友というのが二流の俳優で、旅行のあいだ頭のなかにあるのは、身を固めてしまうまえに女の子と寝たい、ということだけ。ワインに詳しいダメ男としては、真面目にワイナリーを回りたいところなのだが、そんな彼も、前から憎からず思っていた女性が自分に気があるのかもしれないと気づいて、しょぼくれていた心にさざなみが立つ。
いちばん感心したのは、悪友役のトーマス・ヘイデン・チャーチだ。この人の、「若いころにちょっとテレビで売れた落ちぶれ俳優(ちょっとバカだけど気は優しい)」ぶりには腹を抱えて笑った。結婚するまえに嫁以外の女の子と遊んでおく必要がある、とダメ男に熱っぽく語ったり、女の子(と思っていたら亭主持ちだった)の部屋に財布(数日後に控えた結婚式に使う大事な結婚指輪入り)を残してきて、それを「どうしても取りに行かなければいけない、行かなければいけないんだようー!」とダメ男に訴えたり。そのいちいちがいやに大げさで妙に芝居がかっていて、「アンタ、それじゃ売れなくても仕方ないよ」という感じなのだ。
この映画のもうひとつの見どころは、ワイン。セッティングがカリフォルニアのワイナリーだし、主人公はワインをこよなく愛する男だしで、全編ワイン尽くしである。ダメ男のワイン好きには目を見張るばかりなのだが、ちょっと滑稽なところもある。
ワイナリーの試飲コーナーで、グラスに入った赤ワインを上にかざして色を見たり、ぐるぐるグラスを回したりしたあと、グラスに鼻を突っ込み、くんくん匂いを嗅ぐ。鼻から飲むのかというくらいの勢いで。そして、
「あー、シトラスの香りがするね。うーんと、ストロベリーの香りもするなあ。パッションフルーツも感じるよ。……あ、あ、ほーんのちょっとだけど、アスパラガスの香りもあるぞ。それに、ああー、ナッツみたいなフレーバーのエダムチーズの匂いもするねええ」
などと、このワインがどんな香りなのかを延々言い続けるのである。
こういうのを目にすると、マニアの世界は奥深いのだなあと尊敬の念を抱きつつも、その真面目さのなかにひそんだ滑稽さにちょっとくすっとなってしまう。
以前、日本でソムリエが流行り始めたころ、雑誌の対談で、ある女優(わりに早くソムリエの資格を取ってちょっと話題になった人)が、
「濡れた子犬の匂い」
などとワインを表現したりすることもある、と言っていたのを思い出した。
犬(しかも濡れた)まで持ち出すとは。
マニアがみんなでグラスに鼻を突っ込んで、
「犬の匂い? ……ああ、するする! そうそう、子犬ね。しかもビーグルの生後三週間くらいのが十一月の雨に二十分くらい打たれたあとの匂いだね!」(一同うなずく)
なんてやっているのかと思うと、ワイン愛好家の世界もなかなか微笑ましい。
ところで、こういうワインに詳しい人に言ったら「えっ」と短く叫んで絶句されてしまいそうだが、なにを隠そう、最近私は
赤ワインを冷蔵庫で冷やし
て飲んでいる。
日常的にワインを飲みたいなあと思ったのだ。からだにもいいらしいし。で、和食(というか炒め物、揚げ物ありの家庭料理)と一緒に飲んでみたのだが、赤ワインはそのままではどうもしょうゆとは相性がいまひとつよくない。
それで、冷やしてみたらどうなの? というわけで冷蔵庫に入れてみたところ、赤ワイン特有のむっとくる感じがなくなり、すきっとして、しょうゆと合わせてもあまり気にならなくなった、というわけ。
日々、冷たい赤ワインを飲みながら、頭の隅で「ソムリエたちに目を剥かれちゃうかなあ」とやや後ろめたく思っている。が、一方では、造詣が深い人ほど懐が深いのではないか、という気もしている。ソムリエ第一人者といわれる田崎真也などは案外、「ワインなんて好きに飲めばいいんです」と言ったりするのではないか。自分に都合よく想像しながら、冷えた赤ワインを飲んでいる。
Sidewaysのワイン好きの主人公も、べろべろになるまでワインを飲んだり、別れた妻がほかの男と再婚したと知ってカーッとなってワインをぐびぐびラッパ飲みしながら畑のなかを走り回ったり、マニアのあいだでは垂涎モノの一本をファストフード屋にこっそり持ち込んでプラスチックのカップで飲んだり(まあこれにはそれなりの理由があるのだが)と、けっこうやりたい放題だ。もったいつけて薀蓄をたれながら格調高く味わっているときと、めちゃくちゃに飲んでいるときとの落差が、人間臭くて面白い。
というわけで、このワインおたくのダメ男の飲みっぷりに安心して、私も冷たい赤ワインを飲む日々なのだが(フィクションの登場人物の行いに安心したところで仕方ない気もするが)、つい先日、オレゴニアンという地元紙の記事を読んで、むむっとなってしまった。
それは、ワインではなくて、リンゴに関する記事であった。レッドデリシャス、ハニークリスプ、ブレイバーン、ピンクレディー……それぞれの品種のリンゴが、どういう味やテクスチャーで、どんなふうに食べるのに適しているか、が紹介されていた。
そのなかに、日本発のフジに関する記述もあったので興味深く読んだわけだが、「甘くてさくっとしていて、ピーナツバターをつけて食べるとおいしい」と書かれているのを見て、思わず「なにーっ」と声を荒げてしまった。
どうしてリンゴにわざわざピーナツバターなんかつけて食べるんだろう。甘くてさくっとしてるなら、そのまま食べればいいのに。
アメリカ人の味覚はいつまでたってもわからない。
いきりたった私は、しかしながら次の瞬間、赤ワイン冷やして飲んでる私がとやかく言えた義理でもないか、と刀を鞘に納めたのであった。
ひとの味覚に寛容になった秋である。
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