土曜の朝、ダウンタウンにある、ブランチが大人気の店に行った。ウェイティングリストに名まえを書き、入り口近くに設けられたベンチに腰掛けて、呼ばれるのを待つ。
こういう場合、夫のではなく、私の名まえを書くことにしている。夫の名まえはアメリカ人には発音しづらいものだし、それを略して使っている英名はひどくありふれたものだから、ほかのアメリカ人と間違われやすいのだ。
その点、私の名まえは便利。オノ・ヨーコのおかげでアメリカ人はほぼみんなが知っている名まえだが、それでいて、ありふれていないから間違われる心配もほとんどない。子供のころにはつまらない名まえだなと親を恨んだものだが(「ようこ」は私の世代の女子名ナンバーワンなのだ)、アメリカに来てからというもの、親に感謝している。
十五分ほど待ってそろそろ私たちの番かなあというころに、店のオーナーと思われるおじさんが来て、私の横にいた夫に
「あなたは……ジョンですか?」
と訊いた。
テーブルをいち早く確保することばかり考えていた私は、
「違う、違う。私たちは、ヨーコ。七人用(日本から友人家族が遊びに来ていたので、私たちは七人だったのだ)のテーブルを待っているヨーコです」
と生真面目に答えてしまった。
おじさんは、
「ビートルズに関する古いジョークだったんだけど」
とニヤニヤ笑っている。
ウェイティングリストにある私の名まえを見て、「ヨーコといえばジョンだから」というわけでひとひねりして、リストにあった「ヨーコ」を呼ばずに、その夫と思われる私の夫に「あなたはジョンですか?」と訊いたというわけ。
「あーあ、そういうことね」
私が笑い出すと、おじさんはいたずらっぽい顔をして見せた。
思えばずいぶんまえに、やはりこの店でテーブルを待っていたときにこのおじさんに、
「人種的に決めつけたくはないんだけど……キミがヨーコだよね?」
とおずおずと訊かれたこともあった。
ほかにアジア人女性が順番を待っているふうもなく「ヨーコ」が私なのは一目瞭然なのに、おじさんは、いかにも「もしかしてもしかするとキミがヨーコかい?」みたいな風情(もちろん装っている)で訊いてきたのだ。
ほとんど私の名まえで遊ばれている感もあるが、こういうのが、アメリカ人の持つユーモア感覚であり、サービス精神である。
名まえといえば、最近の日本人の子供の名まえはすっかり様変わりしたなあと思っていたが、アメリカの子供の名まえも、ずいぶん変わってきた。
そう感じたのは、ちょっとまえに公園で会ったアメリカ人の母親に息子たちの名まえを訊いたとき。
「マットとトムです」
誠実そうな彼女は爽やかに答えた。
マットはともかく、いまどき「トム」などという古典的な名まえをつける人がいるんだ、へえー、と新鮮な驚きを感じた。そのくらい、最近の小さい子供には「トム」がいないのだ。いや、トムだけでなく、ジムもビルもスーザンもローラも。代わっていまどきよくいるのは、ニコラスにイアンにキアラにローレン。
最近の子供には珍しいですよねえ、と驚きを表明すると、彼女は、
「目新しい名まえが多い今だと、かえってユニークかな、と思って」
と言った。こういうやりとりをあちこちでしているらしく、慣れた口ぶりだった。
新生児の届け出をもとに作られた、二〇〇五年度のアメリカの赤ちゃん名まえベストスリーは、女の子がエミリー、エマ、マディソン、男の子がジェイコブ、マイケル、ジョシュアの順だったそうだ。男の子の二位に、わりと古典的なマイケルが入っているのは意外だが、これら三つの男子名はどれも宗教的な背景からつけられているのかもしれない。女の子の二位は、TVコメディ「フレンズ」のなかで生まれた女の子がエマと名づけられたのが影響したか。
統計ではあまり目新しさは見えてこないが、公園などでは、なかなか変わった名まえの子たちに出会う。
「ロンドン、ロンドン!」
噴水公園で、親からこう呼ばれていた子がいた。スリムな黒人の女の子だった。親がロンドン出身なのか(それにしてはイギリス訛りではなかった)、よほどロンドンが好きなのか、はたまたロンドン旅行中に授かったか……? 余計なことだと思いつつ、あれこれ考えてしまう。ちなみに地名を子供の名にするのはトレンドなのだそうだ。そういえば、ダコタとかいう名まえの女の子の俳優がいた。女子名三位のマディソンだって、もとはといえば地名だろう。
以前、娘と通っていた音楽クラスには、ディランという名まえの子がいた。父さんか母さん(か、その両方)が音楽好きなのだろう。てっきり男の子かと思っていたら、ある日スカートを履いてきたので驚いた。その子の弟は、チャンプという名まえであった。
ディランといえば、ディランとレノンという名の男の双子に出会ったこともあった。こちらの親も音楽好きとみた。ディランもレノンも元はラストネームだが、ファーストネームにしても案外しっくりくるところが面白い。もしも三人目の子が生まれた場合にはどういう展開になるのだろうか。
有名人には、娘に「アップル」と名づけた人や、男の子を「パイロット」と命名した人もいる。アメリカの目新しい名まえブームは、今後ますますエスカレートしそうだ。
さらに名まえといえば。
先日、ピンポーンとチャイムが鳴ったので玄関に出てみたところ、隣の奥さんが来ていた。
「ハーイ。これ、好きかしら」
手には、大きなズッキーニが四本ほど。
「庭で作っているんだけど、採れすぎちゃって大変なの。もらってくれる?」
ご夫婦がいつもまめに手入れをしている庭には、バラやヒマワリが咲き乱れ、トウモロコシやトマトも植わっている。
余談になるが、このご夫婦はともにニュージャージー出身。しかし、出会ったのはオレゴンなのだそうだ。同じ高校に通っていたとか、奥さんのお兄さんと旦那さんが同じボーイスカウトに所属していたとかで、お互い顔だけは知っていた。付き合うようになったのは、それぞれ別々にオレゴンに移り住んでから共通の知人に紹介されて、なのだそうだ。
「何千マイルも飛行機に乗ってやってきて、同じ町出身のひとと結婚するなんてね」
初めて会ったときに、「まえはニュージャージーに住んでいた」と言った私に、そんな話を披露して彼女は笑ったものだ。
二日まえに収穫したほうがよかったんじゃないかというような、明らかに育ちすぎのズッキーニを両手に持って、
「縦に半分、横に半分に切って、グリルするとおいしいわよ。オリーブオイルをたらして」
と彼女は言った。
「ああ、おいしそう。ぜひ、やってみます」
五十代半ばくらいの彼女は、ちょっとがっしりしていて化粧っけがない。見かけにたがわず物言いも男の人のようにぶっきらぼうなのだが、ベタベタしていないぶん信頼できるというか、言葉を額面どおりに取っても問題ないような感じがして好感が持てるのだ。
しかし、彼女と一緒にいるといまひとつ居心地が悪い。
なぜなら、
彼女の名まえを忘れてしまった
から。
旦那さんとのなれそめのエピソードは覚えているというのに。彼女が飼っている二匹のレトリーバーの名まえ――黒いほうがジャック、白いのがセレナ――はしっかり頭に入っているというのに。初めて会ったときに話したいろいろのなかで、彼女の名まえだけが、なぜかすとんと抜け落ちている。
初対面の人と会ったときには、自分を紹介することに忙しくて、なかなか相手の名まえを覚えられない。その点、アメリカ人はひとの名まえをすぐに覚えて、すぐに会話に差し挟んできたりするから、驚きである。なかには私のように名まえを覚えるのが不得手なアメリカ人もいるけれど、「えーと、ごめん、名まえなんだっけ」と実にさり気なく訊いてくるので感心するのだ。
私もそのさり気なさを真似したいと常々思っているが、これがなかなかむずかしい。「あなたの名まえを忘れてしまったんだけど」などと言うのは「あなたを軽んじています」と言っているようなものではないだろうか、などという考えがよぎり、なかなか言えない。「名まえなんだっけ?」と自分が訊かれてもちっともイヤな気持ちにならないのだからほかの人も同じ、とは頭でわかっているのだが。
そんなこんなで、「名まえなんだっけ?」と言い出せないままに隣の奥さんとはすでに何度か顔を合わせてしまい、いまや、「ホントにいまさら『あなたの名まえを覚えていない』とは到底言えない」というところまで来てしまった。
どうしたものか。私立探偵でも雇うか。いや、彼女の名まえを呼びかけずにどこまでいけるかこのままにしておいてみるか。
大きなズッキーニをざくざくと切りながら、思いは千々に乱れるのであった。
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