今月のゆでかげん(受賞作家 競作エッセイ)

お題:リセット 尾﨑英子 2018年11月19日

来月のお題:今年心に残った一冊
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お題:リセット/尾﨑英子 2018年11月19日
友達のお店


 どうしてこうも毎日雑務に追われてしまうのだろう。
 野暮用にばかり時間を取られて、やりたいこと、本当にやらないといけないことがいっこうに進まない。
 子供の学校関係のあれこれ、宅急便の受け取りや乳製品のサンプルを持って来られる業者や宗教の勧誘のお断り。
 前日の夜に子供が思い出したように言ってくる「あっ、そういえば明日の工作に使うから」という物(例:空の2リットルのペットボトル、空のカップラーメンの容器、牛乳パック、使い切った単一の電池など、買い物競争以上の難題)を慌ただしく調達したり。あるいは、道に迷っている人を案内したり。
 そうそう、なぜかわたしは人に道を聞かれることが多いほうで、しかも本気で迷っている人に声を掛けられる。自分の家がわからなくなったご年配の方を交番にお連れしたのは、一、二度で済まない。
 少し前になるが、家に息子といた昼下がり、知らないおばあさん(推定九十歳)がリビングにいらっしゃったこともあった。
「お母さん、どっかのおばあさんが入ってきたんだけど」
 と、息子が台所に駆け込んできたのだ。
 ええっと、それは目に見えるおばあさん? それとも目には見えないおばあさんかな? という疑問が浮かんで、どっちにしても怖いな……とドキドキしながらリビングを見たら、目に見えるおばあさんがいらしたのだ。
「あのねぇ、あたし、学校から戻ったんだけど、おうちがどこかわからなくなって、トイレにも行きたくなって……」
 と、童女のようなたどたどしい口調でおっしゃるので、おお、なるほど、と理解するや、それではとトイレをお貸しして、お茶を出しつつ警察に電話をして対応した。
 感じのいいおばあさんだったからよかったものの、いつのまにか知らない人がリビングに入ってくるというのは、マジで心臓が止まる五秒前っていうくらいの恐怖でしたよ。
 在宅中も鍵は掛けておくべし!
 この間なんて、近所でいつものように自転車に乗っていたら、なぜか日本語を挨拶くらいなら話せるけれど英語はまったく話せないらしい外国人の若い女性(推定二十三歳)に最寄り駅への行き方を訊かれたのだが、日本語も英語もほとんど伝わらないものだからけっきょく駅が見えるところまでご一緒した。
 共通の言語がないからろくに会話もできず、ときどきお互いに顔を見合わせて、ハーイ、あはは、と笑ってやりすごすしかなかったのだが、もしも言葉が通じたらいろいろ聞きたかった。
 なぜ日本語も英語もほとんどできないあなたが、どういう理由でこんなところを歩いているのか? 最近になっておしゃれなカフェや店ができてきたとはいえ、外国人向けのガイドブックでピックアップされるほどの知名度のない中央線沿線の住宅街に何の用があるのでしょう? うーん、謎だ。リアルに「Youは何しにここへ?」とマイクを向けたい。そんな衝動をこっそりと押しとどめて、わたしは親切な日本人としての役割を果たしたのだった。
 
 まあ、そういうもろもろによってバタバタしてしまう自分をどうにかしたい。
 もっと有効的に時間を使える人になりたいな、と思うこの頃。
 慌ただしい中にいると逃避願望がむくむくと湧き上がってくるもので、そういう時にわたしの頭に浮かんでくる店がある。
 それは、別荘地としても知られている神奈川県葉山の一色海岸のすぐそばにある『イル・リフージョ・ハヤマ』というお店。
 古民家を改装しているため、隠れ家的なイタリアンレストランとしてメディアなどでも紹介されている人気店なのだが、何を隠そう(べつに隠すことではないが)わたしの高校時代からの友人がご主人とやっているのです。
 葉山といえば、湘南のセレブな別荘地ですよ。しかも海岸まで歩いて一分。
 そんな好立地にどういう縁があったかというと、もともとその土地は、りさっぴ(というのが友人の呼び名)の祖母がお住まいになっていた家なのだった。
 葉山の一色海岸といえば、ご存知、天皇家の御用邸。まさにそのすぐそばというやんごとなき場所にあるせいか、ものすごく気の流れがよい。
 磁場が強いっていうのか、そこにいるだけで、巨大なピップ○レキバンの上にいるように肩こりがほぐれていくって感じ。
 それもそのはずで。聞くと、もともと大正天皇の女官長の別荘だった家らしい。それが時代の流れによってなのか、とにかく売り出されたのを、りさっぴのおじいさまが新婚の住まいとして手に入れた経緯ですって。「りさっぴ」なんてちょっとヤンチャなあだ名だけど、葉山らしいハイソな家柄なのです。
 家の構造も少し変わっていて、ご主人(天皇さまや女官長)が使う階段と女中の方が使う階段が二つ設けられているそうな。身分差で使い分けていたというのもあるだろうし、万が一何かしらの危険が迫ってきた場合の逃げ道としての役目もあったとか。
 また、レストランにするために改築した際には床下から、昭和天皇がお生まれになって初めて乳母からお乳を召し上がったという大正四年の新聞が出てきたので、彼女もびっくりしたという。
 そういうわけで、そんじょそこらの古民家とは格が違う、キングオブ古民家という称号を与えられてもいいくらいなのです。
 
 そういう背景うんぬん以前に、個人的にも、友人の祖母宅というわけで思い出深い場所なのだった。
 りさっぴの「おばあちゃま」がお元気だった頃にはたびたび寄せてもらい、高二の夏には一週間ほど泊めていただいた。
 海で遊んだ後に庭から浴室に入って砂だらけの足を洗ったことや、台風が近づいている時に二階の窓から倒れそうなほどしなる樹木を眺めたことも懐かしい。
 海に疲れたら、いくえみ綾や一条ゆかりを畳の上で読んでは胸をときめかせ、また夜になったら海岸に出て、今度は妄想話に花を咲かせる。
 だいたい妄想を披露するのはわたしのほう。暗闇の中、右から左へと崩れていく波が白く泡の線となっては消えていくのを眺めていると……。
 あっちの波がわたし、向こうの波が○○くん。波と波がぶつかり合うように、二人の情熱の導火線に火がついて……。
 と、まあ、こんな具合に目に入るものがすべて「恋」の権化と成りかわる病により、右脳が溶けて耳から流れ出てきそうな症状に浮されていた魚座A型のわたしを、リアリスティックな女王さまである獅子座A型のりさっぴが泰然として時に冷ややかな眼差しで眺める、という仲であった。
 
 その家主だったおばあちゃまが他界されて、元来の趣を残しつつ改築されたイタリアンレストランを訪れるたびに、いつも少し不思議な気分になる。
 あの頃に育まれた友情が今もまだ繋がっていて、あの頃と同じ場所で会している。だけど、あの頃には想像していなかった今にいる。さすがにわたしの右脳も、もう溶けていない。
 たぶん、りさっぴもそうだろう。幼い頃から慣れ親しんだ祖母宅でお店をはじめるなんて、きっと想像していなかったはずだ。
 でも、お店に古い梁や柱がそのまま残っているように、おそらくわたしたちの真ん中あたりは変わっていない。
 今でもわたしはいくえみ綾と一条ゆかりが大好きだ。りさっぴは最近読んでおもしろかった推し漫画を、昔と同じテンションで教えてくれる。
 もしもあの頃みたいに膨大な暇を与えられたら、二人して寝転って、同じような時間を過ごせるだろう、とも思う。
 現実的には、そんなことはきっと叶わない。りさっぴの店は、ランチもディナーも盛況で忙しく、わたしはわたしで瑣末なことに追われている。だけど、そんなふうに思えるだけでも、なんだろうか、あの頃の延長線上にいるのだという安心感が背中を押してくれるようで、明日への励みになる。
 だから今日もわたしは、歯の被せ物が取れたので歯医者に行って、その帰りに目がかすむような気がして眼科に立ち寄って、家へ向かっている道で付けてもらったばかりの仮歯が取れてまた歯医者に戻るという野暮用に時間を取られて、午前中が終了したけれど大丈夫……だと思いたい。
 ああ、そろそろ葉山に行きたいな。


著者プロフィール

近況:
渋谷で働いている友達の職場近くにある「個性が爆発しているお寿司屋」でランチするはずが、定休日だったのでヒカリエの中にある回転寿司を食べた。すごく美味しかったし満足したものの、行くはずだった寿司屋の個性がどんなふうに爆発しているのか、いまだに気になっている。

尾﨑英子(おざき・えいこ)
1978年生まれ。大阪府出身。早稲田大学教育学部国語国文科卒。フリーライター。東京都在住。『小さいおじさん』で第15回ボイルドエッグズ新人賞を受賞。同作は6社による競争入札の結果、文藝春秋が落札、2013年10月同社より刊行され、大評判となった。「小説すばる」7月号に短篇「シトラスの森」掲載。「森へゆく径」にエッセイ「いつも心にファン気分を」を寄稿。2017年1月、『小さいおじさん』を改題し、『私たちの願いは、いつも。』として、角川文庫より刊行。「幽」vol.27(KADOKAWA)にエッセイ「ガラシャ夫人の肖像」を寄稿。5月 、長編第2作『くらげホテル』を KADOKAWAより刊行。11月、長編第3作『有村家のその日まで』を光文社より刊行。


Back Number 2017

11月のお題:リセット
激流のザキヤマ…………………小嶋陽太郎
友達のお店…………………………尾﨑英子

10月のお題:平成の終わりに
生きた化石…………………………尾﨑英子
貴様いつまで子どもでいるつもりだ
       …………………小嶋陽太郎

二年号参り…………………………園山創介

9月のお題:エモい
母がなくなって、一年経って……尾﨑英子
夕暮れのマジック……………………黒瀬陽
ほんものの競馬おじさん………小嶋陽太郎
はじめての木登り…………………園山創介

8月のお題:宴のあと
祭りのあとのあと……………………黒瀬陽
ATMコーナーのおばあさん………園山創介
膝の痛え家………………………小嶋陽太郎

7月のお題:96
時に、西暦一九九六年………………黒瀬陽
身体は出口を感じてる?…………尾﨑英子
プレハブ小屋の店長………………園山創介
職業体験記………………………小嶋陽太郎

6月のお題:夏への扉
イマジナリーフレンドと『くらげホテル』
       ……………………尾﨑英子

はじめましたって言われるアレ
       …………………小嶋陽太郎

膨張狂想曲……………………………黒瀬陽
割り箸の上の鳥……………………園山創介

5月のお題:トラベル・ミステリー
愛と幻想のタイムトラベル…………黒瀬陽
うつろな温泉………………………園山創介
あずさにて………………………小嶋陽太郎

4月のお題:櫻の樹の下に
黒瀬陽の東方見聞録…………………黒瀬陽
愛でたい春…………………………尾﨑英子
らんまん娘と薬味…………………園山創介
秘密の活動………………………小嶋陽太郎

3月のお題:卒業
同級生だもの………………………尾﨑英子
my graduation………………………黒瀬陽
Taiko Super Kicks のちヨシキ
       ……………………小嶋陽太郎
 
はじまり旅行………………………園山創介

2月のお題:聖バレンタインの惨劇
さよなら平成…………………………黒瀬陽
猟奇的な彼女……………………小嶋陽太郎

1月のお題:無題
お犬様と年男…………………………黒瀬陽
2018年宣言…………………小嶋陽太郎

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