アメリカのおいしい生活
2月
20日月曜日

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  #69  魔のお誕生会(今年はセーフ)
 
 

 我が家のテレビが言うことを聞かなくなってきた。画面がついたかと思うと、ぱっぱっと白くなったりする。まるでテレビが、ぱちぱちとまばたきしているみたいだ。
 よりによって、楽しみにしていたオリンピックが始まった途端に、これである。悪意を感じずにはいられない。
 このテレビは、三年まえに人から譲ってもらったものである。三十三インチ。ほかのメーカーよりも少し高めの価格設定のせいでステータスが高い、SO○Y製。
 中古とはいえ、そんなに古いものではないのだ。製造されてから、せいぜい、五、六年のはずである。それがもう壊れてしまうとは。
 実は、いまのテレビのまえに、同じブランドのまったく同じ型のテレビをやはり人から譲ってもらって使っていたことがあるのだが、これもたいして古くならないうちにダメになってしまった。信頼の置けるブランドだと思っていたのに。
 我が家に、もう一台、やはり人から譲ってもらったテレビがある。木目調のデザインが古めかしい、二十インチ。昔はナショ○ルと呼ばれていたメーカーのものだ。
 こいつはもうかれこれ二十年選手であろうかという骨董品テレビなのだが、いまだなんの問題もなく使える。テレビというものは、昔のほうが、しっかりと作られていたのか。それとも、ブランドの違いだろうか。
 唯一の問題は、この働き者のテレビが寝室に置いてあることだ。毎晩オリンピック放送が始まるころには、その部屋で娘が寝てしまっているから、テレビをつけるわけにはいかない。
 そんなわけでここのところ夫と私は、顔面神経痛気味にぱちぱちとまばたきするテレビに悪態をつきながら、途切れ途切れのオリンピックを見ている。

 早いもので二月ももう半ば過ぎ。もうすぐ娘の二歳の誕生日だ。
「お誕生日会、するの?」
 娘を一緒に遊ばせている子供らの母さんたちから何度か訊かれて、そのたびに私は、うーん、と唸ってしまった。二歳なんてまだたいして物事がわかっていないだろうからお友だちとの誕生会などしなくてもよかろう、と思う。その一方で、そうはいっても娘も最近いろいろとわかってきたようだから、みんなに囲まれてハッピーバースデーなど歌ってもらったら、あんがいうれしいのではないか、という気持ちもないではない。
 本人が楽しめるのなら、誕生日パーティーやろうかなあ。でも、準備が大変そうだしなあ。
 どちらにしようか決めかねていた折、先輩母さんである友人のNさんのはなしを思い出した。
「三歳くらいから誕生パーティーのプレッシャーが始まりますよ。子供たちの

小さな頭の半分は誕生会、

残りの半分はクリスマスプレゼントのことでいっぱいなのだから」 
 以前はアメリカ数カ所に住み、いまは東南アジアのある国に駐在しているNさんは、去年、小学生の娘さんのクラスメイトを九人ほど呼んで、ホテルでハイティーの誕生パーティーを催したのだそうだ。
「毎年、どんなパーティーにするかは、母親の頭痛の種です。以前アメリカに住んでいたころ、公園でのパーティーを終え、後片付けをしてへとへとで家にたどり着いたとたん、五歳の娘が『来年はねー』と言い出してげっそりしたことがありました。本人は喜ぶし、それによってお友だち関係がうまくいくこともたしか。やめたくてもやめられない、魔のお誕生会なのです」
 お誕生会など、子供がいなかったころにはまったく無縁だった世界だが、こうしてフタを開けてみると、けっこう不穏な空気が渦巻いていそうである。お招きを受けたら手ぶらで行くわけにはいかないからプレゼントを調達しなければならないし、こちらが招き返さないというわけにはいかないだろう。それに、一度ウケたからといって、毎年同じようなパーティーでは子供も納得しないだろうし。
 そういえば、ちょっとまえに日本の新聞で読んだのを思い出した。日本の私立小学校では、誕生日会を禁止するところも出てきている、と。パーティーの企画やプレゼントの値段などがどんどんエスカレートしてしまっているから、というのがその理由だった。
 私が子供のころは――と思い始め、それが三十年以上もまえだということに愕然とするのだが――お誕生会など、ほとんどなかった。私は一度だけだれかの家に呼ばれたことがあるが、私自身の誕生会を催した覚えはない。別に私が不人気な子供だったからではなく(たぶん)、そういう時代だったし、そういう土地柄であった。
 思えば、家族にさえ賑々しく誕生日を祝ってもらったことがあっただろうか。夕飯のおかずに母が好物の唐揚げを作ってくれた、とか、ケーキを食べた、とか、その程度だったような気がする。自分の誕生日がとりたてて楽しい家族団らんの日だったという記憶がない。
 プレゼントももらったかどうか――いや、いくらウチの両親がそういう楽しい企画に疎かったとはいえ、プレゼントくらいはきっともらっていたのに違いないのだが、正直なところ、なにをもらったのか記憶がない。ただひとつだけ覚えているのは、小学生のある年に父がくれたそろばんである。
 私は、小学校三年くらいからそろばんを習い始めた。周りがピアノだスイミングだとハイカラな習い事をしているなか、母が「とにかく読み書きを」という信念の持ち主だったため、私は習字とそろばんといういたって地味な習い事をさせられた。
 習い始めのころは、母が家計簿をつけるときに使っていた、十五センチくらいのおもちゃみたいなそろばんを使っていた。が、そのうちに珍しく父が、今度の誕生日に大きなそろばんを買ってやろう、と言い出した。
 普段、誕生日プレゼントなどというしゃれたものとは無縁の父が買ってきたのは、そろばん塾の先生が使っているような、三十センチ以上はあろうかという長くて立派なものだった。計算を始めるまえに、右手の人差し指を滑らせて五の玉を上にあげると、

じゃーっといい音

がした。赤っぽい茶色の玉ひとつひとつが、つやつやとしていた。
 その新しいそろばんの右手前には、私の名前がローマ字で書かれたステッカーが貼ってあった。八ミリ幅くらいの厚手の赤いプラスチックで、ブロック体の字の部分がぼこぼこと浮いて白く見えるタイプのステッカーだ。
 父が、会社の事務の女の子に打ってもらったようであった。いまは名まえのステッカーなど家庭で簡単に作れるが、そのころは、名まえが印刷してあるステッカーなど珍しい時代であった。しかもそれがローマ字で書かれているというのが、小学生の私にはなんともおしゃれに映った。
 そのステッカーには、しかしながら、間違いがあったのだった。私の旧姓は藤原という。ほんとうならFUJIWARAと書かなければいけないのに、FUGIWARAとなっていたのだ。父はローマ字などよく知らなかったのだろうし、頼まれた会社の女の子も、あまり得意なほうではなかったのだろう。私は、「これじゃあ、フギワラだよ」と父に言いそうになるのをあやうく飲み込んだ。
 その代わりに、一から百までの足し算がどのくらい速くできるかを、その長くて真新しいそろばんを使って父に何度も何度もやって見せたのを覚えている。
 
 娘に、「誕生日になにが欲しい?」と訊くと、なぜか「サンタ」という答えが返ってくる。まだ小さすぎて、なにかを買って欲しい、という欲求はなさそうだ。それじゃ、テレビなんかいいんじゃない? などと、子供の誕生日にかこつけて自分たちの欲しいものを買ってしまいそうである。
 懸案の誕生パーティーも、本人がやってほしいとせがまないのをいいことに、今年はやらないことに決めた。早晩、イヤでもやらなければいけないときが来るだろうから。
 誕生会など面倒くさそうだなあ、といまから憂鬱になる一方、いざそのときがくれば、子供が喜ぶなら、という親バカ丸出しで、ごちそうも作り、ケーキも調達し、パーティーが盛り上がるような企画も立て、いちばん欲しがっているようなプレゼントも用意し――などなど、奔走してしまいそうな予感もする。
 でも、そんな至れり尽くせりが本当に子供にとっていいことなのだろうか。父が私にくれたそろばんのことを思い出しながら、ふと疑問に感じてしまうのだ。

 
 
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