アメリカのおいしい生活
6月
19日月曜日

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  #76  新しい家は蟻屋敷
 
 

 引っ越してきっちり一週間後、まだ家じゅうに散乱する段ボール箱をほっぽりだして、日本に行ってきた。
 二週間の旅程は次の通り。茨城にある私の実家→愛媛にある夫の実家→山口県光市で友人夫妻に会う→神戸で夫の兄夫婦に会う→東京で夫は仕事、私と娘はぶらぶら。
 家族や友だちにひさしぶりに会えて、楽しくかつ有意義な旅ではあった。しかし、疲れた。二歳児を連れてこれだけ移動すると、ホントに消耗する。
「なんか昔、そんなクイズ番組なかったっけ。ちょこちょこ移動するヤツ」
 と友人に言われた。
 ああ、アメリカ横断ウルトラクイズね。私たちの場合はアメリカではなく日本だったけど、ホント、そんな感じ……というか、

二週間ずっと罰ゲーム

だった、と言っても大げさではないかもしれない。飛行機、電車、バス、フェリーなどなどの乗り物に乗るたびに、娘を席に座らせておくのに四苦八苦だったから。
 今回の日本行きでいちばんビックリしたのは、日本のドライバーたちだ。信号が黄色から赤に変わるというか、もうほとんど赤、というタイミングでも交差点に平気で突っ込んでいくし、歩行者に冷たいし。日本のドライバーはマナーがいいというアタマがあったので、驚きであった。
 歩行者に冷たい、というのは特に東京のドライバー。小さな子供を抱いて歩いているのが一目瞭然(しかも肩から大きな荷物も下げてる)というのに、「おらおら、邪魔なんだよ」と言わんばかりに私たちのすぐ脇をぐいっと追い越していく。子供がいるからって特別扱いしてくれ、というつもりはないけれど、もうちょっと温かい目で見てくれてもいいんじゃないの、と思った。いちおう子連れには気を遣ってくれるアメリカのドライバーたち(事故でも起こして訴訟を起こされたら大変、ということなのかもしれないが)にすっかり慣れてしまった私は、クルマのまえにいきなり飛び出したシカみたいに右往左往してしまった。
 子連れに冷たいといえば、東京のレストランも冷たい。会社勤め時代の友人たちと夕飯を、ということになり、友人のうちのひとりが店選びを引き受けてくれたのだが、「子連れはダメ」というところが多くて大変だったという。赤坂の夜、といえば当然という気もする。でも、たとえば同じ大都市のニューヨークで、「子供はダメ」などという店はあるだろうか? よっぽどの高級店ならあるかもしれないが、カジュアルなレストランではまずないだろう。
 日本では少子化を食い止めるためにいろいろと対策を講じようとしているらしいが、子連れに対する街の冷え切った感じもかなり問題だよ、と思った。アメリカでなら、エレベーターに乗り合わせた人は必ずといっていいほど「何歳?」などと話しかけてくるが、日本では同じ子連れの人もつーんとしていて、こちらと目を合わせないようにしていたりする。
 アメリカには、It takes a village to raise a child(子供を育てるには村がかり)という言葉があって、それなりに実践されている気がするが、日本では(特に東京では)子連れは孤独な存在だなあ、と感じることが多かった。まあ、文化の違いといってしまえばそれまでなのだが。
 
 二週間の日本滞在を終えて、あー疲れた……と着いたオレゴンの家は、精神的にも物理的にも落ち着ける空間ではなかった。
 引っ越して一週間なのだから当たりまえだ。家じゅうどこもかしこも慣れないところだらけだし(どこの引き出しに何を入れたか忘れているし、明かりをつけようとするたびにスイッチはどこだったっけ、とキョロキョロするし)、だいたい、荷解きせずにほったらかして行った段ボール箱が家のあちこちにあるし。
 キッチンのカウンターに、私たちが留守にしていたあいだ、毎日来ては猫の世話をしてくれたキムからのメモがあった。
「ハナコは元気にしていましたよ。気立てのいい猫なので、毎日会うのが楽しみでした。ところで、パントリーに蟻が『侵略』しているのを見かけたので少し退治して、床に置いてあったお米の入った袋などを移動しておきました」
 なぬ、蟻?
 キッチンのパントリー(食品貯蔵室)を開けてみた。一畳半くらいの横広の空間。その左側の内壁と床が接しているあたりに小さな亀裂があって、そこから一ミリほどの蟻が入ってきては、パントリーのなかをせっせと行き交っているのが見えた。目でたどっていくと、切れ切れの隊列は、壁を伝って正面の棚――四段あるうちの下三段すべて――にも伸びていた。
 まえに住んでいた家には蟻などめったに入り込まなかったし、ゴキブリやねずみの心配もなかった(アメリカに住み始めてからというもの、ゴキブリを見たことがない。ねずみはその辺の民家にけっこういるらしいが)。だから、食べかけのお菓子の袋などは、輪ゴムとかクリップが見当たらないと、口をちょっと折っただけでパントリーに入れておくのが当たりまえになっていた。家のなかはあまり湿気がないから、すぐにしけるということもないし。
 そういう状態で半分開いたお菓子も私たちと一緒に引っ越してきて、そして日本行きまえのやっつけ仕事で、がさっとパントリーの棚に置かれた。
 そんなだらしのない我が家のパントリーに、蟻が入り込んだ。当然といえば当然。蟻にとってはパラダイスであろう。
 娘と散歩の途中に、ちょろちょろ歩いている蟻を見かけたのだったら、「ほら、アリさんだよー」などと呑気にいっているところだが、自分の家のパントリーに隊列をなして押し寄せているとなると、話は違ってくる。とりあえず、掃除機を持ち出してきて吸い込んでみた。
 前回、新しい家にはセントラルバキュームという便利なモノがついていると書いたが、蟻んこごときにいちいち長いホースを出すのは大変なので、今まで使っていた普通の掃除機を使用。一ミリほどの蟻は当たりまえだが、面白いほど簡単に吸い込まれていく。掃除機のなかで繁殖しないよう、少し長めにスイッチをオンにしておく。
 心のなかで合掌しつつ、あとのことが気にかかって仕方がない。この掃除機は吸い取ったゴミを溜める部分に紙パックがついていない、いわゆるダイレクト式なので、溜まったゴミは自分で捨てなければいけないのだ。小さい蟻んこの死骸が無数に出てくるのかな――想像しては、

背中がぞわぞわ

するのであった。そんなことを考えていると、壁についたちょっとした黒いシミも蟻に見えてくるし、キッチンを裸足で歩いているその足の裏になにか小さいものを感じると、思わず飛び上がってしまう。黒ゴマを料理に使うのもなんだかためらわれる。
 泣き喚く娘もほったらかし、夕飯の用意もろくにせずに、私はちょっと神経症気味に蟻んこを吸い込み続けた。
「これでもう大丈夫」
 根絶やしにしたつもりでも、十分後くらいにパントリーのドアを開けると、さっき吸い込んだのと同じくらいの蟻がもうせっせと活動している。そしてまた、掃除機出動。ああ疲れる。
 これではいつまでたってもいたちごっこなので、ホームセンターに行って、一族郎党皆殺しという、ちと怖ろしいモノを買ってきた。蟻に毒入りのエサを巣まで持って帰ってもらい、女王様も含め、みんなで食べていただこうというもの。
 これをパントリーのなかの蟻んこの通り道にいくつか置いたら、日を追うごとに蟻は少なくなり、五日目にはほとんど見かけなくなった。
 飛び道具を使っての勝利である。やや寝覚めは悪いものの、これでもう蟻にはわずらわされないぞ、とホッとしていたところ、今度は別種の蟻が出現した。こちらは七、八ミリほどの、頭の辺りが赤いヤツ。主に冷蔵庫の周辺に現れる。
 む、小さい蟻の敵をとりに兄貴分たちが出てきたか、と私は身構えた。が、この兄貴たちというのが妙に情けないヤツで、私に発見されるときは、たいていの場合、すでに死んでいる。
 それならいいじゃないか、といわれそうだが、冷蔵庫の隣のカウンターに置いたトースターや炊飯器のすぐわきに、七ミリほどの蟻んこの死骸がごろごろしているのは不気味である。おまけにどういうわけか、掃除機で吸い込んでおいても、翌朝には同じくらいの数の蟻が同じところでお亡くなりになっている。
 パントリーの蟻に効いた例の怖ろしいモノを置いてみたが、この赤い蟻は毒入りのエサを巣に持ち帰るどころか、ウチのキッチンで息絶えてしまうのだから効き目がない。なんでわざわざ死にに来るのだろう。新手の嫌がらせなのだろうか。
 というわけで私は、引っ越して間もない家で、ひ弱な蟻んこ退治に頭を痛めている。アリクイが飼えたらいいのになーと、少し本気で考え始めたところである。

 
 
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