surprise
attack(名) 不意討ち
カイロに行ってきた。
いや、エジプトのカイロではなく、カイロプラクティック。
床に腹ばいになって、もうすぐ二歳になる娘と一緒にお絵かきをしていたのだ。やりだすとけっこうムキになる私は、夢中になってカメの絵をスケッチブックに描いていた。
すると、つい今の今まで私の目の前にいたはずの娘がいない。「あれ?」と思ったその瞬間、後ろから、「ジャンプ!」というかけ声とともに、首にドシンと衝撃が。いつのまにか私の後ろに回っていた娘が、首に跳びかかってきたのだった。
「いててて……。痛いよ、やめてよ」
そのときはちょっと涙が出たくらいで済んだが、問題は翌朝。
首が、回らないのだ。寝違えのひどいヤツという感じ。モジリアニの絵のモデルみたいに、首をかしげたままでしかいられない。Tシャツを上から被るときには首から脳天にかけてびーんと電気が走ったように痛いし、車を運転しているときにはまっすぐしか見られない。曲がり角では、いちいちギアをニュートラルに入れてクラッチを切り、腰から上を全部ひねって、ほかの車が来ないかどうか確認しなければならない(あんまりもたもたしていたので、何度かストップサインで後ろの車にクラクションを鳴らされた)。高速道路では、首を回して死角をチェックできないから、進路変更がほとんど命がけであった。
ようやくたどり着いたカイロプラクティック医院では、半分ジャパニーズという若い女の先生が、「二番目と三番目の骨があっちとこっちを向いちゃってますね」と背骨の模型を使いながら、気の毒そうに説明してくれた。カイロの甲斐もなく痛みは数日続き、おまけに吐き気までしてきた(肩こりがひどいときには吐き気がするというが、首の痛みでも同じ症状が出るらしい)。
身長が七十センチとちょっと、体重は十キロにも満たないチビにちょっと乗っかられたくらいですっかりガタガタになってしまうというのも我ながら情けないが、しかしまあ当たりどころが悪かったというか、すぱーんとツボ(?)に入ってしまったのだろう。
これから娘のお転婆ぶりは増すだろうし、おまけに体重も増える(こちらは衰えるいっぽうだ)。
敵にはうかつに背中を見せないこと、と心に固く誓った。
page turner(名) 読むのをやめられないくらいに面白い本
スーパーで買い物をしている途中に、声をかけられた。
六十半ばくらいの女性。白髪まじりのおかっぱに、紺色のウールのコート。銀縁の眼鏡。
最初はなんと言われているのかわからなかった。娘を連れているとそのくらいの年恰好の人に声をかけられるのはしょっちゅうなので(彼らは赤ん坊が好きなことに加え、東洋系の子供には目がないのだ)、笑顔で適当な返事をしておけばいいかな、という考えが一瞬よぎった。
しかし、そのときはなんとなく気持ちに余裕があったから、
「なんですか?」
と訊き返した。すると彼女は、
「その本、私も読み始めたところ」
と言った。
私のショッピングカートに、すぐそばの本屋で買ってきたばかりの本が入っていたのだ。
最近、子供中心の生活パターンで映画もろくすっぽ見られない私にとっては、子供を寝かしつけてからの読書はなによりの娯楽である。が、本屋に子供連れで行くと、ゆっくり本を選んでいる余裕はない(娘はちょっと目を離すと本棚の迷路をトコトコと駆けていき、下のほうの段にある本をすべて出してしまう)。
だから最近の私の本選びは、新刊のところをざーっと見て、題名やカバーのデザインなどで決める「フィーリング買い」。打率はちょうど五割といったところ。ほとんど唯一といっていいほど楽しみにしている娯楽だから、新しく買ってきた本がいまひとつだと、心底ガッカリする。
その日に買ってきたのは、Before You Know Kindnessという本。短編集を買いたかったのだが、見つからなかったので仕方なく手に取った小説だ。作者はChris
Bohjalianという聞いたことのない人で、決め手はなんだったのだろう――自分でもわからない。娘がぐずり出したから気が急いて「どれでもいいや」と手当たり次第になっていたのと、強いて言えばカバー――ビキニを着た若い女の子がホースで頭から水をかぶっているセピアがかった写真――が、ちょっと気に入ったぐらいか。
というわけで期待もせずに買ってきた本のことで声をかけられたので、面食らった。
「買ってきたばかりなんだけど……面白いですか?」
私は恐る恐る訊いた。
彼女は、眼鏡の奥の目を見開いて、大きく頷いた。
「面白いわよぉ。この人の本は、どれもハズレなし」
ホントかね? と思いつつ、その日の晩から読み始めたその本は、たしかにやめられないくらいに面白いのだった。
動物愛護団体でPRをしている狂信的なベジタリアンのスペンサーという男が、自分の娘にライフル(このライフルは、スペンサーに内緒でディアーハンティングを始めたばかりという義弟の持ち物)で右肩を撃たれて障害者になってしまう、というのが大まかな筋。
こんなふうにいってしまえば単純なはなしだが、もちろんそこには事件にまつわる家族の事情や個々人の思惑、それに動物愛護団体の下心などいろいろと渦巻いているわけで、それを、作者はすべての登場人物の心の内を明かしながら語っていく。ストーリーテリングのうまさでは、ジョン・アーヴィングを思わせる。が、アーヴィングのような、人を食ったみたいなニヤニヤ笑い(これがアーヴィングの魅力でもあるのだが)は感じられない。緻密に練られたはなしが実に淡々と(もどかしくなるくらいに淡々と)展開し、読んでいるこちらは、次にどうなるのかが知りたくて本を置くことができずに毎日寝不足なのだ。
この作者は、ほかにもいくつか小説を出しているらしい。これからしばらくの間、本探しには苦労しなくてすみそうだ。金鉱を掘り当てた気分である。
well-organized(形) キチンとした
元ご近所さんであるスコットとゲイルに呼ばれて、彼らの家にクリスマスブランチに行った。
彼らは私たちがこの四月まで住んでいた家の二軒先に住んでいて、毎年クリスマスまえの日曜にブランチパーティーを開くのだ。
楽しみは、スコットが作るスモークサーモン。ハムみたいに薄く切って食べる半生タイプではなくて、スモークしながらしっかり中まで火を入れるサーモンである。スモークするまえにマリネ液によく漬け込んでいるから味がよくしみていて、しかもしっとりしている。裏庭のバーベキューグリルで半日だか一日だかかけてじっくりスモークするのだそうだ。
「いままで食べたサーモンのなかでいちばんおいしい」
夫とふたりで褒めちぎると、スコットは「カンタンなんだよ。今度、レシピをあげるよ」と言うが、くれた試しがない。門外不出のレシピとみた。
彼らの家は、いつ行ってもキレイである。ふらっと立ち寄ったときにも、まるでいま掃除したばかり、とでもいうようにキチンとしている。
クリスマスブランチのときには、この季節ならではのデコレーションがあちこちにほどこされていてさらに美しくなる。
明るいリヴィングには、ピンク色で統一されたオーナメントが美しい背の高いツリー。ダイニングやキッチンの窓辺には、モミの木の葉に赤いリボンをあしらった品のいいデコレーション。キッチンカウンターには、小さなツリーに色とりどりのオーナメント。そして、部屋のあちこちには、クリスマスヴィレッジ。これは、建物の模型やら人形やらを並べてヨーロッパふうの街を作るためのもので、コレクターはこの模型を何十も何百も集めて、毎年クリスマスヴィレッジ作りを楽しむのだそうだ。
ゲイルとスコットの家に行くと、私はいつもそのキレイさに影響を受け、「ウチもキチンとしよう」と思う。家に帰ると、さっそく、がさつに積み上げられている郵便物や新聞を片付け、焦げがこびりついたガスレンジを磨き、ガラクタがぎっしりで開かなくなった引き出しを整理する。しかし、その影響も三日くらいで薄れてしまい、結局我が家はいつものとおり散らかったままになる。
「ほんとうにあなたたちの家はいつもキレイねえ」
私が感心していたら、スコットはニヤリと笑って、「いいもの見せてあげる」と、キッチンカウンターのメモホルダーから一枚の紙を取り出した。
それは、買い物リストであった。上半分には、「水曜:ハンバーガー、木曜:チキンサラダ、金曜:タコス」などと献立が書かれ、下半分にはそれらを作るのに必要な材料がリストしてある。
スコットとゲイルは毎週日曜に、その週のお互いのスケジュールを話し合い、何曜日に一緒に家で夕飯を食べるのかを確認するのだそうだ。そして、一週間分の献立を考えて、なにを買ったらいいのかをリストアップするとのこと。
いつでも行き当たりばったりの私は、それだけでも、彼らの計画性にいたく感心するわけだが、よく見れば、下半分の買い物リストに書かれたアイテムのひとつひとつがカテゴリー別に色分けされている。スーパーマーケットで、どの売り場でなにを買えばいいのか一目でわかるようになっている、というわけ。
ほんとうにキチンとしている人というのは、買い物メモひとつ作るのでも、こんなにキチンとしているのだ。
買い物メモを書いてもその紙をスーパーに持っていくのを忘れてしまうようなだらしのない私には、彼らみたいに家のなかをキチンとするのはおそらく不可能であろう。今年は、彼らに影響を受けて家のなかを片付けて回るのはやめた。
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