アメリカのおいしい生活
2月
6日月曜日

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  #68  社会勉強にはお金がかかる
 
 

 ここのところ、クルマ関係のことがどうもいけない。
 十日ほどまえの晩、夫が、「告白することがあるんだけど……」と切り出した。イヤな予感。
「なに?」
「えーと、交通違反の切符を切られてしまいました」
 私と目を合わせずに告白する彼によれば、その日からさらにさかのぼること二週間のある晩、会社からの帰りに、

カメラつきの交差点でぱしゃっと

写真を撮られたのだそうだ。
「どうして撮られたの?」
「えーと、あの、その、黄色だと思ったんだけど、信号が赤だったところを通過してしまったようで」
 信号無視の証拠写真を撮られたらしい。
「で、罰金はいくら?」
 私が訊くと、夫の視線がさらに宙を漂った。
「えーと、さんびゃくさんじゅうどる」
「なにーっ!」
 こういうお金の出て行き方が、いちばん情けない。いや、ルール違反をしたのはウチの夫なのだから仕方がないことなのだが、それにしても。
 以前に聞いた話だが、ブッシュ大統領がポートランドを訪ねた後、あちこちでネズミ捕りがさかんに行われたとか。なんでも、大統領の警護に莫大な費用がかかってしまったらしく、その穴埋めのために罰金集めに躍起になったそうな。
 また、よく耳にするのは、警察がノルマ(罰金徴収達成目標とかいうのがあるらしい)を達成したいがために、月末は取締りが厳しくなる、という話。
 こういうのを聞くと、思わず「不条理」という言葉が頭に浮かぶのだ。まあ、今回のことはスピード違反とは違うし、それに、ルール違反をしておいて、不条理だ、などというのもおこがましいのだが。
「もしかしてこれを含めると、三年まえにオレゴンに移ってきてから、私たちもう千ドル以上交通違反の罰金払ってるんじゃない?」
 私は、なかば冗談で――いや、まんざら冗談でもないのだが――言った。
 恥ずかしながら、我が夫は、これがオレゴンでの三度目の交通違反なのだ。一度目は、二〇〇四年の夏、週末にちょっと遠出のドライブをした先でのスピード違反。工事区間だったために、罰金は二倍という厳しさであった(週末で工事なんかしていなかったのに)。二度目は、去年のいつだったか、メキシコ出張から戻った夫が、ポートランド空港からウチに戻るときに高速道路でつかまった。やはりスピード違反。
「こうなると、交通違反の常習犯だよね。免許取り上げろ、って感じじゃない?」
 私が皮肉っぽく言うと、夫は、珍しく深刻な顔をして、「実は……」と言い出した。
 夫のところにこのたび送られてきたチケットによれば、一年半の間に三回、ムービング・バイオレイション――車が動いている間に起こった交通違反で、信号無視やスピードオーバーなど――を繰り返した場合、深夜十二時から早朝五時までの車の運転が禁止となるそうだ。また、二年間に四回の場合は、一カ月免許取り消し。
「二〇〇四年の夏にやったスピード違反、あれ、いつだっけ? 七月? 八月? 八月ならアウトだなあ。まあ、夜はどのみち運転しないからいいけど」
 その後の調べにより、どうやら一年半の間に三回というのは免れられそうだということがわかった。が、二年間で四回という方は、これから半年間の夫次第ということになる。
「制限速度で走ってよねっ」
 口やかましく注意する毎日だ。
 
 もうひとつ、クルマ関係で大変だったのは、事故である。すこしまえ、私の車が交差点で後ろから追突された。
 事故といっても、たいしたことはないのだ。交差点を越えたところで前が詰まっていたのでブレーキを踏んだら、後ろのクルマが止まりきれずに私の車にドン! とぶつかってきた。雨の日の午後六時。
 シルバーのシビックから降りてきたのは、若い東洋系の女の子。「大丈夫でしたか?」と声をかけてきた。
「大丈夫」
 そう言いながら、私のクルマの後ろに回って、ダメージを確認する。ドンという音のわりにはたいしたことがなく、バンパーの下のほうに少し深めの小さな傷が二、三箇所。
「ごめんなさい。大学の授業があって、急いでいたもので」
 くりっとした目に、肩までのストレートの髪がかわいらしい彼女は、そう言い訳した。グレーのパーカにジーンズといういでたちが、いかにも学生さんという感じである。
「警察、呼ぶ?」
 私は訊いた。どんなに小さな事故でも、警察を呼んでレポートを書いてもらうこと、というのが以前住んでいたニュージャージーでの鉄則であった。法律でそう決められているというわけではなさそうだったが、そう聞かされていた。
 キュートな学生さんは警察と聞いて一瞬ひるみ、それから、「あなたがそのほうがよければ、呼んでもいいけど」と。彼女の表情は、「こんな小さな事故、警察なんか呼ばなくても」と言っていた。
 結局、その場でお互いの保険の情報をやり取りすることに。学生さんはシビックから分厚いノートを取り出してきて、保険会社の名まえだの、契約番号だのを書き始めた。
「はい、これ」
 彼女が私に手渡したノートの一ページを見て、私はビックリした。彼女の名前はウチの娘と同じ――メグミ――だったのだ。
「あなたもメグミっていうの? ウチの娘もよ!」 
 後部座席に取り付けたカーシートのなかに座っている娘を指差しながら、私は小さく叫んだ。学生さんも、「ええーっ」と、少なからず驚いた様子。
 日本でなら、ほかのメグミさんと出会うことなど珍しくもないだろう。が、アメリカで、メグミという名のアメリカ人(日系とはいえ)にクルマをぶつけられるなんて。
 事故を起こした相手に親近感を覚えてしまうというのは、あまりいいことではない。できれば、事務的に淡々と処理したい。
 事故の翌日、私は保険屋に連絡を取った。保険屋指定の修理屋にクルマを持ち込んで、修理の見積もりもしてもらった。小さな傷だが、バンパーとその下の黒いプラスチック部分にまたがっているため、少し修理が複雑になるらしい。直すのに、五百六ドルかかるとのこと。
 それを保険屋に伝えると、
「事故の状況から見てあなたに落ち度はないようですから、相手側の保険会社から全額支払われるはずです。修理には何日かかると言われました?」
「二日か三日」
「それでは、レンタカーの手配もできますよ。一日三十ドルまでなら相手側の費用で借りられます」
 かわいらしいメグミさん、かわいそうになあ。来年の保険代が高くなるぞ。私は胸が痛んだ。
「それから、修理代が五百ドルを超えているので、事故のときにクルマに取り付けられていた子供用のシートを買い換えることをおすすめします。もちろん、あなたのほうにコストはかかりません」
「は? いえ、衝突のインパクトはたいしたことなかったので、それはいいと思うんですけど……」
「軽い衝突でも、カーシートにどんなダメージが起こっているかはわかりません。外から見たらなんともないように見えても、内部でどこかが壊れていることもあります。修理代が五百ドル以上かかる事故の際には、カーシートを買い換えることをおすすめしています」
 保険屋さんのお姉さんは、淀みなく言った。アメリカ人の、安全(それも子供の安全)を徹底的に追求する姿勢が、こんなところに現れる。
「その費用というのは、事故を起こした人の保険でまかなわれるんですよねえ……」
「もちろんそうです」
「あの、衝突は、ホントにコツンって感じだったので、カーシートが壊れているとは思えないんですけど……。もしも私がぶつけた方の人だったら、『あの程度の事故でカーシートを買い換える? そんなのまで私は負担しない!』と言うと思うんですが……」
 メグミさんの落ち度につけこんで買わなくてもいいものまで彼女の負担で買おうとしているようみたいで、気がひける。
「これは法律で決められたことなので、払わないわけにはいかないんですよ。まあもちろん、あなたがそうすることを望まないなら構わないんですが」
「はあ、そうですか……。それでは、どうしたらいいんですか?」
 始めは、そこまでしなくても……と思っていた私だったが、そこまで言われると、新しいのを買わなければいけないような気になってくる。
「どれでも好きなのをご自分で買って、そのレシートをこちらに送っていただいたら、その代金をお支払いします」
「あの、上限はないんですか?」
「ありません。四百ドルのを買ったっていいですよ。どれでも好きなのをどうぞ」
 近所のショッピングセンターにある、高級ベビー用品屋のことがちらりと頭をよぎる。

上限がないなら、あの店で

ゴージャスなカーシートを買っちゃうか? なんて。ちょっとまえまで、買い換えの必要はないでしょう……などと思っていたのがウソのよう。
 いくらなんでも、四百ドルのシートは買わないと思うが、結局のところ、今回の衝突事故でかかる費用は、全部で八百ドルくらいになりそうだ。ほんのコツン、で八百ドル。
 メグミさん、かわいそうに。彼女の来年の保険代はずいぶん値上がりすることであろう。まだ学生さんだから大変だろうなあ。
 まあ、メグミさんにとっては、これも社会勉強ということだろう。交通事故を起こすと高くつく、という授業料である。
 そういうウチも、交通違反で多額の「授業料」を払って、いまやイヤというほど社会勉強をさせてもらっておりますが。

 
 
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