バレンタインデーが終わってほっと一息。
いや、ウチは特別なことはなにもやらないから関係ないのだけれど、この時期、世間がロマンチック一色になるのでちょっとこそばゆいのだ。
日本では、お菓子メーカーの策略により女性から男性にチョコレートをあげる日になっているが、アメリカのバレンタインデーは、性別を問わず好きな人にプレゼントをあげる日であり、カップルがロマンチックに過ごす日でもある。男性が、バラの花束やチョコレートやセクシーな下着を妻や恋人にプレゼントしたりもする。
ひと回り以上若い友人(日本人)に
「バレンタインはどうするの?」
と明るく訊かれたので、
「何もしないよ。普通の日と同じ。夫がバラなんか買ってきた日には『こんな食べられもしないもの買ってくるなんて!』と怒っちゃうし、サプライズのプレゼントも禁止しているから何もなし」
と言ったら、ビックリしていた。結婚してまだ三年くらいしか経っていない彼女は、「結婚して十年以上も経つと夫婦には夢がなくなるのか」と絶望しただろうか。それとも、「ウチは何年経っても、誕生日もクリスマスもバレンタインもきちんと愛のあるプレゼントをし合うわ」と心に誓っただろうか。
私たち夫婦は、別に愛も夢もなくなったわけではないのだが、いつのころからかプレゼントというものをしなくなった。昔はサプライズのプレゼントをもらったりもしたが、どうも欲しいものがどんぴしゃりと手に入らないのにとりあえず喜んで見せなければいけないのが面倒くさくて、禁止にしてしまった。
ちなみにその友人夫婦はダンナさんも彼女も、サプライズのプレゼントが好きなようだ。以前には、彼女の誕生日だかにダンナさんが、「ちょっと一緒に来て」と言って、行き先を教えずに車を走らせたとか。行った先は――デラックスなスパ。
「いつも子育てと家事お疲れさま。今日はマッサージしてもらってゆっくりしておいで」
ということだったらしい。彼女がすっかり感激したのは言うまでもない。
こんな話を聞くと、ああ、そんなステキなサプライズなら私もプレゼントしてもらいたいわ、と一瞬、目がハートになる。
が、同じことを私の夫がしたとしたら――私は嬉しいというよりも、なんだか気恥ずかしくて背中がぞわぞわするに違いない。そして、文句たれでアマノジャクな私のことだから、「緊縮財政の折にマッサージに大枚はたくなんてなに考えてるのよ」とか「マッサージよりもネックレスが欲しかった」などと文句を言うに決まっている。
愛情表現は、
するのもされるのも苦手
である。損かな、という気もするが、キライなものは仕方がない。
愛といえば、少しまえにこんな事件があった。
NASA勤務で、ほんの半年ほどまえにスペースシャトルに乗った宇宙飛行士の女性(既婚、三人の子持ち)が、同僚の男性を好きになった。どうやら片思いだったらしいのだが、恋敵の女がいることを知った彼女は、その恋敵を誘拐だか殺害だかしようとして、ヒューストンからオーランドまで九百マイルの高速道路をぶっ飛ばした。そしてオーランドの空港の駐車場で、変装して恋敵に危害を加えようとしたところを逮捕された。
スペースシャトルの乗組員というエリート中のエリートが起こしたとんでもない事件に、全米がひっくり返るほどビックリしたわけだが、この事件の異常さを際立たせたのは、犯人の女性が高速道路をぶんぶん飛ばしていた間に、オムツを着けていたことである。よほど急いでいたのであろう。トイレ休憩で無駄な時間を費やさないためのオムツ着用だったらしい。
スペースシャトルの離着陸時にはオムツを着けることになっているそうだから、抵抗がなかったのだろう。しかし、ライバルの女を襲いにいくためにオムツを穿いて高速をひた走っている図というのは……怖ろしく、そして滑稽だ。渦中の彼女は、その異常さ、滑稽さに気がつかないほど自分を失い、客観性を失っていたのである。常に冷静に問題に対処するよう訓練されている宇宙飛行士が、である。すべては愛のなせる業。
犯人の女性は、誘拐未遂、殺人未遂で起訴された。彼女の車のなかには、ナイフやBBガンと共に、使用済みのオムツがふたつ残されていたそうだ。
この事件が大々的に報じられたあと、周りの人に訊いてみた。
「愛のために、バカなことをしでかしちゃったことある?」
みんな一様に、「うーん、そこまで人を好きになったことがないなあ」という答えであった。クレイジーなことをしでかすことで愛の深さが測れるわけではないが、まあみんな冷静に恋愛経験を積んできたということだ。
そうだよねえ、いくら愛のためとはいえ、そうそうバカなことをするものではないよねえ……と思っていたら、はたと思い出した。私、ちょっと身に覚えが……。いえ、「オムツ穿いて九百マイル」には及びもつかないほどにささやかなクレイジーさではあるのだが。
小学四年の冬であった。風邪を引いていた私は、午後の体育の授業を休んで、ひとり教室に残っていた。クラスメイトたちは、体操着に着替えて先生と共に校庭に出ていた。みんなの机の上には、着替えの服。
ストーブの番をしながらおとなしく本など読んでいた私は、ふと思い立って、そのころ好きだったスギノくんに手紙を書くことにした。告白の手紙である。
なにをどう書いたらいいものか迷って、ローマ字で書くことにした。文面は忘れたが、「わたしはあなたがすきです」とか、そんな感じだったと思う。ノートの切れ端の小さな紙に、習いたてのローマ字で書いた。私の名まえは書かずにおいた。折りたたんだ手紙を、スギノくんの机の上にあった着替えのなかにそっと隠した。
チャイムが鳴り、外から戻ってきた生徒たちは、それぞれの机で着替えを始めた。
すると、
「うわっ、なんだこれ!」
というスギノくんの大きな声。思わずそちらを見ると、スギノくんは、私が書いた手紙を持っている。
「なに、なにー?」
近くの席の子たちがスギノくんの周りに集まり、そして手紙を覗き込んだ。
「わー、これ、ラブレターじゃん!」
「だれからー?」
「これ、どこにあったの?」
みんなはすぐに差出人探しを始めた。
「着替えのなかにあった」
スギノくんの答えを聞いて、みんなが一斉に私を見た。それはそうだ、体育の授業を休んで教室に残っていたのは私だけだったのだから。男子が、はやしたて始めた。
「私じゃないよ。私、そんなの書いてない」
私はウソをついた。見え透いたウソである。心のなかでは、スギノくんに失望していた。彼なら、そっと読んでくれると思ったのに。
「おまえがやってないならだれがやったんだよ」
「知らない。そういえば、私がトイレに行ってる間に、隣のクラスからだれか来てた」
ウソにウソを重ねて否定し続けた。私はラブレターを書いたことを後悔した。こんなに簡単に足がつく方法でやったことも。
クラス中が大騒ぎになった。みんなは代わる代わる手紙を手にしては、犯人の目星をつけようとやっきになった。
そうこうするうちに、担任のクリハラ先生が教室に入ってきた。だれかが、先生に筆跡鑑定を頼もう、と言い出して、手紙は先生の手に渡った。
黒板を背にして窓際に置かれた大きな机のまえに座ったクリハラ先生は、化粧っけのない小さな目で、くしゃくしゃになった手紙を読み始めた。私ははらはらしていた。先生なら、きっと私の字だとわかってしまうに決まっている。
みんなが固唾を呑んで見守るなか、先生はしげしげと手紙を見つめ、それから少しだけニヤリとしたあと、
「わからないわねえ」
と言った。
「どうせだれかのイタズラでしょ、ほらほら、みんな席について」
先生は、詰め寄る子供たちを真面目に取り合わずに言った。そしてそれを潮に、ラブレター騒ぎは鎮火に向かった。
私は、心のなかでクリハラ先生に感謝した。筆跡といい、教室にひとり私が残っていた状況といい、先生には、私が書いたラブレターだということはわかっていたはずなのだ。それを適当に誤魔化して、私がそれ以上恥ずかしい思いをしないように配慮してくれたのに違いなかった。
先生は、それから私を呼び出したりもしなかったし、親になにか言ったりもしなかった。本当にありがたかった。
私はそれからもスギノくんのことが好きだったけれど(意を決して書いたラブレターを「なんだこれっ」と騒ぎ立てたデリカシーのなさにはがっかりしつつ)、彼が私立中学に進学し、さらにその後、私が引っ越したために、彼と私の間には何事も起こらなかった。
愛のためにクレイジーな行為に走った宇宙飛行士のニュースに触れ、小学校のときに私が書いたローマ字のラブレターのことを久しぶりに思い出した。もう記憶が薄れてきているから、思い出すだけでわあっと叫んで走り出したくなる感じはなくなっているが、それでもやはり気恥ずかしい。
あのとき、意を決してストレートに気持ちを表現したのに(名まえを書かなかったから純粋にストレートとはいえないかもしれないけれど)きちんと受け止めてもらえなかったことがトラウマになって、それで大人になったいま、愛情表現というものをするのもされるのも苦手になってしまったのかしら――自分で分析してみたりしている。
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