先週の土曜、引越しをした。大家が家を売りに出したためである。
去年の四月に続き、二年連続の引越しだ。娘は生まれてから毎年家を替わっており、二歳にしてすでに三軒目の家である。この幼少期の頻繁な引越しが娘の情緒に影響を与えないかと――将来、風来坊になりはしないかと――ちょっと気がかりだ。
新しい家は、ポートランドのダウンタウンから二十数分――といえば、シティライフを満喫しているような誤解を与えかねないが、実はものすごい田舎。街から北西に向かってぐんぐん山道を上がっていき、途中、斜面に作られたすばらしく眺めのよさそうな新興住宅街を横目で見ながらうねうねと進むと、そのうち民家の数が少なくなり、牛だの馬だの飼っている牧場が出てくる。新しい我が家は、その先に開発された、小さな住宅地のなか。
この家からどの方角に行っても、十分以上は信号がない。時速四十マイルで走っての十分である。信号が出てくるよりずっとまえ、家から三分のところに、無人の卵売りスタンドを発見した。
ニューヨークタイムズのカスタマーサービスに住所変更の電話をかけたら、「その地域には配達していません」とあっさり言われてしまった。
今回の引越しは、一週間まえになってバタバタと準備を始めたわりにはたいしたパニックにもならずに済み、「お、引越し上手になったな」などとひとり悦に入ったりしたものだが、それでもやはり消耗した。特に、荷を開ける作業が大変であった。
食器類はほとんど業者に荷作りをお願いしたので、新しい家のキッチンに山積みにされた段ボール箱のどこになにが入っているのか、皆目見当がつかなかった。しゃもじを探しているのに、一輪挿しとか、お正月用の徳利とお猪口とかが出てきたりすると、本当に脱力する。こういうめったに使わないもの(というか、持っていたことさえ忘れていたようなもの)ほど、荷の中から早々に出てくるから不思議である。
早くにひょっこり出てきたものといえば、哺乳瓶の先端部分と瓶とをつなぎ合わせるリングみたいな形のプラスチック製部品もあった。哺乳瓶などとっくの昔に処分したつもりだったのだが、なぜかこの部品だけはどこかの引き出しの奥のほうに潜んでいたらしい。ああ、こんなものまで丁寧に包んでくれたのね、と荷を解きながら恥じ入っていたところ、その部品をくるんでいた梱包用紙の端っこに黒マジックで、
「Feel the love」
と書かれていた。梱包作業をしてくれたダグ(チャールズ・ブロンソン似。引越し業に携わって二十年以上というベテランで、去年の引越しでもお世話になった)が書いたに違いない。一瞬、私に気があるのかしら、などとドキリとしたが、そうではない。「こんなちっぽけなモンも俺は包んでやったぜ――愛を感じてくれよ」ということだろう。ああ、もうホントに。こんなゴミみたいなものまでくるんでもらっちゃって、すみません。
自分で詰めた箱には中身が何なのかをけっこう注意深く書いておいたはずなのに、それでも移動すると何がどこに入っているのかわからなくなってしまうのだから、これまた不思議である。引越しのあとは夏みたいないい天気が続いたので、娘を噴水のある公園に連れて行こうと思って(水遊びさせて疲れさせ、夜、バタンキューと寝てもらおうという魂胆である)水着を探したのだが、これがなかなか出てこない。
また、引越し直後は汚れ物がたくさん出てすぐに洗濯しなければいけないから、洗剤はわかりやすいところに入れて――と思っていたのに、やっぱりどこにあるのかわからなくなってしまった(ので新しいのを買ってきたら、その直後に出てきた)。
あっちの箱を開け、こっちの箱を開け――まるで立体神経衰弱をやっている気分である。
アメリカに住んで六軒目の家になる今回の家は、収納スペースがやたらと少ないのが困る。家そのものは、郊外らしくちょっと大きめなのだが、日常使わないものを放り込んでおけるような物置スペースがないのである。あるのは、コート掛けみたいな奥行きの短いクロゼットばかり。大家さん一家は、クリスマス用品などの季節用品をいったいどこに収納していたのだろうか。
トイレに物入れが一切ないのも困る。トイレットペーパーの予備さえ置けないのだ。まさか予備ロールを床に二、三個ころがしておくわけにもいかないから、ちょっとしたチェストを買わざるを得ないだろう。またいつ出ることになるかわからない家に合わせて家具を買うことほどつまらないことはない。
収納の少なさも解せないが、窓に網戸がついていないのも解せない。ここのところ連日気温が上がって、夜八時ごろ、娘を風呂に入れて寝かしつけるころには家の中に熱がこもっている。二階の寝室はことさらに暑くて、娘がなかなか寝つけないでいる。日が翳って外がぐっと涼しくなっているから窓を開けよう――そう思って窓に手をかけたら、網戸がついていないのだ。不思議に思ってほかの部屋も見たところ、どの窓にも網戸が一切ない。
部屋の中を吹き抜ける自然の風よりも、エアコンで冷やすほうが好きなお宅だったのだろうか。電気代のこととか、省エネやエコロジーのことなども気にならない人たちだったのだろうか。それぞれの家庭なりの暮らし方というのがあるから仕方がない、と思いつつ、むっと熱気のこもった寝室で、悶々としてしまうのだ。
つい肩に力を入れて新しい家の欠点ばかりをあげつらってしまったが、気に入っていることもある。
それは、
セントラルバキューム。
家に取り付けられた掃除機、といえばいいだろうか。家のなかの壁、数カ所に専用の穴が開いていて、そこに長いホースをつなぐと、吸い取られたゴミが壁の中のパイプを通ってガレージにある掃除機本体に集められるという仕組み。ゴミ捨ては半年に一度くらいで済むし、なにより掃除機を引きずりまわさずにホースだけで掃除ができるので、非常に楽だ。
アメリカ人は、こういう「楽」に関するテクノロジーを考え出すのがうまいなあ、とつくづく思う。それに、空間の捉え方が大胆だ。家じゅうに掃除用パイプを張り巡らせてしまうのだから。
などと、便利なテクノロジーに感心していたら、バスルームにとりつけられた換気扇の音もなかなか大胆であることに気づいた。飛行機が離陸するんですか、というくらいの轟音で回り続けるのである。こういうのは、日本人技術者なら躍起になって音を静かにするべく努力するところであろう。
セントラルバキュームに小躍りしていたら、さらにすごいモノを発見した。キッチンカウンターの一カ所、床と接触する部分にちょっと大きめのスイッチのようなものを見つけたのだ。
「なにこれ?」
スイッチを足で押すと、小さな穴というか口が開いた。そして「ぶいーん」という音とともに穴が空気を吸い込む。ガレージで、セントラルバキュームの本体が稼動している音が聞こえる。
キッチンのほとんど床部分に設置された、セントラルバキュームに通じている穴。
一瞬、首をひねって、そして次の瞬間、膝を打った。
キッチンをホウキでささっと掃除するための穴なのだ。掃いて集めたゴミをその穴に掃きこめば、ちりとりいらずでゴミは掃除機の本体に直行、というわけ。
便利だなあと感心する一方で、アメリカ人の楽ちん追求もここまできてしまったか、と空恐ろしい感じもする。やっぱり考えてることがちょっと違うんだなあ――異国に住んでいるということを思い知る瞬間である。
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