アメリカのおいしい生活
6月
4日月曜日

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  #98 新生児のための安全な場所
 
 

 二週間ほど日本に行ってきた。
 滞在のあいだ、熊本の赤ちゃんポストに三歳児が置かれ、愛知の立てこもり発砲事件で機動隊員が殺され、福島では高校生が母親を殺した。
 立てこもり事件は、「アメリカならとっくの昔に突入してるよね」と夫と話しながらテレビのニュースを見た。この事件がアメリカで起こっていたら、死んだのは犯人だったかもしれない。
 驚いたのは、野球を見ていたら、画面の端に立てこもり現場の映像が小さく写されていたことだ。

ご丁寧に「LIVE」

と書かれていた。
 機動隊員ひとりがすでに命を落とし、まだ犠牲者が出かねないという事件を野球の片手間に見せられることに、不快感を抱いたのは私だけだろうか。人の命が関わるような事件をエンターテインメントのように扱うテレビ局の神経を疑った。
 赤ちゃんポストに関しては、「駆け込み寺」か、それとも「子捨て箱」か、と賛否両論あるようだが、この議論を耳にするたびに、私は三年前に出産のため入院したときにもらった冊子のことを思い出すのだ。
 この冊子は、オレゴン州政府の健康福祉部門が発行しているもの。「母乳保育」という項目に始まり、「予防接種」「赤ちゃんの病気」「カーシートの安全」「赤ちゃんのいるところでは禁煙」「寝かせるときは仰向けで」などなど、赤ん坊を育てるにあたり、親が知っておくべき基本事項が二十四項目書かれていた。
 予定日を一週間過ぎていたために人工的に陣痛を起こしてもらうことになった私は、子宮口を軟らかくするための薬が効くのを待ちながら、この冊子に目を通した。「低所得者のための食費援助サービス」というのが紹介されている項目もあった。簡潔に書かれていること、また、見開きのページの左側がスペイン語、右側が英語で書かれていることなどから、少しでも多くの人に読んでもらいたいのだな、と思った。
 この冊子に書かれていたことのなかで私の記憶にいつまでも残ったのは、「A Safe Place for Newborns(新生児のための安全な場所)」という項目だった。
 これは、自分で赤ちゃんを育てられないと思った人のための情報であった。
「すべての妊婦が子供を育てるのに準備万端というわけではありません」
 という一文で始まるこのページには、産んだばかりの子供を「安全に、合法に、そして誰にも知られずに」手放す方法が記されていた。
 それによれば、生後三十日までの赤ちゃんなら、病院、クリニック、警察、消防署などに置いてくることができるのだそうだ。赤ちゃんに虐待されたような痕跡さえなければ、母親の身元がわかるような質問は一切されない、とのこと。唯一の質問は、赤ちゃんの健康に関することだけ。
「以上の条件を満たせば、決して罪は問われません」
 と、繰り返し書かれていた。望まない妊娠をして望まない子供を産んでしまった女性に、赤ちゃんを殺す以外にも選択肢があるということを伝えているのだった。アメリカはさばけているなあ、と思った。
 この「新生児のための安全な場所」という項目を、まるで他人ごとのように読んだ私だったが、それからほどなくして出産し、二日間の入院期間を経て自宅で新生児の世話にかかりっきりになると、幾度となくこの「新生児のための安全な場所」のことを思い出すこととなった。
 慣れない子育てに追われて自分の身の回りのことさえろくにできないような日々が続くと、なにをしても泣き止まない娘を抱きながら、ふと娘が生まれてからの日数を数え、「いまなら連れて行くのにまだ間に合うのだな」などという考えが頭をよぎったものだ。娘が生まれて三十日以上が経ってからは、「自分が育てる以外にもう選択肢はないのだ」という当たり前の現実に、ちょっとした恐ろしさを感じたりもした。
 いま考えれば、我ながら薄情である。しかし、新米の母親というのは、そのくらいに追い詰められるものなのだ。
 真面目に働く夫がいて、安定した家庭があって、自分が望んで産んだ子供である。ついでにいえば、高齢出産のため、若い母親よりも情緒が安定しているといわれる年齢だ。そんな私でも(と自分でいうのもヘンだが)、思わず自分の子供の世話を投げ出したくなるような瞬間があったのだ。若くして望まない妊娠、出産をしたり、子供の父親である男性からサポートが得られなかったり、経済的に不安を抱えていたり、というような女性は、さぞや心細いだろうと推察する。
 また、出産直後というのは、ホルモンの劇的な変化により、うつになりやすい時期でもある。アメリカではpostpartum depressionと呼ばれる。二〇〇一年に、テキサスに住む女性が自分の五人の子供(生後六カ月から七歳まで)を自宅のバスタブで溺死させるという事件が起こったが、この母親も産後のうつ状態だったのではないかと言われている。
 私も、娘を産んでからしばらく、なんともいえない厭世的な気持ちになることがたびたびあった。頭のうしろのほうからじんわりと、漠然とした不安が襲ってきて、いてもたってもいられなくなるのだ。
 そんなときには、大きなコップに水を入れてゆっくりと飲みながら、まるで通り雨が過ぎていくのを待つように、この嫌な感じが行き過ぎるのを待った。うつにとりつかれないないように、飲み込まれてしまわないように、と頭の隅で念じながら。
 時折やってくる漠とした不安は、気がつけば、娘の首が据わるころに――四カ月のころに――なくなった。私の産後うつは軽いケースで済んだが、重症の人は大変だろうと思う。手のかかる新生児を相手に、自分の不安定な精神状態に向き合わなければならないのだから。すべてを投げ出してしまいたくなっても、不思議ではない。
 
 新生児が殺されたり、置き去りにされたりという事件が起こるたびに、世間の人々は、「どうして自分の赤ちゃんにこんなことができるのだろうか」と首を傾げる。が、私は、にっちもさっちもいかなくなった彼女たちの気持ちが、少しだけ――ほんの少しだけ――わかる気がするのだ。
 子供を産むということは、取り返しのつかないことである。ひとたび産んでしまったら、元には戻せないのだから。産むだけは簡単だが、それは、以前とはまったく違う生活がスタートすることを意味する。そこから延々と続く子育ての日々を引き受ける準備がない女性にとっては、泣き叫ぶばかりの赤ん坊は、戸惑いのもとでしかないだろう。
 熊本の赤ちゃんポストは、そういう女性たちに「どうしても困ったら、赤ちゃんを置いていくという選択肢もある」というメッセージを広く送ったという点で評価されるべきだと私は思う。赤ちゃんの命を救うことを最優先に考えるなら、オレゴンのように、もっとたくさんの場所で引き取る体制を整えるべきだ、とも。
 オレゴンの病院や消防署などに置かれた赤ん坊たちは、

すぐに養子縁組の手続き

が取られるのだという。日本では、いまの法律では養子縁組には実の親の同意書が必要になるので、匿名で置かれた子供たちは施設に入ることになるそうだ。
 親が子供を手放すという悲しいケースが、ゼロになるのが理想である。性教育を徹底して、性行為にはときに取り返しのつかない結果が伴うということを若い人たちにきちんと教え込むのは急務であろう(女性はひとりでは妊娠しないから、これは男性の問題でもある)。
 その一方で、不幸にして手放されることになる赤ん坊たちがいるなら、彼らの命を救うのがまず第一。そして、さらにもう一歩進んで、その子供たちによりよい未来を与えられるように――子供を望んでいる家庭と養子縁組ができるように――法を整備するべきだと思う。赤ちゃんポストが話題になったのをきっかけに、社会が動き出すことを願う。
 NHKによれば、日本では年間三十人ほどのゼロ歳児が母親によって殺されているという。置き去りにされて保護される赤ん坊は、年間二百人ほどいるそうだ。

 
 
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