アメリカのおいしい生活
12月
4日月曜日

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  #87 大きなお世話
 
 

 妙な人に出会って、すっかり調子が狂ってしまった。
 その人とは、土曜の午前中の公園で会った。私は娘を遊ばせており、彼女は大きな黒いレトリバーを散歩させていた。
 彼女は、彼女の犬に少し興味を示した私の娘に気がついて(もうすぐ三歳になる娘は、犬が怖いけど好き、触ってみたいけどおっかない、という微妙な時期)、

「撫でてみる? やさしいワンちゃんよ」

 と声をかけてきた。
 知らない人に話しかけられて戸惑った娘は、二、三秒のあいだ考え、それから「やだっ」と言って犬とは逆のほうにとことこっと走っていった。よその子と遊具の取り合いをして私に叱られたばかりで、やや機嫌が悪かったのだ。
 せっかく優しく声をかけてくれた彼女に悪い気がして、私は
「いい犬ですね。おとなしいですね」
 などとその場を取り繕って、娘の代わりに黒い大きなレトリバーの背中を撫でた。
 こうして、彼女と私は話し始めた。
 最初は、たわいのない普通の世間話であった。犬のこと、子供のこと。
「私は子供はいないんだけど、この犬が私の娘なのよ。ほら」
 中国系という彼女は、大柄なからだを折り曲げて肩まで伸びた自分の髪を犬の背中に近づけ、
「毛の色が一緒でしょ」
 などと言って笑っていた。私よりも二つ、三つ年上の四十代半ばだろうか。
 そばで私たちの話を聞いていたウチの娘が、宙に向かってしゃべり始めた。本人は英語を話しているつもりのようだが、なにを言っているのかはだれにも(たぶん本人にも)わからない。
「最近ね、こういうことをやるんです。学校に行き始めたので、アメリカ人の友だちや先生の真似をしているんでしょう」
 私がそう言うと、彼女は言った。
「家では日本語、学校では英語でしょ? 間違いなくバイリンガルになるわよね。両方の言葉でどんどん話しかけてあげなさい」
 大学で心理学を専攻していて、ついこのあいだ卒業したという彼女は、それから子供の脳について話し出した。専門的な用語が多いうえにちょろちょろする娘を片目で追いながらだったから詳しいことはわからなかったが、幼児というのは複数の言語に日常的に接していると、脳のある部分でその言語をきちんと仕分けし整理して覚えていくとかいう話だった。
「あなた、日本語と英語以外になにかほかの言葉を話す?」
「えーと、イタリア語を少々」
「ああ、それならイタリア語でもどんどん話しかけてあげなさい。学習テープとかあるなら、そういうのもばんばん聞かせるといいわよ」
「娘は三歳まえだけど……混乱しませんかね?」
「心配要らないわ。それよりも、三カ国語が話せることを想像してごらんなさいよ!」
 最初は見知らぬもの同士の立ち話だったのが、このあたりから「なにかを教える、教えられる」という図式に変わってきた。
 そのうち、大人の立ち話に付き合うのに飽きた娘が、私から離れて公園の外に出ようとし始めた。幸い、道路のほうにではなくて、公園の裏からのびているちょっとしたハイキングコースのような小道のほうにとことこと走っていっただけなのだが、それでも視界からはずれてしまうまえに連れ戻さなければならない。私は少し大きな声で娘を呼んだが、聞こえているはずの娘は振り向きもせずに行ってしまった。
「あらまあ、独立心があるのねえ」
 私の話し相手は、「ごめんなさい、ちょっと……」と言いながら娘を連れ戻しに行く私に、そう言った。彼女が使った「independent(独立心がある)」という言葉の意味は、要するに「親の言うことをきかない」である。
 娘に追いついて、「さあ、公園に戻ろう」と声をかける私に、中国系の彼女とレトリバーが追いついた。彼女と犬がけっこうな距離を私たちの後を追ってきていたのには少々ビックリしたが、それまでの会話がまあまあ弾んでいたので、彼女も私とのおしゃべりが楽しくてもっと話したいのかな、と私は少しいい気になった。
「親のあなたが呼んでいるのを無視して走って行っちゃうなんて……。ほんとうに独立心があるのね」
 彼女は、またindependentという言葉を繰り返した。その独立心旺盛な娘は、私が「公園に戻ろう」と言うのも聞かずに、「あっちのほう」と、反対のほうに走ろうとしている。
「そういうときはね、姿勢を低くして、子供の目を見て言わないとダメよ」
 彼女が私に言う。子供の目線まで下がって言い聞かせるなどということは、私も常々やっていることだ。このときには見知らぬ彼女のまえで娘にかかりっきりになってしまうのも失礼かなと思ったので、いつもよりも控えめに教育的指導をしていただけなのだ。
 私が膝を折って娘の目線に下がって話しかけると、娘の視線は宙をさまよった。
「親の目を見ないのは、親を軽んじている証拠よ」
 私たち親子の様子を見ていた彼女は言った。
「あなた、いつもあまり子供を叱らないのよね? だから言うことをきかないんじゃない? こういうときには、子供の目を見て、低い鋭い声で言い聞かせなければ。――ねえ、この子がどうして私の言うことを聞くかわかる?」
 彼女は自分の犬を指差した。賢そうな目をしたレトリバーは、彼女の足元にじっと座っておとなしくしている。
「私がいつも言って聞かせているからよ。いいことはいい、ダメなことはダメ、と。常に一貫しているのが大事。ダメなことをしたときには、強く言って聞かせないと。そして、強く言ったあとには、憎くて叱ったのではなくて、愛しているから叱ったのだということを知らしめることも大事。キスをして、愛してる、って言って、そして明るい声で話しかけて、子供の気分を変えてやるの。さあ、やってみて」
 なんでここまで見知らぬ人に言われなければならないのだろう、と私は思った。娘のことを語りながら犬を引き合いに出されたことにも、少々むっとした。
 それでもなにも言い返さなかったのは、私の事なかれ主義のせいだけではない。彼女の言うことに納得して、そのとおりにやってみようかな、と思う部分が、自分のなかにわずかながらあったからである。ウチの娘はときどき心配になるくらいに落ち着きがなくなって、手がつけられなくなることがあるから。
 それで、彼女の言うとおりにやってみた。が、娘はなおも抵抗した。
「辛抱強くやっていくしかないわね。いまから始めないといけないわよね。だって、いまはこれでもいいとして、たとえば八歳になったときにもこんなふうに親の言うことを聞かなくなったとしたらどう? 親に対して敬意が払えないってことは、よその人にも敬意が払えないってことよ。いいと思う? よくないわよね」
 クリアーな英語で、理知的に彼女は話した。それを「ふん、ふん」と聞きながら私は、「ひとはきっとこんな人物に出会って、怪しげな新興宗教みたいなものに足を踏み入れたり、妙な壷だの印鑑だのに大枚はたいたりしてしまうのだろうな」と思った。
 もうすぐ三歳の娘は、以前に比べるとずいぶんと扱いやすくなったけれど、それでもまだまだ言うことを聞かないときがある。捕獲されるときの野生動物みたいに手がつけられない状態になったときには、「私の育て方がいけなかったのかしら」と不安になる。そんなふうにおっかなびっくり子育てをしているところに、「こうしなさい」「ああしなさい」「いまこうしておかないとあとで大変なことになる」などと自信たっぷりに指示をされると、暗いなかにぽっと明かりをつけられたようで、思わず

そちらのほうに行ってしまいそう

になるではないか。
 彼女は、
「オススメの本があるわ。それを読むといいわよ。育児書ではなくて心理学の本だけど、子育てにはきっと役に立つから。あなた、ペン持ってる? メールアドレスを教えてくれたらあとでメールを送るわ。それとも、あなたの電話番号を私のケータイに入力しておいて、あとで電話をしてもいいけれど」
 と続けた。ぐずる娘を抱っこして歩いていた私は、彼女との会話を早く切り上げたい気持ち半分、彼女がいうオススメの本に本当に子育ての鍵が書かれているのではないか、という気持ち半分で、公園のわきに停めていたクルマに戻ってペンと紙を見つけ、メールアドレスを書いて彼女に渡した。
 
 それからしばらくのあいだ、娘がぐずぐず言い出したときには、公園で会った彼女に言われたことを実践してみた。
「母さんの話を聞いてるの? ちゃんと目を見て返事をしなさいっ!」
 鋭い声で娘を注意する私を見て、たまたま日本から遊びに来ていた私の母は、
「まだ二歳よ。厳しすぎるわよ」
 と言い、夫は、
「自分のイライラを解消させるためだけに怒鳴っているみたいだ」
 と私を非難した。
 そう言われると、また私の気持ちは揺らぐ。私は、できもしないことを娘にやらせようとしているのだろうか。
 公園での出会いから一週間。オススメの本の情報を送るとしきりに言っていた彼女からは、メールなど来やしない。
 いたずらに私の心をかき乱した彼女に腹が立つ。
 が、それよりももっと腹が立つのは、見知らぬ人の言ったことにいとも簡単に振り回された、自分自身の情けない母親ぶりである。

 
 
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