アメリカのおいしい生活
4月
3日月曜日

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  #72  悪夢の野球観戦
 
 

 なにをやってもうまくいかない日というのがある。上から見ている誰かが意地悪しているのではないか、という日が。
 先週の金曜日がまさにそういう日で、私たち夫婦はもうぐったりしてしまった。
 その日は、野球を見に行くことになっていたのだ。ポートランドに本拠を置くビーバーズ(サンディエゴ・パドレスの二軍)とシアトル・マリナーズのエキジビション・ゲーム。日ごろ、イベント関連にはまったく疎い夫がどこから聞いたのか知らないが、早々にチケットを入手して、何週間もまえから

「イチローと城島が見られるぞ」

と楽しみにしていた。
 試合開始は、七時五分。
 そのまえに、まずは腹ごしらえをしてから行こう、ということになり、ダウンタウンのスシ屋に行った。
 店に入る前は、簡単に丼ものでもかきこんで、と思っていたが、スシ屋に行くと、やはりスシが食べたくなる。夫も私もスシの盛り合わせを注文。
 店内はガラガラだったからスシはすぐに出てくるものとたかをくくっていたら、けっこう出てくるのに時間がかかった。やや焦る夫。二歳の娘に枝豆やらご飯やらを食べさせながら、
「スシが来たら、キミはとにかく食べることに集中すること」
 と、私(食べるのがものすごく遅い)に指示を出した。
 六時三十五分、我々のテーブルにスシ到着。ふたりとも、ものすごい勢いでかきこむ。娘にお愛想を言ってくれる店の人に応えるのももどかしく。
 バタバタと勘定を済ませ、クルマに乗り込んで球場へ。皮肉なことに、雨がぽつぽつ降っている。昼間はぴかぴかのいい天気だったのに。
 ゲーム開始まであと十分。ようやく、球場とその周りの人だかりが見えてきた。これからパーキングを探したら、一回表のマリナーズの攻撃は見られない。ここで、私はいい妻ぶりを発揮した。
「あなた、今ここで降りたら? 私、クルマを停めて後から行くよ」
 野球は最初の回からきっちり見たいうえに、最初のバッターであるイチローを見逃したくない夫は、一瞬躊躇したあと、「そうするか」と言って、娘を連れてクルマを降りた。
 私は慌てて運転席に座り、シート位置だのミラーだのを動かしたあと、人とクルマでごったがえす道をそろそろと走りながら、パーキングを探した。
 地方都市の二軍チームの球場周辺には専用駐車場などあるはずもない。ぽつりぽつりと視界に入ってくる猫の額くらいの公共駐車場は、もちろんどれも満車。路上のメーターつきパーキングスペースも、空いているところはひとつもない。試合開始間際に球場周辺でクルマを停めようなどというのは、甘い考えだったらしい。
 思い切って少し離れたところまで行けば路上駐車のメーターの空いているのがあるだろうな、と思った。が、帰りには二歳児を抱っこして歩かなければいけないことを考えると、遠くに停めることがためらわれる。なんとか球場の近くに空きスペースがないものか――ほとんど無理と知りながら、あきらめきれず同じところをぐるぐる回った。超のろのろ運転だったため、いらついた後ろのクルマにクラクションを鳴らされること、数回。
 いつもさんざんお世話になっているのにこんなことを言うのもどうかと思うけれど、停めたいのに停められない、という状況においては、クルマはほんとうに厄介なお荷物である。そのへんに乗り捨てるわけにいかないのだから。いざとなったら、四つぐらいに折り畳んでポケットにしまえるような、コンパクトなクルマはないものだろうか。まあ、ポケットが無理なら、せめてスーツケースくらいの大きさになる、とか。
 この季節のナイトゲーム観戦は寒いだろうと思って着てきた、分厚いタートルネックのセーター(その下は半袖と長袖のTシャツ二枚重ね)のせいで、汗が出た。おまけに、そのセーターには少しモヘアが入っているから、首のあたりがちくちくする。イライラに拍車がかかる。
 あてもなく走り続けて半時間。夫と運転を代わったときからついていたガソリンのマークが気になり始めた。間の悪いときというのは、ほんとうにとことんツイてない。
 この上ガス欠で車が止まっちゃった、などというのは目も当てられないので、パーキング探しは一時中断し、ガソリンスタンドを探しにかかった。中心からは外れているとはいえ、いちおうダウンタウンである。スタンドがまた、なかなか見つからないのだ。どんどん球場から離れていく。
 ようやく、一軒見つけ、ガソリン補給。それからまた球場のほうに向けて走り、十五分くらい歩くことになるかなあ、という辺りにひとつスペースを見つけたので、もういいや、と駐車。けっこうな雨の中を、小走りで球場に向かった。
 やっとの思いでたどり着いた球場は、たくさんの人でごった返していた。ホットドッグやビールの売店には長蛇の列ができており、通路を通る人々といちいち交錯する。
 まるで満員電車から降りるときのように人をかき分けて歩いていたら、娘を抱っこした夫とばったり出くわした。
 ああ、もうクルマ停めるの大変だったんだよー、と言おうとしたら、
「こんなに長いあいだ、なにしてたんだよ!」
 と夫に怒鳴られた。周りの人たちが、思わず私たちを見る。
「なんでいきなり怒鳴るのよ! クルマが停められなかったのよ!」
 売り言葉に買い言葉。私たち夫婦はその場でひとしきり怒鳴り合った。夫と私の顔を見比べていた娘が、「やきゅう、こわい」と言いながら泣き出した。
 ポートランドでクルマを停めるのに小一時間かかったことなど今までついぞなかったので、夫は、なかなか姿を現さない私のことを相当心配していたらしい。事故か事件に巻き込まれたのではないか、と気をもんでいたのだそうだ(携帯電話を持っていればよかったのだが、家族で野球観戦するのに電話なんかいらん、と家に置いていってしまったのだった)。
 おまけに、いつも私にべったりの娘が、「かーさん、かーさん」と言ってぐずり続けていた模様。機嫌を取ろうとして抱っこすると、手足をばたばたさせて暴れるし、かといって歩き回らせるわけにもいかないしで、夫は娘をもてあまし気味だったらしい。私がパーキングを求めてぐるぐるさ迷っているあいだ、てっきり夫と娘は仲良く野球観戦しているものと思っていたが、彼らは彼らでけっこうツラい時を過ごしていたようなのだ。
 お互い大変だったんだねえ、ということがわかり、いちおう仲直りして席に向かう。お、バックネット裏のいい席じゃん、と思いきや、なんと試合は雨で中断中。フィールドの土の部分に鮮やかな緑色のシートがかぶせられているところだった。
 徒労感が漂う。灼熱の砂漠をひたすら歩き続け、ようやくオアシスにたどり着いたと思ったら幻だった、という感じ。
 こうなったら試合再開まで待つもんね、と鼻の穴をふくらましてみたが、すっかり不機嫌になった娘は

「やきゅう、こわい」「おうち、かえる」

としきりに出口のほうを指差した。
 結局、根負けしてそのまま外へ出た。席に座っていたのは、ものの五分。野球観戦に行ったはずなのに、私は、ボールもバットも目にすることはなかった。見たのは、「オラが町にプロ野球が来た」と浮かれていた大量のポートランダーたちだけ。
 球場の外に出て歩いてみると、雨はいっそう激しく感じられた。娘を連れてクルマまで歩いていくのはむちゃだ。球場近くにあったマクドナルドにとりあえず入ってから、夫がひとりでクルマを取りに行くことになった。
 明るいハンバーガー屋の店内には、ほかにもゲームの途中で出てきた人たちが何組かいた。マリナーズのジャージーを着ていたり、ビーバーズのスウェットを着ていたり。みんな、この日を楽しみにしていたのだろう。一様にガッカリしたふうだった。
「ゲームが成立していないから、もしかしたらチケット代が払い戻しになるかもね」
 彼らが口々に言っていたので、私は聞き耳を立てた。
 たいしておいしくもないスシに七十ドルも払い、ガス欠の危機におびえながらクルマをぐるぐる走らせただけで終わってしまった金曜の晩であったが、チケット代が払い戻されるなら、せめてもの慰めになろうというもの。
 ちょっと期待していた私は、翌朝の新聞を読んでガッカリした。ゲームは、七十三分間の中断のあと再開されたというのだ。なんとか試合を成立させて払い戻しを避けたかった主催者の執念を感じる。ちなみにゲーム再開後は、レギュラーの選手はだれも出ていなかったそうだ。
 同じ記事で知ったが、このゲームには二万人近くの観客が詰めかけたとかで、球場始まって以来二番めの客入りだったらしい。どうりでパーキングが見つけられなかったはずだ。
 数年まえから、ポートランドにプロ野球チームを誘致する動きがあるのだが、誘致に成功した暁には、まずはパーキング問題をどうにかしていただきたい。 

 
 
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