雪が降って、丸二日間外出できなかった。たいした積雪量ではなかったが、気温がちっとも上がらないので雪が解けず、車が運転できなかったのだ。
元気いっぱいの娘とふたりきりで二日間も自宅に缶詰めというのはなかなかツライ。思い余って電話した友人たちのところはどこも、オフィスに行かれなかったお父さんも一緒に缶詰めだったそうで、思わぬ家族団らんの機会になったらしい。ウチの夫は、こういうときに限って出張中だ。
もうすぐ三歳の娘は、以前に比べるとだいぶ聞き分けがよくなって、扱いやすくはなった。特に、ふたつの物事を関連づけて考えられるようになってきたのは大きな進歩だ。○○をしたら××をしてもいいよ、と言い聞かせると、あまりやりたくなかった○○をしぶしぶながらやるようになった。要するに、エサに釣られるようになったということだ。
エサは、本を読んでやることだったり、テレビを見ていいということだったりだが、なかでもちょっと不思議なのは、「天かす」だ。
食事をしながら、娘が
「天かす食べるぅ?」
と訊いてくる。ウチの娘は、うどんに入れる天かすが好きなのだ。しかもそれを皿の上に載せて、指でひとつひとつつまんでぽりぽり食べるのが。
「ご飯とおかずを全部食べたらね。お味噌汁もだよ」
娘のまえにある茶碗と皿を指差して私が言うと、それまで椅子の上で伸びたり縮んだりしてぐずぐず食事していた娘が、いきなりやる気を見せて食べ始めるのである。豆腐もにんじんもブロッコリーも食べる。
「天かす食べるぅ?」
「あら、まだご飯が終わってないよ。全部食べたら天かすあげるよー」
また娘は残りのご飯をせっせと口に運んで、
「天かす?」
「もうちょっとご飯食べないと天かす出ないよ。いいの? 天かすまでもうひと息だ、がんばれ!」
食事のたびに、「天かす」をめぐる攻防が続く。雪に閉じ込められて、私たち親子は
ちょっとおかしくなった
のかもしれない。
それにしてもなぜ天かすなのだろうか。我が娘ながら、安い。
雪害といえば、三年ほどまえにも今回とちょうど同じくらいの量の雪が降って、ポートランドの街は大混乱した。
あのときも夫が出張中で、おまけに私は翌月を臨月に控え、そして当時住んでいた家というのが急な坂の途中にあったものだから、丸五日間家から出られなかったのだった。
そんなことを懐かしく思い返していたら、ふとDさんのことを思い出した。
Dさんは、ポートランドにある日系引越し会社の社員だ。去年の五月、我が家の引っ越しを彼が担当した。
彼はアメリカ人だが、日本語がとても上手だ。デーブ・スペクターの八掛けといったところ。奥さんが日本人で、彼自身も日本に長いこと暮らしたことがあるのだそうだ。五十歳前後だろうか。後頭部が少し薄くなった白っぽい髪をごく短く刈っている。ちょっとジェリー藤尾を思い起こさせる顔立ちだ。
去年五月半ばの引越しの日、Dさんは約束の時刻九時きっかりに、作業員三人とともに我が家の玄関に現れた。
「今日はベストメンバーをそろえてきました」
彼はそう言って、引き連れてきた作業員たちにてきぱきと指示を出した後、作業に取りかかった。
前日にDさんに梱包に来てもらっていたこともあり、また、ベストメンバーたちがきびきびと働いたこともあって、家のなかにあった家具や段ボール箱はあっという間に大きな引越しトラックに納まった。
昼食がてら新しい家に移動して、今度は荷入れが始まった。
午後の作業も順調に進み、あと三十分くらいで終わるかな、というところで、Dさんは「三時の休憩をします」と私たち夫婦に日本語で言い、作業員たちに英語で同じことを言った。もう少しで終わりそうなのだから休憩なしでやってしまえばいいのに、と私は思ったが、彼の几帳面な口調から察するに、決まった時間ごとに休憩を入れるようにと厳しく定められているのだろう。
作業員たちとDさんと私たち夫婦は、新しい家のドライブウェイでペットボトル入りのミネラルウォーターを飲みながら休憩した。夏のように暑い日で、空が真っ青だった。
Dさんと私たち夫婦が話をしているうちに、話題は私たちがまえのまえに住んでいた家のことになった。それは私たちがポートランドに移ってきて最初に借りた家で、その家から二軒目の家(私たちが数時間前に空っぽにしてきた家)に移るときにもDさんが作業に加わった。
「すんごい坂の途中にある家でしたよねえ」
Dさんは大げさに目を剥いて言った。
「よく覚えてますね」
私たちが驚くと、彼は、
「作業が大変だったから、よく覚えてますよ」
と言って笑った。
「あの坂はねえ、ほんとうに大変だったんですよ。二〇〇四年の一月の雪、覚えてますか? あのときなんか私、五日間も家から出られなかったんですから」
私が言うと、Dさんは
「あの雪は、よく覚えてます」
そう言って、ゆっくりと話し始めた。
「あの雪のときには、私、病院にいました。娘が病気だったんです――あの、leukemiaでした」
流暢な日本語で話していた彼は、病名だけを英語で――少し尻上がり気味に、まるで私たちがその言葉を知っているかどうか確認するかのように――言った。
白血病。
夫と私がなにも言えずにいると、彼は続けた。
「十六歳でした。かわいそうだった。娘は、『お父さん、私を死なせて』って言ってました。辛そうだった。ほんとうにかわいそうだった」
彼は、遠い目をしていた。
「二年前の一月のあの雪は、奇跡かと思いましたよ。娘がもうそろそろ、というときに大雪が降ったんですから。僕、普段は仕事でとても忙しくて、病気の娘のそばにもゆっくりいてあげることができなかったけれど、でもあの雪で引越しは全部キャンセルになって、仕事がなくなって、だから僕は娘と最後のときをゆっくり過ごせました」
まだ若い娘さんを病気で亡くしたDさんの悲しみに胸がつぶれる思いがする一方で、正直なところ私は、なんの気なしに口にしたことでDさんの個人的な部分に深く触れてしまったことに驚き、慌てた。テニスボールを軽く投げたら、
ボウリングの球が
ものすごい勢いで返ってきて腹に当たった、という感じ。
「娘が亡くなって、しばらくは悲しくて悲しくて仕方がなかった。どうしたらいいのかわからなかった。神様なんかいないんじゃないかと思った。でも、だんだん気持ちが落ち着いてきたら、娘は神様のところに行って幸せにしているんだ、と思えるようになった。だからね、いまはもう大丈夫なんです。娘がね、いつも僕のことを見ていてくれてるんだ、と思っています」
飾らない日本語でDさんが言うのを聞いて、私は泣いた。Dさんの向こう側で雑談をしていた三人の作業員たちが、涙を拭う私を怪訝そうに見た。
「あの、ごめんなさい、悲しいことを思い出させてしまって」
私が言うと、
「いやいやいや、とんでもない。僕こそ、ごめんなさい。奥さんを泣かせるつもりはなかったのよ。ごめんなさいね」
Dさんは顔のまえで手を振りながらそう言って、私のことを気遣ったのだった。
ドライブウェイに立っていた私たちは休憩を終えて、それぞれの作業に戻っていった。
今回の雪でも、ポートランドの街の交通は全面的に麻痺した。きっとDさんの会社の引越しはまたすべてキャンセルになったに違いない。
Dさんは静かに降り積もる雪を眺めながら、十六歳で亡くなった娘さんと過ごした最後の日々を思い出しているのだろうな――雪にはしゃぐ自分の娘を見ながら、私はそんなことを思ったのだった。
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