九月に入って、学校の新年度が始まった。朝八時過ぎや午後三時ごろの登下校時には、黄色いスクールバスがそこらを何台も走り回っている。
子供が乗り降りするために停まると、バスはいちいち、赤地に白抜きで「ストップ」と書かれたサインを出す。そのサインが出たら、バスの後続車も、反対側車線でバスとすれ違おうとしている車も、停まらなければならない。我が家の周りの、抜け道がまるでない長い一本道で、前にいるスクールバスにほとんど辻ごとにこのストップサインを出されると――ただでさえバスはゆるゆると遅いのだ――気が狂いそうになる。
十三年前、アメリカに住み始めたころ、子供が乗降中のスクールバスの前後では停まらなければいけないという決まりを知らなかった私は、バスを追い越したことがあった。黄色いバスから降りたばかりの男の子が両手を頭の上で振り回しながらなにかこちらに言っているのを見て、
「さすがアメリカ、子供もファンキーだなあ」
と思ったものだ。もしも警察に捕まっていたら、こっぴどく叱られたうえに相当な額の罰金を払わねばならなかっただろう。
我が家の二歳半の娘も、この九月から学校に通い始めた。保育園と幼稚園をミックスしたような学校である。
朝七時以降ならいつでも娘を連れて行っていいことになっている。が、七時は私たちにはさすがに早すぎるので(働いている親にとっては大助かりであろう)、八時半くらいを目指して登校させるようにしている。それでも、お弁当を作ったり、着替えを用意したりでバタバタしていると、あっというまに時間は過ぎる。八時二十分くらいに慌てて車に娘を乗せて、それっとばかりにアクセルをブンブン踏んでいるときに、目の前にどどーんと象みたいなスクールバスが出現して道を塞ぐと、ホントに泣きたくなるのだ。
が、いっそう泣きたくなるのは、学校に到着して、娘が泣き喚き始めたとき。先生がなだめるのも聞かず、「おうちかえるー」と私にしがみつく。ほかの子供らは、なにか不吉なものでも見るみたいな目つきで、じーっとこちらを見つめている。
インテルが近くにあるせいか、インド系の子供がやたらと多い学校なのだが、そのうちのひとりの男の子(五歳くらい? すごいおしゃべり)が、
「そんなに泣いてると、ほかの生徒に迷惑だって先生が言ってた」
などとわざわざ私に言いに来る。
「そんなこと、言われなくたってわかってるよ、このガキ!」
と言いたいところをぐっとこらえ、
「ごめんねー。まだ小さいからねー」
と下手にでる。
見学に行ったときに娘が泣かなかったから即座に入学を決めたのだったが、後からよく聞いてみれば、なかなか教育熱心な学校らしい。算数、理科、歴史、アート、体育、お行儀、音楽などの科目を、六人ほどの先生たちが分担して受け持っており、小グループに分かれた子供たちに教える。学齢にも達していない子供に理科? 歴史? などと思ったりもするのだが、もちろん子供向けのトピックを選んで、遊びながら学習させるということらしいのだ。
そんなアカデミックな雰囲気のなか(いや、アカデミックは大げさだが、しかし三歳、四歳の子供らが二十人近くいるとはとても思えないほど部屋の中は静かなのだ)、響き渡るわが娘の泣き声。子供らの冷たい視線が、私たち親子の全身に突き刺さるようだ。
「しばらく一緒にいてあげてください」
受付係のひとにそう言われたので、私は娘をなだめるべく教室に留まった。
「おうちかえるー」
「あ、なに言ってるの。学校楽しいよー。ほら、おにいちゃんとおねえちゃんたち、なにしてるのかなー?」
私がどんなになだめても、娘は泣き止まない。しばらくして、アート担当の先生に、
「ジム教室に行ってますか? いまならだれもいないはずですから」
と低い声で言われた。
「行ってますか?」は、「行っててください(うるさくて他の子の迷惑です)」の婉曲な言い回しである。この小柄な女性の先生は、あまり笑顔を見せない。
受付の奥のジム教室(体操用の部屋)でも、娘は派手に泣いた。
「おうちかえるー」
「がっこういやー」
浪曲師みたいな渋い声を出して、ひたすら喚くのだ。
そのうち、受付係の女性に、
「外、歩いてみますか?」
と言われた。これも言外に「外に出てください(泣き声が教室まで聞こえてきてうるさいです)」と通達されてしまったということだ。
受付から外に出て、コンクリートの歩道に娘とふたり、座り込んだ。目の前の駐車場に停めてある私の車を見て、娘はまたしても「おうちかえるー」。母は、ただただ途方にくれるばかりだ。
歩道を散歩し、車から絵本を出して読んだ。娘は、少し落ち着いてきて、ガラス張りの教室の中の様子を気にし始めた。
先生がひとり、外に出てきた。小山みたいに大きな若い女の先生。耳だけでなく、唇の下、あごとの間のくぼみのところにもピアス。たしか説明会で会ったときには眉毛のところにもピアスをしていたような。短めの半袖Tシャツからのぞく両腕には、なにやら刺青がしてある。
「いままで、お子さんを預けたことがなかったの?」
「日本に行ったときに託児所に預けたことは何度かあるんだけど、そのときは泣かなかったんです。あとはウチに来てくれるベビーシッターに預けるくらいで――これもほとんど日本人にお願いしてるから、泣かないですね」
「それじゃあ、言葉の問題が大きいのかなー。考えてみれば、まあ当然だけどね。みんなの言ってる言葉がわからないうえに、自分の言いたいことも理解してもらえないところにいきなり放り出されちゃうわけだから」
ジェイダンという名の彼女は、この学校の校長先生の娘だ。たしかいま二十四歳くらいで、すでに三歳過ぎの子供がいると聞いた。
ピアスに刺青に若い年齢で子持ち――説明会のときに初めて会ったときには、「もしかして元不良?」などと偏見に満ちたことを考えてしまった。こういう娘を持つ人が校長を務める学校ってどうなのよ、と夫とふたり、しばし考え込んだものだ。
しかし、である。九月に入って娘を学校に行かせ始めてみると、この
顔ピアスに刺青のジェイダン
が、なにくれとなくわが娘のことを気にかけてくれるのだ。
「まあ、そのうち慣れますよ。大丈夫。少し落ち着いて泣かなくなったら、私のスペース(先生たちは、大きな教室の中にそれぞれのスペースを持っている)を使って、パズルとか出して遊んでいていいからね」
こういうときに「大丈夫」と声をかけてもらうと、心底ほっとする。暗くて深い穴に娘とふたり落ち込んでしまったところに、するりするりとロープが降りてきたような気がするのだ。
しばらくして、少し落ち着いた娘と教室に戻ると、受付の女性に、
「やっぱりお母さんには帰ってもらいましょう。いつまでもここにいると、子供は『お母さんがずっといてくれるもんだ』と思ってしまいますから」
と言われた。
残れって言ったり、帰れって言ったり、どっちなんだよ、と思うわけだが、まあマンパワーの問題らしい。さきほどまではだれも手が空いていなかったのが、いまはアシスタントのひとりが手すきらしいのだ。中近東系のシャルミンというアシスタント――頭にスカーフをすっぽりかぶり、長袖にくるぶしまである長いドレスをまとっている――が、こちらに手を伸ばして、私が帰ってしまうと察知してまたひどく泣き出した娘を抱き取った。
それから二時間半ほどして迎えにいくと、娘はランチルームでジェイダン先生とふたり、昼食を取っていた。
「泣きました?」
「まあ、泣いたり、泣きやんだり。すっごくがんばってた。いい子でした」
私の腕に猿のようにしがみついてきた娘は、ジェイダンを見ながら私のことをつんつんと指差して、「マミー、マミー」と言っている。私のことを英語で呼ぶのは初めてのことだ。
「ねえー、マミーが迎えに来るよ、って言ったでしょう」
ジェイダンは、笑いながら言った。そして、私に抱っこされた娘のほっぺたを優しく触りながら、
「また一緒に遊ぼうね。私たち、友だちよ」
と言った。
私は、人を見かけで判断した自分をつくづく恥じたのであった。
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