年末年始を暖かいところで過ごそうと、カリフォルニアのモントレーという海沿いの街に行くことにしたのだが、いよいよ明日出発だ、というときに娘がよその子に噛まれた。
屋内プレイエリアつきのピザ屋でのことだ。そろそろ帰ろうか、というころになって、娘が泣きながら遊具のどこかから出てきた。自分よりも大きな男の子とボールの取り合いをして腕を噛まれたという。
「どこを噛まれたの?」
「ここ」
娘が指差したのは、右の手首より少し上の辺り。
長いTシャツの袖をまくって見てみたが、どこにも噛まれた痕はない。
ゆるく噛まれただけか。痛かったというよりはビックリして、あるいは悔しくて泣いたのだろう。たいしたことがなさそうだったので、放っておいた。
ところが、その晩、風呂に入れようとして服を脱がせたところ、娘の
右上腕部に赤い噛み痕
を発見。
「噛まれたって、ここだったの!?」
「そう、ここ」
「よその子とボールの取り合いをしていて噛まれた」などと、自分の身に起こった出来事を伝える能力が娘に備わったことに感心していたのだが、まだまだ細部までは信用できないのであった。私が訊いたときにはまだじんじんと痛かったはずだからどこを噛まれたのかもう少し正確に伝えてもよさそうなものだが、まあそれが二歳児というものなのであろう。
以前、友人から、子供がよその子に噛まれたら病院に連れて行くこと、と聞いたことがあった。たしかその友人は子供の定期検診で、顔にあった治りかけの傷について医者に尋ねられ、「よその子に噛まれたらしい」と答えたところ、「そういうときには病院に連れてこなければダメだ」とたしなめられたと聞いた。噛み傷は、どんなに小さなものでも、唾液から感染したり化膿したりすることがあるのだそうだ。
かかりつけの小児科医に電話した。夜七時過ぎだが、ナースが電話に出る。
事情を説明すると、
「明日、医者に診てもらわなければいけませんね」
と言う。
「あのー、明日から旅行に出る予定なんですが……」
「あら、それじゃあ今夜のうちに診てもらったほうがいいわね。場合によっては、抗生物質を飲ませる必要があるかもしれませんから。今夜、救急に行くしかありませんね」
はあ。思わずため息が出た。
早く娘を寝かせて、旅行の準備をして、私たちも早めに寝よう――そう思っていたのに、その晩の予定がすっかり狂ってしまった。それも、娘の腕についたほんの小さな傷のせいで。どう見てもなんともなさそうな傷だからいいか、とも思ったが、万が一ということもある。それに、旅行中に娘の具合が悪くなったり、抗生物質を飲ませなければいけなくなって病院や薬局を探して奔走することになったりしたら、それこそ最悪である。
まったくもう! こんなタイミングでウチの娘をかじったのはどこのガキだ! 親出てこい!
夫とふたり、ブツブツ文句を言いながら大きな病院の救急に走った。
救急の常で延々と待たされて、診察が終わったのは十時を過ぎたころである。案の定、「噛まれたのは服の上からだったし、服も破れていないから、噛んだ子供の唾液が傷についた可能性は少ないでしょう。傷も浅いし、おそらくすぐに治ります」とのこと。
「念のため、抗生物質を処方しておきましょう。熱が出たり、傷が盛り上がってきたりしたら飲ませてください」
「あのー、明日からカリフォルニアに行くのですが、あちらでも、ここでもらった処方箋で薬が買えるでしょうか」
「うーん、買えないこともないと思いますが、ちょっと面倒くさいことになるかもしれませんね……」
私たちは仕方なく、二十四時間開いているという薬局まで抗生物質を買いに車を走らせた。薬は四十五ドル。飲むか飲まないかわからない薬に四十五ドルである。ため息が出た。おまけに、あとから請求がやってくる救急での診察料は、おそらく四百ドルくらいと思われる。噛まれた娘も痛かっただろうが、親も痛い。
その晩、家に戻ったのは十一時半過ぎ。娘は車のなかで寝てしまった。夫と私はそれから旅行の支度をして、ベッドに入ったのは一時過ぎだった。
思わぬアクシデントにより寝不足気味で始まった我が家の旅行であったが、サンフランシスコから車で二時間半のモントレーは、なかなか気持ちのいいところだった。
美しい海岸線を見ながらのドライブは快適だったし、船で出かけたホエールウォッチングではクジラが潮を吹いては尻尾をくねらせるのを何度も目撃して歓声をあげた。
モントレーから二十分ほどのカーメルというところは、その昔、クリント・イーストウッドが市長をしていたことで知られる町で、こぢんまりとした目抜き通りにしゃれた店がいくつも並ぶ。チェーン店を排除しているのだろうか、どこに行っても見かけるGapもマクドナルドもなくて好感を持った。
しかし、なんといってもうれしかったのは、カリフォルニアの天候である。抜けるような青空が、当たり前のようにぽかーんと広がっているのだ。どろりとした灰色の空から雨がぼたぼた落ちてくるポートランドの冬にうんざりしていた私たちの目には、宝物のような青空であった。薄いジャケットを羽織っただけで外を歩き回ってもちっとも寒くないのもありがたかった。
娘のケガというアクシデントで始まり、そのまま珍道中に突入かと思われた私たちの休暇は、案に相違して順調……と思われたが、やはり旅にはなにかしら事件がつきまとう。
大晦日に、うっかり私たちはとんでもないスシ屋に入ってしまった。
夕飯どき、車でふと通りかかった韓国料理屋に入ろうかと店のなかの様子を見に行ったところ、すぐそばにスシ屋があるのを見つけた。韓国屋にはがらんとした店内に一組の客だけ。スシ屋のほうはやたらと賑わっている。
「けっこうちゃんとしたスシ屋みたいだよ。握ってるのは日本人のようだし」
偵察に行った夫がこう言うので、私たちは二〇〇六年の締めくくりに、スシを食べることにした。
店に入った瞬間、七十年代っぽい安手のテーブルと椅子――白いプラスチックに銀色のフレーム――を見て、私はイヤな予感がした。七十年代から続いている老舗、というのではもちろんなく、七十年代ふうを狙っているというわけでもない。単に、趣味が悪いダイナーみたいだったのだ。
イヤな予感を打ち消しながら、やたらと忙しそうな白人のウェイター(額に汗が光っている)にスシをアラカルトで頼み、それから娘のために白いご飯とイクラを頼んだ。
やがて運ばれてきた丼飯を見て、私たちは絶句してしまった。
プラスチックの丼にてんこ盛りになっていたのは、ほとんど糊みたいに軟らかいご飯だったのだ。それも、黄味がかった長粒米。ひと昔まえは、カリフォルニア米といえば粒が長かったものだが、いまは日本の米のような短粒米が主流である。
とてもスシ屋のご飯とは思えないそれを見て、「もしかしてスシもこれで握るのか?」と私たちはあたふたしてしまった。
しばらくしてやってきたスシは、見るも無残であった。子供が作ったのか、というくらいにスシの体をなしていなかった。ご飯が軟らかめの長粒米なのはもちろんのこと、握りはどれも握ったというよりは、ご飯に刺身を載せたという感じ。鉄火巻のわきからはご飯ばかりかマグロもはみ出していたし、軍艦巻きの上に載ったウニは、海苔の壁の中で
とろーんと液状
だ。
サバの握りを口に入れた。灰色っぽかったサバがほんのりと酸っぱいのは、酢でしめてあるから、ということでいいのだろうか……。
恐る恐るウニを食べた夫が、
「ああ、いちおう大丈夫だ。さっきイカを頼んだら、今日はイカがないって言われてガッカリしたけどさ、なくてよかったよ」
寄生虫の心配をしている。そんな心配をしたくなるほど、なんとも心もとないスシなのであった。
カウンターの向こう側でひとりスシを握る職人は、時おり発する「いらっしゃいませぇー」の発音からして、いちおう日本人のようであった。が、彼の握るスシから察するに、日本のスシ屋で修業をしたのではなさそうだ。というか、日本のスシを食べたことがあるかどうかさえ、疑問である。
どうかお腹が痛くなりませんように。
祈りながら不恰好なスシを詰め込み、お勘定を頼んだ。
勘定書きを持ってきた、先ほどの汗かきのウェイターが、
「ウニはお勘定に入れてませんから。ウチのシェフがね、今日のウニはいまひとつ納得がいかない、って言ってたもんで」
と言う。
いかにも「ウチの板前はプロ根性に徹しているでしょう」とでも言いたげな、得意な感じの口ぶりであった。「ウニがタダなんて、大サービスですぜ」という、ちょっと恩着せがましい調子も混じっていた。
少し前に、日本の農林水産省が海外にある日本食レストランを、「日本食」と謳うにふさわしいかどうか調べることを検討している、とネットのニュースで読んだ。日本食と呼べるレストランだけを認定するとのことだった。
この記事を見たときには、日本政府も暇だな、もっとほかにやることないのか、と思ったものだ。が、このモントレーのスシのようなとんでもない「日本食」に出くわすと、認定制度を検討したくなるのも無理ないか、という気がしてくるのであった。和食が海外に広がっていったのは喜ばしいことだが、いつのまにか伝言ゲームのように、オリジナルとはすっかりかけ離れてしまったものもあるのだから。
やれやれ。一年を締めくくる食事としては最悪だったが、だれもお腹を壊さなかったのは幸いであった。
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