アメリカのおいしい生活
3月
5日月曜日

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  #93 火がついたまま
 
 

 いま借りている家の契約がもうすぐ切れそうなので、またしてもハウスハンティング(家探し)を始めた。春の引越しは、お花見同様、我が家の恒例行事になりつつある。
 アメリカに住み始めてからの十四年で、これが七度目のハウスハンティングである。少なく見積もっても百軒以上の家を見てきたわけで、もうたいていのことには驚かない自信があったのだが、先日見た家には、ちょっと度肝を抜かれた。いや、家がどうの、というのではない。遅い午後に、不動産屋に連れられてその家を訪ねたら――まだ誰かが住んでいる家で、おそらく私たちが行くことを知らされていたから留守にしたのだろう――暖炉に火がついていたのだ。
 新しい住み手を早く見つけようとして、家の中をキレイにしておいたり、どんよりと暗い日に家じゅうの明かりをつけておいたり、という家はよくある。が、暖炉がついていたのは初めてであった。温かみのある、居心地のいい家というのを演出したかったのであろう。
 その暖炉は、薪に火をつける昔ながらのタイプではなく、偽物の薪の下にちろちろと炎が踊るガス式で、しかも耐熱ガラスが前面を覆っているものだったから、そのへんにある紙やなにかにうっかり火が移るというようなことはまずない。そう頭でわかってはいても、やはりだれもいない家のなかに生の火が揺らめいているのを見ると、よそのお宅のことながら、胸のあたりがざわざわするのであった。
 そういえば、ずいぶんまえのことだが、こんなことがあった。向かいに住む友人一家に、スキー旅行に行くからそのあいだ飼い猫の面倒を見てくれ、と頼まれたのだ。渡されていた鍵を使って家に入り、猫にエサをやり、トイレをキレイにし、カーテンを閉めて、ふとリヴィングを見渡すと、ガス式の暖炉に小さな種火がついたままだった。
 この暖炉にはたしか耐熱ガラスはついておらず、網状の金属でできたカーテンのようなものが下がっているだけであった。つまり、小さいながらも生の火がむき出しだったのだ。
 私は慌てて、友人一家が泊まっているコロラドのホテルに電話をかけて、
「暖炉の種火がつきっぱなしだけど、どうやって消すの?!」
 と訊いた。
「それは大変! ありがとう、知らせてくれて」
 という反応を期待していた私は、友人の答えに驚いた。

「それはいつもつけたままなのよ」

 そんなことでわざわざ電話してきたの、という感じであった。
かくて彼女の家の暖炉は、小さな青い種火がついたままとなった。猫が丸めた紙でもおもちゃにして追いかけ回して、うっかりその火のところに持っていってしまったらどうしよう――友人一家が戻ってくるまで、私は気が気ではなかった。その後も何度か猫の世話を頼まれて彼女の家に行ったのだが、暖炉の種火は、真夏でもつけっぱなしだったので、私はさらに驚いたのであった。
 アメリカの家には、火の始末という発想があまりないのだ。
 暖炉は上に書いたとおりだし、キッチンのガス台には元栓というものがない。日本から友人が遊びに来ると、出かけるときに「元栓しめた?」と私に訊く。実際に、ガス台の下の扉を開けて栓を探していた人もいた。
「ないんだよね、元栓」
 私が言うと、みんな目を丸くするのだ。戸締りや火の始末にやや神経質な友人は、不安そうな表情を隠さなかった。
 いや、もちろん、大元のガス栓がないわけではない。ガレージのなかのガスヒーターのところに、家のなかのガスすべてを止める元栓がある。が、これを外出のたびにしめる習慣はない。旅行のときだって、ガスの元栓はしめない(だから暖炉の種火もついているのだ)。元栓をしめるのは、ガス漏れの疑いがあるときぐらいだ。だいたい、冬場に長期にわたって家を空けるときには、上下水管が凍って破裂するのを防ぐためセントラルヒーターを少し低めの温度でつけていくこと、と書かれたニュースレターが、毎年冬になるとガス会社からの請求書に混じって入ってくる。そういうわけで、ガス式セントラルヒーターの種火も、いつもつきっぱなしだ。
 つきっぱなしといえば、同じくガレージにある給水用のボイラーの種火も、いつもついたままである。夕方、暗くなってから家に帰ってきてガレージのドアを開けると、隣り合って並んでいるガスヒーターとボイラーの機械のなかに小さな火が見える。寒い日などは、セントラルヒーターの設定温度を低めにして外出しても、ヒーターが勝手についていることがあって、そんなときには種火どころかオレンジ色の炎がめらめらと威勢よく燃えているのが見える。
 これがアメリカ流の暮らし方なのだ、と思いつつ、留守にしていた自宅のなかに火が揺らめいているのを見ると、ちょっとドキドキする。火事になりはしないかという心配はもちろんだが、エコでないなあ――と、少しばかり居心地が悪いのだ。
 
 ところで、先日のアカデミー賞授与式では、ゴア元副大統領が注目を集めていた。出演したドキュメンタリー映画、An Inconvenient Truth(「不都合な真実」)がいくつか賞を取ったからだ。
 この作品では、地球温暖化に危機感を抱いたゴア元副大統領が、環境に関する人々の意識を改革すべく世界中のいたるところで講演する姿が映し出されているのだそうだ。
 環境は二の次で経済優先に走りがちな政治家や企業にとっては、地球温暖化の問題は「不都合な真実」である。世の中を動かすには、まずは一般市民の意識を変えていくしかない……というわけで、ゴア氏は各地で講演を繰り返しているらしい。
 ゴア氏の笑顔ばかりが記憶に残ったアカデミー賞の翌日、
「ゴア、太ったなあ」
「蝋人形みたいなあのテカリはなに?」
 などとラジオで言っていたので笑ってしまったが、一方では、ゴア氏を次期大統領に、という声もあった。
 実際、アカデミー賞の晩、プレゼンテーターとしてだったか、ゴア氏と壇上に並んでいたレオナルド・ディカプリオが、「今夜、ゴア氏は大事なアナウンスメントがあるようです」などと、「大統領選に出馬します」のひと言を引き出したがっているようであった(もちろんディカプリオとのやりとりは台本どおりのジョークだったのだけれど、会場に集まった人々も、ディカプリオも、どこかに「瓢箪から駒」を期待しているふうでもあった)。
 この映画を機に、ゴア氏はすっかり

自他共に認める「環境おじさん」

になったようである。九月十一日のテロをきっかけに、当時のニューヨーク市長であったルドルフ・ジュリアーニが「フリーダムおじさん」になったみたいに(ちなみに、この「フリーダムおじさん」は、二〇〇八年の大統領選に意欲を燃やしているらしい)。
 ラジオでは、
「環境、環境と言っているゴアだって、テネシーに数百万ドルもするような豪邸を持っているのだ。そのお屋敷を維持するためのガスや電気を考えてみろよ。なあにが環境だよ」
 と、彼の偽善ぶりを嘲笑していた。
 それを聞いて、私は思わず、ゴア氏の邸宅にはいったいいくつ暖炉があるのかしら、と考えた。種火はどれもついたままかしら、と(いや、彼の家の暖炉がガス式かどうかは知らないのだが)。
 ラジオのパーソナリティーの安直なコメントに乗せられてゴア氏の豪邸のことを思い浮かべながら、しかし、二〇〇〇年のあの選挙で、ブッシュ氏ではなくゴア氏が勝っていたら、アメリカという国はいったいいまごろどんな国になっていたのかなあ、というようなことを考えずにはいられなかった。
「環境おじさん」は、今度の選挙にはホントに出馬しないのだろうか。動向を見守ることにする。

 
 
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