アメリカのおいしい生活
5月
8日月曜日

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  #74  意地でも育たないぞ
 
 

 友人の結婚式に参列してきた。
 新婦のジュンコさんは、以前は、アメリカ企業の東京オフィスで働いていたのだが、「アメリカ本社に行かせてください。行かせてくれなかったら辞めます」と上司に詰め寄って、ポートランドにある本社で働き始めたという逸話の持ち主。新郎のデイルとは、二年ほどまえに知り合った。
 ダウンタウンにある由緒正しきホテルで行われたセレモニーは荘厳で(といっても、私は、式が始まるや騒ぎ始めた娘とともにチャペルを出ざるを得なかったのだが)、そして、大きな宴会場でのレセプションは賑やかで楽しかった。日本から来たジュンコさんのご家族やお友だちが、臆することなく(いや、臆するどころか率先して)ダンスに興じていたのが印象的であった。
 この日、私がいちばんビックリしたのは、音楽担当の人のこと。五十代くらいの細身の黒人男性が、セレモニーからレセプションまでのすべての音楽を取り仕切っていた。ディナーのあとのダンスタイムには、いろいろな曲をかけてはそれに合わせて歌っており、いってみれば、「ひとりカラオケ」という状態であった。声量があって、歌も上手。
 てっきりプロのイベント用ミュージシャンなのだと思っていたら、その音楽係の人は、ジュンコさんが勤めている会社をついこの間、

解雇された人

だとのこと。
 クビになったとはいえ、勤務態度が悪かったとかそういうことではなく、きっと人件費削減のために仕方なく辞めてもらった人ではないかと推察する。が、それにしても、招待客には元同僚もたくさんいるわけだし、私だったらちょっと気まずいなあ、と思ってしまいそうな局面なのだが――タキシードの上着を脱いで歌に興じるその音楽係の彼は、もっとずっとさばけているようなのであった。
 アメリカだなあ、と思っていたら、今度はこんな話を聞いた。その音楽係の人の息子さんが、つい最近、イラクで戦死したそうなのだ。
 それを式の数週間前に聞いたジュンコさんは、すぐに彼に連絡して、「結婚式の音楽どころではないかもしれませんね」と尋ねた。が、彼は、「こういうときだからこそ、気晴らしにもなるし、やらせてもらうよ」と答えたのだという。
 遠い国での出来事のようにも思えるイラク戦争だが、実はこんなに身近なところに戦死者の家族がいたりする。
 
 戦争の話題のあとに書くにはあまりに瑣末な出来事なのだが、先日、私は猛烈にキレて、そしてそのあと、猛烈に反省した。
 キレた相手は、二歳の娘。
 その日、娘は昼寝をしなかったのだ。
「寝ないの?」
「ねない」
「お昼に少し寝ておかないと、元気が続かないよ。夕飯早く食べて、七時くらいに寝ないといけないよ。夜、父さんと遊べないよ。いいの?」
 私は添い寝をしながら娘を寝かしつけようとベッドに寝そべって、立てこもりの犯人に投降を呼びかける刑事よろしくあの手この手で説得にかかっていたのだが、娘はベッドを下りて、床の上で遊び始めた。
「いい。ねない」
 いくら言っても埒が明かないので――かれこれ一時間、「寝ないの?」「ねない」を繰り返したのだ――こちらが折れざるを得なかった。
 はああ。ため息。
 朝からずっと二歳児の相手をしていると、気が変になりそうになる。昼寝をしてくれると、つかの間ながらも自分だけの時間が持てるから、驚くほどに気持ちが休まる。
 が、ときおり、昼寝をしない日があるのだ。午前中に遊ばせる時間が足りなかったせいなのか、こちらがどんなにがんばっても、どんなにお願いしても、寝てくれない日が。
 こういう日には、母親の心は荒む。「もう! なんで寝ないのよ!」と、きーっとなる。
 が、その日の私はきーっとならずに、あっさりしていた。
「寝ないなら公園に行こう」
 暑いくらいの陽気の日だったので、噴水のある公園に連れて行って思いきりくったくたにさせて、夜、とっとと寝てもらおう、と思ったのだ。最近、私が考えていることの九十パーセントくらいは、いかに娘を疲れさせるか、なのである(残りの十パーセントが、夕飯のおかずとヤンキースのこと)。
 噴水公園でたっぷり遊んだ娘は、五時ごろに、帰りの車の中で寝てしまった。昼寝もせずに夕方までがんばったのだから、眠くなるのも不思議ではない。
 家に着いたら起こそうかな、と思いつつ、その日はいろいろとやることがあったので、そのままにしておいた。トンカツを作ったり、郵便をチェックしたりとあれこれしていて、気がついたら、トータルで一時間半も娘を寝かせてしまった。遅い時間の昼寝――これが、その日の私の敗因であった。
 娘に夕飯を食べさせ、夫とも遊ばせ、いつもの時間より少し遅めの九時ころから寝かしつけにかかったのだが、敵はなかなか寝ないのであった。
 寝そべっている私の上にうつ伏せになって寝入るのが娘のいつものスタイルで、そのうちに腕や足がぴくぴく……と動き出す。これが寝たというサインなので、そーっと私の体から引きはがして、ベッドに下ろす。これがウチの寝かしつけの儀式で、たいてい部屋を暗くしてから三十分くらいで、娘は高いびきになる。
 その日も娘は私の上でヒトデみたいな形に広がって、目を閉じていた。そのうちに腕や足がぴくぴく。
「おっ、きたな」
 しめしめ……といつものとおりゆっくり娘をベッドに寝かせようとしたのだが、なぜかその日の娘は目を覚ましてしまい、ぐずぐず言いながら私にしがみつく。
 最初からやり直し。
 私は再びベッドの上に寝転がって、大の字にうつ伏せた娘が寝入るのを待った。
 そのうちに、手足がぴくぴく。しめしめ、と私が動き始め、そして娘が起きて、ぐずぐず。
 これを何度繰り返しただろうか。気がつけば、寝かしつけ始めてから、一時間以上が経っている。
「いいかげんに寝てくれよー!」
 イライラして、落ち着いて寝かしつけることがもはやできない。車に乗せるとかなりの確率で寝るので、娘を夜のドライブに連れ出すことにした。夜の十時すぎである。
 二十分のコースを走り、「あっ、寝た、寝た」と思って家に戻ってきたら、ガレージに車を入れたところで、
「おうち、かえんない」
 とバックシートから娘の声。
「なんで寝ないのよー! 寝なさいよ! 寝れ!」
 再び同じコースを回るべく、車をバックさせながら、大人げないと知りつつ、そして声を荒げれば荒げるほど逆効果とは知りつつ、叫びまくってしまった。もうこうなると、止められない。
 カッカとしながら再び走り回ったが、娘は寝る気配もなく、仕方なく家に戻った。もう十一時に近い。心配した夫が、家の外で私たちを待っていた。
「どうやっても寝ないのよ!」
「怒鳴っても仕方ないんだから、止めろよ」
 正しいことを言う夫に、さらに腹が立つ。
「昼、夜合わせて、一日のうちに三時間近くも子供に『寝ろ、寝ろ』ってやってる、こっちの身にもなってよ!」
「ヒステリーもいいかげんにしろ」
「なら、アンタがやりなさいよ! 寝かしつけてみなさいよ!」
 いま思い出すとほとんど喜劇だと思うのだが、そのときの私はほんとうにキレていて、頭から湯気が出んばかりの勢いであった。
 子育ては大変、とはよく言われるころだけれど、私には、この「寝かしつけに失敗」というのがいちばんこたえる。子供が寝てからの自分の時間を期待するあまり、思い通りに寝てくれなかったときや、思いのほか早く起きられてしまって自由時間が短くなったとき、つくづくガッカリする――いや、ガッカリを通り越して、ときには激怒する――のである。
 結局、その日は自分の時間をあきらめて子供と一緒に寝てしまうことにして、再びベッドの上で寝かしつけたら、娘はコテンと寝てしまった。一緒に寝たかったんだ――阿修羅のごとくキレまくったことを猛反省したのであった。
 
 子供がこちらの思った通りに動いてくれなくてイライラするとき、「子育ては自分育て」とか「育児は育自」などという表現が頭にちらついてますます不愉快になる。私は、こういうちょっと気がきいたふうな語呂合わせが嫌いなのだ。
 特に子供がいなかったころには、この表現に行き当たると、「まるで子供を育てたことがない人は

『育ってない』みたい

じゃないか」と嫌悪感を覚えたものだ。
 ウチの母はときどき、「だれそれさんは子供がいないからわがままだ」などと言ったりする。自分のふたりの娘どちらにも子供がいなかったころにも、そんなことを言っては私たちを怒らせたものだ。こういう、子育てを経験した人の、子供を持たない人を見下した感じというのはいったいなんなのだろうか。友人の母は、「あの人は男の子を育ててないから(親としては半人前)」などとさえ言ったりするらしい。
 こうなると、意地でも、子供は育てても自分は育たないぞ、と思いたくなる。
 二歳児相手に思い切りキレたりして大人げなかったなあ、反省しつつも、またまた就寝の時間に寝ないでふざけている娘に、「寝ないと、かーさんまた怒るよ!」と脅しをかけている。これがあんがい有効なので、いっぺんキレてみるのもよかったかね、などと自分を弁護したりしている。

 
 
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