バイマンスリー/
新世代作家の心象風景

4月
2日月曜日

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 scene8: S席の男

 

 五、六十の横並びのシートには、四、五人がぽつりぽつり座るだけで、場内は閑散としている。たったいま上映を始めたばかりのスクリーンが、新宿・歌舞伎町の焼肉屋やシティホテルのCMを映し始めた。映写機から投影される赤や緑や黄色の光がまばらな人影を映し出している。
 時刻は夜中の十二時を回ったところだ。オールナイト上映の土曜日の深夜は、遠慮がちな咳やファストフードの紙袋がわずかな音をたてるだけだった。
 始発待ちの人で混む、午前三時の回を避け、ぼくは缶ビールを手にスクリーン近くに席をとった。
 ちょうど缶の蓋を開けたとき、大きなくしゃみの音が聞こえてきた。話題作の予告編が流れ、いよいよ本編が始まるというときだった。「音のありか」は、誰もいないと思っていたすぐ前の列だ。中腰になって覗きこむと、およそ映画館には不似合いな中年サラリーマンがシートに腰を沈めて眠っていた。
 ボサボサの髪と緩めたネクタイ、それにベルトがはちきれそうなお腹の贅肉は、およそ勤勉さとほど遠いイメージだ。飛行機のエコノミークラスの座席で体を丸めるようにして、スーツの上着を隣の席に投げ捨てていた。映画の上映などお構いなしに、そこで一晩中眠り続けることを宣言している。
 オールナイトの映画館は、寝場所に利用されることも多いが、そういう目的の者はたいてい後方の席を選ぶものbb映画が始まり、字幕を追い、物語に集中しようとすればするほど、無性にぼくはいらだってきた。映画を観ずに寝るだけなら、前列の「S席」など必要ないはずだ。
 案の定、いびきが聞こえてきた。この回が終わり、三時の上映が始まろうとも、ずっと続くにちがいない。
 すっかり散漫になったぼくを置き去りにして、物語は前半部のヤマ場を迎えた。主人公の乗った飛行機が乱気流にもまれて墜落していく場面だ。
 場内に響きわたる爆音と、スクリーン自体がひっくりかえるほどの激しい映像bbと、そのときだった。熟睡中の中年サラリーマンが、飛行機事故に巻き込まれたみたいに、突然に起き上がった。何が起こったのか信じられない様子で、彼はスクリーンを凝視し始めた。微動だにせず、じっと。
 九死に一生を得た映画の主人公は、やがて無人島に漂着し、四年の歳月をひとりで過ごした。食べ物を探し、火を起こし、ついには島からの脱出を試みるというストーリーだが、それはあまりにも残酷な結末だった。
 この世に奇跡などあり得ない、そう思った瞬間、思いがけず「小さなドラマ」がぼくの目の前に現れた。件の中年サラリーマンが、いつしか映画に引きずり込まれ、ラストシーンで鼻をすすっていたのだ。
 深夜二時三十分……うつむいた頭と微妙な肩の揺れ、お通夜みたいなすすり泣きがたしかにぼくの前にあった。
 そうして映画が終わり、まばゆいばかりの照明が場内を照らすと、人目をはばかるように彼はそっと席を立った。                  

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