アメリカのおいしい生活
10月
23日月曜日

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  #84 淡々としていてほしい
 
 

 眉毛の手入れというのがどうしても自分でうまくできないので、人の手を頼ることにした。ネイルサロンで、十ドル(プラス、チップ)で上手にやってくれるのだ。
 娘が通い始めた学校からそう遠くないところにあるサロンに行ってみた。店に入ると、つーんとマニキュアの匂いがする。
「眉毛? ああ、こっち、こっち」
 手招きしたのは、おばあさんなのか、おばさんなのか判断が難しい小柄な女性。噛み合わせが逆になった細い顎が、内藤陳を思わせる。ベトナム系だろうか。このあたりのネイルサロンは、たいていベトナム人経営だ。
 奥の小部屋に置かれた手術台みたいなベッドに寝るように指示しながら、私に
「フィリピン人?」
 と訊いた。色黒のせいで南方系に間違われるのはもう慣れっこではあるが、「やっぱり、そんなに黒い?」と心にさざなみがたつ。ああ、日本の色白信仰から解放されたいなあ。
 ベッドに横たわり、「眉をあまり細くしすぎないように」とだけお願いして目を閉じる。おばさんは私の左眉の上に温かいワックスをぺたぺたと塗り、その上に小さな布を貼り付けるや、ベリリッと引っぺがしにかかった。皮が一緒に取れて赤剥けになっているんじゃないかと心配になる。
 おばさんは、ぺたぺた、ベリリッを繰り返しながら、訛りの強い英語で営業トークを始めた。
「ネイル、やらない?」
「あー、今日はいいです」
 マニキュアは嫌いではないが、すぐに先のほうから剥げるのが気になるから、パーティーなど特別のときにしか塗らない。
「ペディキュア、どう?」
「うーん、ごめんなさい。それもいいです」
 これから寒くなって爪先が人様の目に触れることもついぞなくなるから、これも必要ない。
 ベリリッが終わって、おばさんは毛抜きと鋏を使って仕上げを始めた。丁寧な仕事ぶりにやや好感を持つ。
 眉の周りに残ったワックスをきれいに拭き取り、ひりひりしている皮膚をひんやりさせるローションを塗ってくれた。
「はい、どうぞ」
 起き上がって、渡された手鏡を覗き込むと、ぼうぼうだった眉がきれいに――とても自分ではこうはいかない――整えられている。ちょっと細すぎという気もするが、まあよかろう。
「どうもありがとう」
 私がお礼を言うと、満足げなおばさんは、
「あなた、また来てくれるといいわあ」
 べとつくような声で言った。マニキュアもペディキュアも断った私には「また来て」と言うくらいしか手がなくなってしまったのだろうが、それにしても、その

しなだれかかるような

べっとりした感じが気持ち悪くて、背中がぞくっとした。年増の娼婦に言い寄られたような、そんな気がしたのだ。
 小部屋を出て、支払いをしにレジスターのあるカウンターに行くと、そばに男性がふたり、座っていた。ひとりは下着のような薄手の白いTシャツ姿の中年で、もうひとりは痩せた若い男。中年のほうは新聞を広げ、若いほうはただぼーっと座っている。
 お代を払ってから店を出るときに、白衣姿のおばさんは、
「また来てねえ」
 と、例の湿っぽい調子で言った。
 私は、駐車場に停めておいたクルマに向かって歩きながら、たぶんこの店にはもう二度と行かないな、と思った。
 おばさんのまとわりつくような営業トークに辟易したし、それに、ヒモみたいな男たち(それも、おばさんとは対照的に無愛想)の存在も居心地が悪かったし。
 この店、流行ってないんだろうなあ、と思った。
 そして、流行らない理由がなんなのかもわかっていないのだろうな、と。
 クルマに乗って、鏡で眉毛をよく見てみたら、左右の形が微妙に違ううえに左眉が右よりも上がり気味だった。
 
 我が家からいちばん近いスーパーマーケットのチェーンが、火曜の新聞のFood欄にときどき、「五十ドル以上買うと十ドルオフ」というクーポンつきの広告を出す。ふだんはあまり行かない店だが、このクーポンが出たときには、洗剤やティッシュなどを買い置きするために走る。
 食品と家庭用品を扱うこのスーパーは、衣料、雑貨までも扱うもっと大型の店舗やディスカウンターなどに押され気味で、苦戦していると新聞で読んだことがある。たしかに、品揃えもいまひとつだし、値段もさして安くない。クーポンでもない限り、行く気が起こらない店なのだ。
 店もそのへんの事情を察しているのか、サービスのよさで店の特徴を打ち出そうとしているらしい。店員の教育には熱心な様子だ。
「探していたものはすべて見つかりましたか?」
 レジに行くと、店員は必ずこう訊いてくる。
 たいした量の買い物でもないのに、
「買われたものをクルマまで運びましょうか?」
 とも訊ねる。
 そしてクレジットカードで支払いを済ませると、最後にレシートをまじまじと見つめながら、
「どうもありがとうございました……えーと、ミス……オーイ、オーイ、オーイッシャ?」
 と、挨拶するのだ。
 どうやら、お客さんを名まえで呼びましょう、という項目が接客マニュアルにあるようなのである。もちろん、現金で払った客の名まえを知ることはできないから、クレジットカード使用の客だけに限定のサービスだ。
 眉間に皴を寄せながら、レシートに印刷された私の苗字を必死に発音しようとがんばっている店員の様子を見るたび、「アメリカ人のお客はこういうことをされるのが好きなのかなあ」と不思議に思う。私には、なんでこれがサービスなのか、まったくもって謎なのだ。サービス向上に努めている店員には申し訳ないのだが。
 客を名まえで呼ぶことにより、パーソナルな親密感を打ち出したいという店側の意図はわからないではない。でも、レジにいる店員と客である私は、一回こっきりの関係である。そんな人に、いちいち名まえを呼んでもらいたいなどとは思わない。ましてや、何を買ったのかが相手に知られているのだからなおのこと。エッチな本を買ったとかいうわけではないから買い物の内容に恥じることはなにもないけれど、でもやっぱり、安売りに飛びついてまとめ買いしたものなども数々あったりするわけで、どちらかというと匿名でいたい場面というか、事務的に淡々といってもらいたい場面なのである。
 そういえば、以前、写真屋でも同じようなことを思ったことがあった。
 フィルムを写真屋に持ち込んで現像してもらっていたころのことである。
 その店の主人は大柄な韓国系アメリカ人であった。英語に韓国訛りが強かったから、たぶん一世だったのだろう。いつもニコニコと愛想がよく、おしゃべり好きであった。訊いてもいないのに、「店の前、駐車禁止って書いてあるけど、ちょっとの間なら平気だよ」などと教えてくれたりした(そうはいっても、違反のチケットを切られてもこのおじさんが責任を取ってくれるわけではないだろうから、私はクルマを停めなかったけれども)。
 現像が済んだ写真を取りに行くと、このおじさんは必ずといっていいほど、写真に写っているなにかについて質問してくるのであった。

「どこに行ってきたの?」

「あ、日本です」
「写真に写ってたのは――あれはご家族?」
「はあ、そうです」
 というような具合。
 別に後ろめたい写真があるわけでもなし、話題にのぼせてもらってもかまわないといえばかまわない。が、なんとなく嫌な気がした。
 写真は、カウンターの向こう側に置かれた大型のコピー機のような機械で現像されているのだったが、私は、おじさんもこの機械の一部になるべきだと思った。つまり、客から預かった写真については、なにもコメントしないこと――というか、写真を見たことさえも客に気取られないようにするべきだ、と。
 しかし、おじさんは相変わらず、いつも写真のなかの何かに言及した。まるでそれがサービスの一環だとでも思っているようであった。
 私はいつしか別の写真屋に行くようになった。新しい店のインド系の店員は、さばさばとフィルムを受け取り、さばさばと写真を手渡した。無愛想というわけではなかった。ただ、淡々と仕事をしていたのだ。
 しばらくして、韓国系のおじさんの店が空っぽになっていた。ガラスドアに「貸店舗」の張り紙がしてあった。

 
 
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