今月のゆでかげん(受賞作家 競作エッセイ)

お題:深酒 尾﨑英子
2019年11月1日

来月のお題:え?もう師走!?
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お題:深酒/尾﨑英子 2019年11月1日
まあいいか、じゃなくて!


 深酒してもっとも後悔するのは記憶をなくすことでしたが、最近は翌日に覚えていなくても、まあいいか、と思えるようになったようです。
 って、いったい誰への報告でしょうか。
 まあいいかって……良くはない。深酒するわ、羞恥心はないわ、ではダメ人間だ。
 いや、羞恥心をなくしたわけではないのです。
 これまで二十年以上お酒と付き合ってきて、記憶をなくしたことは数知れず。後悔、怒り、自己嫌悪……さまざまな苦厄を経たすえの、涅槃寂静というべきかな。
 では、そんな境地の、とある朝を再現してみましょう。
 
 ハッ、と目が覚める。
 ここはどこ……家か……えっ、家?
 たしか○○ちゃんたちと飲み会で、あの店で飲んでて、うん? どうやって帰ってきたんだっけ?
 ベッドで上体をむくりと起こし、宙を眺めること数十秒。
「……やばい、覚えてない」
 ここからはじまる、不安なシンキングタイム。
 そうです、不安なんです。
 記憶をなくして不安になるのは、酔っている時の自分に自信が持てないからだろう。
 誰かに失礼なことを言っていないだろうか?
 誰かを傷つけたりしていないだろうか?
 はっちゃけすぎて失態をおかしていないだろうか?
 孵化したカマキリの卵のように、不安は糸を引いて次から次へと生まれてくる。
 落ち着こう。ひとまず喉が乾いたので、水でも飲むかと足を動かしたら、ズキッと小さな痛みが走る。
 膝を見ると、青い痣が!
 えっ、なんで……。
 身に覚えのない(というのも変な表現だが)怪我を見つけて、さらに焦りが生じる。
 どこかで転んだのか? 怪我しているんだから、きっとそうだろう。
 待てよ、まさか歩いて帰ってきたということか?
 いや、そんなわけはない。
 タクシーに乗った記憶は、何となくあるような……って、すみません、嘘つきました、タクシーに乗った記憶もないです。
 でも、普通に考えてタクシーだろう、きっと。
 じゃあ、タクシーに乗る前に店で転んだ? トイレに行く時? 千鳥足で転んでいるところをみんなに見られている? あちゃー、やだなー……と頭を抱える。
 あっ、そうだ! スマホは? 財布は?
 バッグはどこだ……バッグ、バッグ、と探していると、次なるヒントが現れる。
 なんということか。
 バッグが、玄関の三和土に放置!
 しかも、手帳やポーチがはみ出している。
 散乱した自分のバッグを眺める朝の、あの物悲しさは唯一無二というんでしょうか、
「相当酔っ払ったんだね……」
 と、昨日の自分に話しかけながら、バッグの中身を調べる。財布、あった。スマホ、あった。とりあえずセーフ。
 胸をなで下ろしていると、玄関に置いてある息子のキックボードが不自然な形で転がっていることに気づく。
 どういうことだ?
 状況を鑑識するに、一つの仮説が生まれる。
 これは、きっと酔っ払って帰ってきたところ、キックボードにつまずいて転んだのではないか? その拍子にバッグは三和土に転がり、中身がはみ出る。うめくわたし。痛む膝を引きずるようにして何とか靴を脱ぎ、リビングへ。バッグはそのまま放置……そういうことなのではないか。
 かなりいい線を突いていると思うものの、残念かな、正解だと言い切れない。
 自分のことなのに思い出せないなんて、まるで前世から持ち越したカルマのようじゃないか……。
 せつなくなっていると、ピコンッと電子音。
 一緒に飲んでいた○○ちゃんからLINEが。
『昨日も楽しかったねー。すぐにタクシーつかまってよかったよ。ちゃんと帰れた?』
 かわいいウサギのスタンプまで送ってくれる。
 こういう状況での「楽しかったねー」の安堵感もまた、他にたとえようのない。
 生きていてもいいんだよ、と許されたような、LINEの主が救いの御子のように尊く感じられるものだ。
『こちらこそ楽しかった! なんとか帰れたよー。また飲もうねー』
 あたかも、ちょっと飲みすぎちゃったわーくらいの酔い(記憶なくしてないよ♪)だとアピールするように、さらっと返信。
 
 だよねー、わたしってからみ酒じゃないしねー!
 
 ○○ちゃんのLINEの感じからして、みんなと楽しく飲んで帰ってきたとわかったら、失いかけていた自信が回復。すると現金なもので、なくした記憶の詳細はどうでもよくなる。
 むしろ詳細に知らないほうが精神衛生上良いことも知っているので、
「まあ、いいか」
 となるわけなのだった。
 
 そんなわたしだが、座右の銘として、
「テキーラだけは甘くみるな」
 というのを心に刻んでいる。
 普段は缶チューハイやワインでゆるゆると楽しむのが好きなのだが、二年に一度のペースでメキシカンの波が来る。タコスやチリコンカンなど辛い料理を食べながらまずはレモンを絞ったコロナからの、テキーラのソーダ割り、というお決まりの流れ。
 南米の陽気な酒はつい羽目を外してしまう。歩道の植え込みにダイブして傷だらけになったことも、店内で唄ってくれるマリアッチにリクエストしたカーペンターズの『トップ・オブ・ザ・ワールド』をうろ覚えの歌詞で熱唱したことも……ああ、思い出したくない。っていうか、覚えてない!
 テキーラはわたしにとってのヤヌスの鏡なのだ。
 
 こういう情けないエピソードをもたらされる一方で、お酒の効能も享受している。
 その一つは、小説を書く時に活かされている。
 小説を最後まで書き終えたところでプリントアウトすると、わたしは軽く酔った状態でそれを読むようにしている。
 なぜかというと、いつもの自分よりも少し気が大きくなった自分に読ませるためだ。
 書く上で、臆病であることと勇気を持つことのバランスは大事だと思っていて、勇気に溢れすぎてイケイケゴーゴーで書き走ると独りよがりになり、かといって臆病すぎると何も伝わってこない文章に陥ってしまう。
 わたしはどちらかというと臆病になる傾向が強く、勇気はかなり意識的に保とうしないとすぐにくじかれる。
 酔って気が大きくなった状態で読むと、普段のわたしが書いた文章の臆病ポイントが見えてくるのだ。
「本当はここでもっと書き加えたいのに、弱気になってさらっと流しちゃってるんだな」
 とか、逆に、
「読み手に伝わらなかったらどうしようと思いすぎるあまり、冗長になっているんだよね」
 などという感じで。
 ヤヌスの鏡と行かないまでも、ほどよい酔いによっていつもの自分から少し離れたもう一人の自分がガシガシと赤ペンを入れていく。
 さらにその赤ペンを素面の時に読み直し、再調整。
 これはわたしのやり方で、執筆スタイルとしていいかどうかは知りません。お酒の力など借りずに書きなさい、というお叱りもあるかもしれないが、とりあえずこの調整が、まあまあ自分に合っているように思える。
 何にせよ、どれほど有用なものも付き合い方が大事。
 はい、わかっています。
 まあいいか、じゃなく身に覚えのない青あざを作らないように気をつけます!


著者プロフィール

近況:
ここ最近イマジナリーフレンドの話をしなくなりつつあった次男ですが、久々の新キャラ登場。台風に乗ってやってくるサクライくんですって。おいおい、嵐の桜井くんじゃなくて!?(次男はアイドルの嵐を知りません。にしても相変わらず、謎のネーミング)

尾﨑英子(おざき・えいこ)
1978年生まれ。大阪府出身。早稲田大学教育学部国語国文科卒。フリーライター。東京都在住。『小さいおじさん』で第15回ボイルドエッグズ新人賞を受賞。同作は6社による競争入札の結果、文藝春秋が落札、2013年10月同社より刊行され、大評判となった。「小説すばる」7月号に短篇「シトラスの森」掲載。「森へゆく径」にエッセイ「いつも心にファン気分を」を寄稿。2017年1月、『小さいおじさん』を改題し、『私たちの願いは、いつも。』として、角川文庫より刊行。「幽」vol.27(KADOKAWA)にエッセイ「ガラシャ夫人の肖像」を寄稿。5月 、長編第2作『くらげホテル』を KADOKAWAより刊行。11月、長編第3作『有村家のその日まで』を光文社より刊行。新作長編は2019年12月、光文社より刊行予定。


Back Number 2019

11月のお題:深酒
まあいいか、じゃなくて!………尾﨑英子
禁煙宣言………………………………大石大
先生……………………………………黒瀬陽
不思議な世界………………………園山創介
或る日の飲酒のわりと詳細な記録
        ………………小嶋陽太郎


10月のお題:デビュー
褒められる鼻の穴…………………尾﨑英子
デビュー戦………………………小嶋陽太郎
作家デビューのためのブックリスト…大石大
しおちゃんの牛乳パック…………園山創介
一人暮らしデビュー…………………黒瀬陽

9月のお題:月
夏の終わりに思うこと……………尾﨑英子
致命的な勘違い………………………大石大
満月が好き………………………小嶋陽太郎
北海道レーダー……………………園山創介
月の光…………………………………黒瀬陽

8月のお題:少年時代
自転車に乗る練習…………………尾﨑英子
嫌いな食べ物のクセがすごい………大石大
明け方の秘密………………………園山創介
小三の魂…………………………小嶋陽太郎

7月のお題:炭酸
缶チューハイの沼…………………尾﨑英子
炭酸は大人の味………………………大石大
くるくる回る………………………園山創介
神戸居留地………………………小嶋陽太郎
力水神とコーラの修行………………黒瀬陽

6月のお題:雨の訪問者
上京はしたけれど……………………大石大
勝手に訪問…………………………園山創介
地下鉄のザジ……………………小嶋陽太郎
十七歳の地図…………………………黒瀬陽

5月のお題:新元号
枠組み…………………………………大石大
フラミンゴ………………………小嶋陽太郎
ワンランクアップ…………………園山創介
令和最初の缶ビール…………………黒瀬陽
令和だからこそ行っておきたい天守閣・大阪城編
         ………………尾﨑英子

令和になったからこそ行ってみたい清水寺編
         ………………尾﨑英子


4月のお題:新社会人
囲碁将棋部の世話役………………尾﨑英子
就職前のゴールデンタイム…………大石大
ミニ警察…………………………小嶋陽太郎
ゴールデンルーキー…………………黒瀬陽
ぐるイブ……………………………園山創介

3月のお題:花霞
萬代先生……………………………尾﨑英子
ある日のこと……………………小嶋陽太郎
サイクリングロード………………園山創介
宮島の紅葉、弥山の梅………………黒瀬陽

2月のお題:謎
ばったり会う人……………………尾﨑英子
宮島スイーツの謎……………………黒瀬陽
チンチン電車………………………園山創介
子どものころの不思議なできごとシリーズ
       …………………小嶋陽太郎


1月のお題:新年の挨拶
知らねえアメリカ人どころの騒ぎじゃない
       …………………小嶋陽太郎

良き朝………………………………園山創介
猪突のご挨拶…………………………黒瀬陽
ありがたい…………………………尾﨑英子

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