バイマンスリー/
新世代作家の心象風景

11月5日月曜日

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 last scene: 男が倒れている

 

 男が倒れている。
 歌舞伎町と職安通りの間のラブホテルの前で、髪の長い男がアスファルトに体を横たえていた。しゃがんだ警官が言葉をかけ、もう一人が見下ろす格好で立っている。
 二十三時の週末。歌舞伎町の喧噪から解放された一方通行の路上だ。
 雨粒をこぼしそうな濁り空の下、ピンク色の看板と乳白色の街灯が辺りを照らしつけるだけだった。
 ぼくら五、六人の野次馬が見守っている。
「おい、大丈夫か! 酔っぱらってるのか?」
 警官が張りのある声で倒れた男の肩を二、三度小突いた。男はひどく泥酔している様子で、目をつむったまま両腕をぐにゃりと曲げている。
「だ、だからよ、そいつは殴られたんだって……なか、なかまのポリが追っかけてったろっ」
 ぼくの横で、缶ビールを持った中年男が警官を野次る口調で言った。近くの公園をすみかにしているホームレスらしく、汚れた黒い服を着ている。身長が極端に低く、髪にたくさんの埃がついていた。
 警官が声の主を一瞥してから無線機を口に当て、体の向きを変えて、ぼくらに聞こえないよう短く発信した。アヒルの鳴き声に似た雑音交じりの応答がすぐに返ってくる。
「いま、救急車を呼んだからな。とりあえず、聞こえてたら体を動かしなさい!」
 男は微動だにしない。
 角度を変えて覗きこむと、鼻から血が流れているのが見えた。街灯にかろうじて照らされた小豆色の筋は、マジックインキでいたずら描きしたみたいに唇につたっていた。
「ア、アタマぁ打ったんだ。ガツーンってよぉ。アンちゃんどおしで、ケ、ケンカしててさぁ、体のでっかいヤツの、パ、パンチが当たってよう、そ、そんで逃げたんだよ」
 ホームレスの男が、口の中に綿を詰め込んだ感じのくぐもった声で、ぼくらに言った。それから、ビールの缶を右手でぺちゃんこにつぶして、「誰か、タバコをくれないか?」というジェスチャーをした。鞄を下げた学生風の若者が、すかさず上着のポケットからボックス入りのタバコを差し出す。
「警察の人に、ちゃんと言ったら、どうですか」
「さ、さっき、おっかけってた、ポ、ポリ公には言ったけどよぉ……」
 ちょこんと頭を下げて、タバコをつまみ上げながら、ホームレスが答えた。声が微妙に震えている。
 通行人のほとんどが足を止め、車がクラクションを鳴らすほどの人だかりになった。
 折からの風に吹かれて、歌舞伎町からはぐれた風俗店のチラシが、ぼくらの足下で踊っている。遠くのレールを電車が一瞬で駆け抜けた。
 しゃがんだ警官が倒れた男の顔を懐中電灯で照らして、立ったままの警官を手招いた。そうして、二人がかりで彼の肩を抱き上げ、アスファルトにへばりついた上半身を浮かせる。
「動かさない方がいいのに……」
 若者がポツリと言う。彼はすっかりタバコ仲間の言葉を信じたようで、落ち着かない様子で周囲を見回している。
「ほ、ほおら、戻ってきたぁ」
 ホームレスの視線の先から、体格のいい警官がやってきて、ぼくらの横をすり抜けたあとで仲間に合流した。
 救急車の音が聞こえる。
 倒れていた男は元の状態に寝かされて、三人の警官に取り囲まれる格好になった。
 彼らは頭を寄せ合い、やがて、いちばんの年長者がぼくらに向かってきた。制服のバッジを光らせながら、ゆっくり一歩一歩。
 すると、ホームレスが人だかりの輪を抜けて、いきなり走り出した。ネオンのうごめく歌舞伎町に向かって一目散に逃げていく。同じ人物とは思えない、もの凄く敏捷な動きだった。
「おい、ちょっと待てぇ!」
 紺の制服が小さな背中を追いかけていく。あっという間に、二人の影は消え、ぼくらはその場に立ち尽くした。
「……なんですかね? 本当に見てたんですかねぇ、あの人」
 若者がふうっと息を吐きながら、ぼくに語りかけた。
「見てたとしても、面倒くさいでしょ。こんなことに関わりあうのは」
「なにも、逃げなくていいのに……わかんないなぁ」
 彼はぼくの言葉を受けてつぶやき、到着したばかりの救急車に視線を移した。
 担架が男を運んでいる。
 五分もしないうちに、真っ赤なサイレン灯は野次馬と一緒に新宿の街に消えていき、ラブホテルの看板が夜空にぽっかり浮かんだ。

 


■本連載はこれにて最終回です。ご愛読ありがとうございました。

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