今月のゆでかげん(受賞作家 競作エッセイ)

お題:深酒 園山創介
2019年11月19日

来月のお題:え?もう師走!?
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お題:深酒/園山創介 2019年11月19日
不思議な世界


 二十代前半のころ、地元の先輩に連れられて夜更けのスナックを訪れた。十畳ほどのこじんまりした店で壁には古びたポスターがぺたぺた貼られ、薄暗い室内で、天井から吊り下げられたミラーボールが鈍く瞬いている。
「ほほう。これがスナックか」
 わたしのときめきデータが、『スナック=お菓子』から、『スナック=お菓子または飲み屋』に更新された。
 カウンターの向こうではママと呼ばれる中年の婦人がたたずみ、カラカラと焼酎の水割りを作っている。堅苦しそうな顔をした年配のサラリーマンがカウンター越しにママと語り合っている。サラリーマンの横顔は気難しそうだが、その背中から、きゃっきゃとはしゃぐオーラがにじみ出ている。空のグラスを自ら片付けて、ママにお礼を言われて照れているおじさんもいる。ここは、愛嬌のあるキャラクターたちのいる夢の国ではなく、中年ママのいるおっさんたちの夢の国のようだ。
 ビールやサワーの喉越しをたのしみ、小鉢に入った煮物やチーズの載せられたクラッカーを頰張った。おつまみが美味いのでお酒が進む。定食屋で夕飯を食べるときにもビールを飲んでいたので、ここが二軒目である。酒に弱いので、すでに酔いがまわっている。
 先輩は、イクラさんと呼ばれるおじさんと話しこんでいる。五、六十歳のおじさんのあだ名がイクラさんである。あだ名の由来はなんだろう。イクラ好きだからか? 新倉さんという名前なのだろうか? いずれにしても、面白い。店に集まる客も、スナックの魅力のひとつなのかもしれない。
 薄暗い店内でミラーボールが瞬き、賑やかな声が絶え間なく続いている。なんだか夜の遊園地にいるような気分だ。ああ……、楽しい……。
 
「はっ……!」
 ふと、気がつくと、店内は蛍光灯が点き、明るくなっていた。
 周囲を見ると、お客が誰もいなくなっている。
 壁の時計を見ると、深夜二時をまわっていた。しまった。酔いつぶれてしまったようだ。
「お目覚めかしら」
 カウンターから声がした。ママがカチャカチャと食器を片付けている。もう店じまいのようだ。先輩はどこにいるだろう? トイレだろうか?
「あなたって氷が好きなのね」
「えっ?」
 ママがカウンターの向こうで微笑んでいる。わたしの目の前には空になったグラスが置かれていた。酔いがまわって頭がくらくらしたときに氷を頬張るのが好きなので、グラスの氷を頬張り尽くしたのかもしれない。
「氷のおかわりもしていたのよ」
 うわあ。恥ずかしい。まったく記憶にないが、なめるための氷のお代わりを頼んでいたなんて。
「タクシーを呼んであるからもうすこし待っていてね。ここの会計もタクシーのお支払いも先輩にいただいているから心配しないでね」
「すみません。ありがとうございます」
「先輩は、明日早いからって先に帰られたわ」
 そうだったのか。よかった。怒って帰ってしまったわけではなかった。昼ごろになって落ち着いたら先輩にお礼の電話をしよう。
「嘘を言っちゃあ、いけねえよ」
 突然、背後から声がした。
 お手洗いから、中年の男性が現れた。ハンカチで丁寧に手を拭っている。
「君の先輩はイクラさんと次の店に飲みに行っちゃったぜ。若者に嘘を言っちゃあいけねえよ」
 背が低く、坊主頭の四角い顔で、目がギョロリとして無精髭が生えている。花柄の派手なTシャツをまとい、ダボダボの作業ズボンを履いている。大河ドラマで見た、豊臣秀吉っぽいなと思った。
「んもう」
「ママ、いいんだよ」
「ごめんなさいね。この人、あなたが同じ中学校の後輩だって聞いたから嬉しいらしいの」
「なあ、若者よ。いついかなるときも楽しまなきゃ損だぜ」
 秀吉さんは低い声で言った。たしかにそうだ。すこしの時間でも楽しもうと思えば、何か新しい発見があるかもしれない。
 金言だなあ、と思っていると、秀吉さんは腰をかがめ、靴を脱ぎはじめた。うん? どうしたんだ? 
 秀吉さんは履物を脱ぐと、ソファーに飛び乗った。そして、背もたれの上に登り、両手を広げ、そろりそろりと歩いている。ソファーの端まで来ると、ひらりと床に飛び降りた。
「楽しまなきゃ損だぜ」
 秀吉さんはダンディーな声でささやいた。
「はいっ」
 と力強く返事をしたものの、
「楽しんで怪我をしたら、楽しまなきゃ損だぜ以上の大損だ」
 と思ったので、ついさっきの金言は銅言に降格した。
 しばらくすると、お店の前に迎えのタクシーがやってきた。お礼を述べて帰ろうとすると、
「若者よ。鰻食いにいこう」
 と秀吉さんが目を輝かせた。もう二時すぎである。
「早く家に帰って眠りたいので……」
 と言えるはずもなく、おごってくれるというのでついて行くことにした。よし。行くと決まったら楽しまなきゃ損だ。
 タクシーに揺られ、次の居酒屋に到着した。暖簾をくぐると店内に煙が立ちこめていた。開いたドアから煙がすうっと抜けていく。この店は炭火焼きの料理がお勧めのようだ。
 秀吉さんとカウンター席に腰をおろした。自家製のもつ煮や焼き鳥に舌鼓をうち、ビールのグラスを傾ける。しばらくすると、ちいさなお重が差し出された。
 蓋を開けると、甘じょっぱい匂いが鼻腔をくすぐった。鰻の表面がべっこう飴のように輝き、お重に敷かれた米のひと粒ひと粒がきらめいている。
 鰻に箸を入れ、米とともに頬張った。よく炙られたサクッとした歯ごたえがして、口の中に鰻の油の旨みが広がった。噛みしめると、鰻と白米とが混ざり合い、甘味がどんどんと増していく。
「どうだ。若者よ」
「すごく美味しいです!」
 秀吉さんは満足そうに白い歯を見せた。
 今日はいろいろなことがあった。先輩と夕飯に出かけたのに、二軒目にスナックを訪れた。そして、その店にいた、はじめて会った秀吉さんに連れられて、こんな真夜中に鰻を食べている。
 秀吉さんは鰻重を一気に食べ終え、他の客のいる席に移動した。しばらく彼らと談笑していたが、そのうち、履物を脱いで、椅子や棚に登りはじめた。高いところが好きらしい。かなりお酒を飲んでいるので、人にぶつかったり、落っこちなければいいけど。他の人に迷惑をかけているようでいて、絶妙に人がいない場所を渡り歩いている。でも、まあ、そんなことを言ったら怒られちゃうかもしれない。ああ。しかし、お腹がいっぱいだ。
 
「はっ……!」
 ふと、気がつくと、自分の部屋の天井が目に入った。
 寝間着のジャージを着て布団で寝ている。
 壁の時計を見ると、昼の十二時を回っていた。
 ありえない。酔いつぶれて寝てしまったようだ。携帯電話を取り出し、先輩に電話をした。しかし、何度連絡しても、電源が入っていないというアナウンスが繰り返されるだけだった。手に汗がにじんできた。どうしよう、どうしよう。
 ここまでどうやって帰ってきたのかすら記憶になかった。部屋を出て家族に聞くと、わたしがいつ帰ってきたのかわからないと言う。タクシーで送ってもらい帰り着いたのだろう。秀吉さんに、大変失礼なことをしてしまった。
 大変だ、大変だ。洗面所で顔と頭を洗い、身支度を整え、自転車にまたがった。
 全速力でペダルを漕いだ。鼓動はずっと高鳴ったままだった。駅前の菓子屋に寄って菓子折りを購入した。何をすればいいのか分からなかったが、とにかく謝らなければいけないと思った。先輩の家も秀吉さんの家も分からなかったので行く場所はひとつしかなかった。自転車を必死になって漕いでいく。
 スナックにたどり着いた。
 昨日は闇に紛れていたが、太陽の光に照らされて、木目調の板で覆われた建物の姿がくっきり浮かび上がっている。昨晩は夢の国の入り口だと思った扉が、今見ると、自分が入りこんではいけない入り口のように思えた。
 ためらっていると、背後から自転車のブレーキ音がした。
「あら、どうしたの。忘れ物?」
 建物の脇に自転車を停めたママが、自転車のカゴからスーパーの買い物袋を取り出している。
「あの、昨日、ご迷惑をおかけしたので……」
 と、菓子折りを見せた。緊張してうまく話せない。
「ちょっと待っていてね」
 ママは建物の裏側へ回りこみ、店の入り口を開けてくれた。どうぞ、と促され、店内のカウンター席の丸椅子に腰をおろした。わたしは、先輩と秀吉さんに失礼なことをしてしまったので、お詫びの気持ちを伝えにきた旨を話した。
 お酒の席での失敗ってこういうことを言うのだろうか。年上の人との別れ際の記憶がないなんて自分でも信じられない。どんなに無礼なことをしてしまったのだろうか。ほんとうに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 ママはスーパーの袋から野菜などを取り出し、冷蔵庫にしまっている。食器棚を開け、カラカラと何やら作業をしている。
 すると、カウンターの上に、グラスに入った烏龍茶が差し出された。
「これはサービスね。それじゃあ、このお菓子はお預かりしておくわね。でもね、そのくらいのことで心配しなくて大丈夫よ」
 そう言うと、ママはカウンターに置かれた菓子折りを受け取り、
「ご苦労さま」
 と目を細めた。
 その言葉を聞いた瞬間、心が軽くなった。柔らかな風が頬をなでる。扉の開け放たれた入り口から裏口へ風が吹き抜けている。太陽の光の射しこむ店内で、ママは開店のための準備を進めている。水を流す音や、食器の重なる音、食材のラッピングをはがす音が鳴り響いている。
 長居しているわけにはいかなかった。わたしは烏龍茶をぐいっと飲み干した。なんだか力がみなぎるような気がした。
「ご馳走さまでした」
 椅子から降りて、お礼を言った。ママは作業をやめて、こちらを向いて微笑んだ。
「今日は氷のおかわりは大丈夫みたいね」
 わたしはスナックをあとにした。振り返って建物を仰ぎ見る。どこにでもある平屋建ての建物だった。太陽の下にある店よりも、夜の店の方が輝いて見える。ママがいて、いろんな客が訪れる。スナックは不思議な世界だ。


著者プロフィール

近況:
室内を歩いていると、足に急激な痛みを感じた。スネを見ると血が出ている。あたりを見ても危険物は何もなかった。「虫か? 妖怪カマイタチか?」と思ったが、よく見ると棚から一枚紙がはみ出していた。うーん、やられた。整理整頓をしっかりしよう。

園山創介(そのやま・そうすけ)
1975年、埼玉県生まれ。拓殖大学を卒業後、金融機関に勤務。初の小説『サザエ計画』で第13回ボイルドエッグズ新人賞を受賞し、作家デビュー。


Back Number 2019

11月のお題:深酒
まあいいか、じゃなくて!………尾﨑英子
禁煙宣言………………………………大石大
先生……………………………………黒瀬陽
不思議な世界………………………園山創介
或る日の飲酒のわりと詳細な記録
        ………………小嶋陽太郎


10月のお題:デビュー
褒められる鼻の穴…………………尾﨑英子
デビュー戦………………………小嶋陽太郎
作家デビューのためのブックリスト…大石大
しおちゃんの牛乳パック…………園山創介
一人暮らしデビュー…………………黒瀬陽

9月のお題:月
夏の終わりに思うこと……………尾﨑英子
致命的な勘違い………………………大石大
満月が好き………………………小嶋陽太郎
北海道レーダー……………………園山創介
月の光…………………………………黒瀬陽

8月のお題:少年時代
自転車に乗る練習…………………尾﨑英子
嫌いな食べ物のクセがすごい………大石大
明け方の秘密………………………園山創介
小三の魂…………………………小嶋陽太郎

7月のお題:炭酸
缶チューハイの沼…………………尾﨑英子
炭酸は大人の味………………………大石大
くるくる回る………………………園山創介
神戸居留地………………………小嶋陽太郎
力水神とコーラの修行………………黒瀬陽

6月のお題:雨の訪問者
上京はしたけれど……………………大石大
勝手に訪問…………………………園山創介
地下鉄のザジ……………………小嶋陽太郎
十七歳の地図…………………………黒瀬陽

5月のお題:新元号
枠組み…………………………………大石大
フラミンゴ………………………小嶋陽太郎
ワンランクアップ…………………園山創介
令和最初の缶ビール…………………黒瀬陽
令和だからこそ行っておきたい天守閣・大阪城編
         ………………尾﨑英子

令和になったからこそ行ってみたい清水寺編
         ………………尾﨑英子


4月のお題:新社会人
囲碁将棋部の世話役………………尾﨑英子
就職前のゴールデンタイム…………大石大
ミニ警察…………………………小嶋陽太郎
ゴールデンルーキー…………………黒瀬陽
ぐるイブ……………………………園山創介

3月のお題:花霞
萬代先生……………………………尾﨑英子
ある日のこと……………………小嶋陽太郎
サイクリングロード………………園山創介
宮島の紅葉、弥山の梅………………黒瀬陽

2月のお題:謎
ばったり会う人……………………尾﨑英子
宮島スイーツの謎……………………黒瀬陽
チンチン電車………………………園山創介
子どものころの不思議なできごとシリーズ
       …………………小嶋陽太郎


1月のお題:新年の挨拶
知らねえアメリカ人どころの騒ぎじゃない
       …………………小嶋陽太郎

良き朝………………………………園山創介
猪突のご挨拶…………………………黒瀬陽
ありがたい…………………………尾﨑英子

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