今月のゆでかげん(受賞作家 競作エッセイ)

お題:え?もう師走!? 尾﨑英子
2019年12月9日

来月のお題:無題
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お題:え?もう師走!?/尾﨑英子 2019年12月9日
ウィッグを被り、見えた世界


 息子の夏休みが明けた時に、
「ここから年末までがあっという間なんだよね」
 と、誰かと話したのを覚えているが、想像以上のスピードだった。
 そんな一年の最後に、新刊『竜になれ、馬になれ』(光文社)が出る。大人への階段を上り始めた少女が、将棋と出会い、将棋に向き合いながら、悩みや苦しみを受け止めて成長していく物語だ。
 長男が小学校に入学すると同時に、学校の部活で将棋をはじめたことがきっかけで、わたし自身も将棋に興味を持つようになった。
 親の役目で囲碁将棋部の世話役というのを一年務め(その世話役についてのエッセイはこちら→「囲碁将棋部の世話役」)、部員たちをそばで見ているうちに、ふと思い至ったのだ。
 将棋というと天才棋士にスポットが当てられがちだが、むしろ自己評価の低い子にこそ有効なのではないか?
 頭が良くなるのかはよくわからないが、たしかに心は強くなるからだ。
 どんなに優勢で攻めていたとしても詰まされてしまったら負け、というのが将棋。
「参りました」
 と頭を下げる瞬間の屈辱感たるや。大人でも悔しい。なかなか感情のコントロールが効かない子供なら泣いてしまうこともある。
 スポーツと違って、体格、性別、年齢などの「見た目」では勝敗がわからないから、子供が大人を負かすこともあるし、勝てた時の喜びは大きい。その分、負けた時に言い訳もできない。しかし、そうして勝ち負けを重ねていく中で、心は鍛えられていく。
 そんなことを考えたところから、本書は動き出した。
 
 また、小児脱毛症を患ってウィッグを被っている女の子を主人公にしたことにも、個人的な強い思い入れがあった。
 というのも、わたし自身がウィッグ生活を送っていたからだ。
 年に一度の人間ドックで病気が見つかったのが、二〇一五年の秋のこと。
 命にかかわる大きな病気だったが、ありがたいことに超早期の発見だった。それでも患部を全摘し、二週間入院した。しかし術後の病理検査で、わずかだが不安要素が見つかり、完治を目指すならば絶対に投薬の治療をしたほうがいいと担当医に勧められた。
 素晴らしい新薬があり、わたしのタイプはそれにとても合うようだった。医学の恩恵を受けられることに感謝して、できる手を尽くしてもらうべきことはわかっている。
 それでも、わたしは迷った。なぜなら、その投薬の副作用により、ほぼ百パーセント脱毛することが避けられない。手術以上に、つらい選択だった。
 命あってのもの種。長男は七歳で、次男はまだ二歳になったばかりだった。迷っている余裕など、本当になかった。
 担当医の予告どおり、投薬からきっちり二週間目の朝、枕に大量の髪が抜けていた。
「人間の体内時計ってすごいものだな……」
 と、妙に冷静な感動。少しのタイムラグを挟んで、絶望感が押し寄せる。
 その朝からはじまったわたしのウィッグ生活は、およそ八カ月続いた。
 
 医療用のウィッグは一見してそれとわからないほどのクオリティで、高額ではあるが、それだけ価値のあるものだった。
 ずいぶんと印象が変わったと思われたとしても、
「それってかつらだよね?」
 と、ずばり指摘されることもなく(まあ、おかしいなと思ったとしても、土足で踏み込んでくる人が周囲にいなかったのもあるが)、
「髪型変えたんだ、雰囲気変わったね」
 なんて言われることがほとんどで、
「うん、そうなんだ」
 と軽く頷いておけば、さほど不審に思われることがなかった。
 ひた隠しにすることでもないだろう。でも、会う人すべてに正直に説明するものでもない。つまりわたしにおいては、あれこれと詮索されることを避けたかった。きつい治療で体力が落ちているところに、脱毛のショック、ウィッグのストレス……これ以上、余計なことで悩みたくないから、ウィッグが必要だった。
 それでもつねに後ろめたさにつきまとわれた。
 悪いことをしているわけでもないのに、嘘をついている罪悪感に苛まれた。誰かと向かい合って話していても、ウィッグだと見抜かれている気がして目を合わせられなかった。
 そういう生活を送っていると、どんどん自信がすり減っていった。それまでも自信満々の人間ではなかったが、まったく予期していない大病におかされ、自分自身を何一つ、信じられなくなってしまったのだろう。
 これからもっと怖いことが起こるかもしれない。そう考えると、来年の自分がどうなっているのかもわからなくなり、眠るのも恐ろしかった。
 小説も書けなくなった。
 賞をいただきデビューしたのはよかったが、二作目がうまくいかず、迷走し、疲弊していたところでの病気発覚だったのだ。
 これ以上書き続けたら、次こそ命取りになるかもしれない……と考えてしまう。
 すごく悲しかった。
 子供の頃から物語を書くことが大好きで、こんなものを書いていたところで無意味かもしれないと思いながらも書き続けてきた、それくらい大切なことだったのに、自分の病気と結び付けてしまう。すると、一行も書けなくなった。
 
 立ち直ろうと思えたきっかけは、本当にささいな瞬間であり、情景だ。
 ある日曜の午後のこと。昼寝をしている次男の隣で寝転がっていた。カーテンは開いていて、そこからぼんやりと雲が流れいくのを眺めていた。次男はおだやかに眠り続けていたので、一時間も二時間も眺めていた。
 自分の中の時計は止まっているように感じているのに、それでも雲は流れていた。
 流れていく雲をひたすら目で追いながら、
「たぶん、ここが底辺だ……」
 なぜだか、そう思った。
 わたしのことなど構うことなく動いていく現実のたくましさに気づいたのかもしれない。
 何もかも止まってしまったのではない。ちゃんと動いていた。
 その時、ふと脳裏に蘇ったのが、かつての同級生だった。
 話したこともないし、友人でもなかった。ただ、彼女が小児脱毛症であることは周知の事実で、わたしの印象にも残っていた。
 多感な年頃の少女がウィッグを被って生活するのは、とてもつらかっただろうな。
 それからというもの、よく彼女のことを思い出すようになった。記憶の中の彼女が笑っている姿を思い浮かべると、励まされたのだ。
 
 けっきょくわたしは、今も小説を書いている。
 現金なもので、治療を終えて体が快復し、頭にも産毛が生えてくるとともに、元来の動き回りたい欲が戻った、というか抑えていたぶんだけ、以前にも増していた。
 立ち止まるきっかけをもらえたことで、生き方を見直せたようにも思う。だからこそ、二作目の『くらげホテル』は書けたのだろう。
 そして、ウィッグを被っていた日々を重ね合わせつつ、記憶の中の少女へお返しするつもりで描いたハルの物語も、こうしてお届けできることにもなった。
 
 周囲に振り回されることなく、自分のペースを守ることは、そう簡単なことではない。
 だからと言って、自分を見失って生きていけば、あやうく命を落としかねない。そういう時代に、わたしたちは生きている。だって、気付いたらもう師走。望まずとも、ダッシュしてしまう日々の中だ。
 でも端歩を突きながら、盤の真ん中の様子を窺う時間帯が、人生にはあってもいい。大人も、もちろん子供も。
 ゆっくり思春期と向かい合うこともできず、目まぐるしく回っていく世界から弾きとばされた子が立ち尽くしていたら、
「こっちにおいで」
 と呼んでくれる大人がいる世界がいい。
 そうありたいという願いを込めている。
 将棋が好きな人にはもちろん、将棋をまったく知らない人にも、ぜひ手に取ってもらいたい。


 『竜になれ、馬になれ』の帯に書かれたあらすじを紹介。

小学六年生の橘玻瑠(タチバナハル)は、少し前から小児脱毛症を患っている。慣れないウィッグはかゆみと違和感、友人にバレるのではないかという不安でいっぱいだ。そんな矢先、将棋部に属するハルは「Hu・cafe」という将棋をさせるカフェを近所で見つけ、店主の夕子さんの人柄に惹かれるようになる。女流棋士として活躍していた夕子さんは、訳あって引退し、カフェを開いたというのだが……大人への階段を上り始めた少女が、将棋と向き合い、悩みや苦しみを受け止めてゆく様をみずみずしく描く成長小説。


著者プロフィール

近況:
駅弁の殿堂入りなら言わずと知れた『崎陽軒』のシューマイ弁当ではありますが、わたしの中の次点は『賛否両論』のお弁当。アラカルト感がいい。

尾﨑英子(おざき・えいこ)
1978年生まれ。大阪府出身。早稲田大学教育学部国語国文科卒。フリーライター。東京都在住。『小さいおじさん』で第15回ボイルドエッグズ新人賞を受賞。同作は6社による競争入札の結果、文藝春秋が落札、2013年10月同社より刊行され、大評判となった。「小説すばる」7月号に短篇「シトラスの森」掲載。「森へゆく径」にエッセイ「いつも心にファン気分を」を寄稿。2017年1月、『小さいおじさん』を改題し、『私たちの願いは、いつも。』として、角川文庫より刊行。「幽」vol.27(KADOKAWA)にエッセイ「ガラシャ夫人の肖像」を寄稿。5月 、長編第2作『くらげホテル』を KADOKAWAより刊行。11月、長編第3作『有村家のその日まで』を光文社より刊行。新作長編『竜になれ、馬になれ』は2019年12月19日、光文社より刊行予定。


Back Number 2019

12月のお題:え?もう師走!?
いつか、憧れの本格ミステリを……大石大
ウィッグを被り、見えた世界……尾﨑英子
不幸な爆食い……………………小嶋陽太郎
師走の鑑定……………………………黒瀬陽

11月のお題:深酒
まあいいか、じゃなくて!………尾﨑英子
禁煙宣言………………………………大石大
先生……………………………………黒瀬陽
不思議な世界………………………園山創介
或る日の飲酒のわりと詳細な記録
        ………………小嶋陽太郎


10月のお題:デビュー
褒められる鼻の穴…………………尾﨑英子
デビュー戦………………………小嶋陽太郎
作家デビューのためのブックリスト…大石大
しおちゃんの牛乳パック…………園山創介
一人暮らしデビュー…………………黒瀬陽

9月のお題:月
夏の終わりに思うこと……………尾﨑英子
致命的な勘違い………………………大石大
満月が好き………………………小嶋陽太郎
北海道レーダー……………………園山創介
月の光…………………………………黒瀬陽

8月のお題:少年時代
自転車に乗る練習…………………尾﨑英子
嫌いな食べ物のクセがすごい………大石大
明け方の秘密………………………園山創介
小三の魂…………………………小嶋陽太郎

7月のお題:炭酸
缶チューハイの沼…………………尾﨑英子
炭酸は大人の味………………………大石大
くるくる回る………………………園山創介
神戸居留地………………………小嶋陽太郎
力水神とコーラの修行………………黒瀬陽

6月のお題:雨の訪問者
上京はしたけれど……………………大石大
勝手に訪問…………………………園山創介
地下鉄のザジ……………………小嶋陽太郎
十七歳の地図…………………………黒瀬陽

5月のお題:新元号
枠組み…………………………………大石大
フラミンゴ………………………小嶋陽太郎
ワンランクアップ…………………園山創介
令和最初の缶ビール…………………黒瀬陽
令和だからこそ行っておきたい天守閣・大阪城編
         ………………尾﨑英子

令和になったからこそ行ってみたい清水寺編
         ………………尾﨑英子


4月のお題:新社会人
囲碁将棋部の世話役………………尾﨑英子
就職前のゴールデンタイム…………大石大
ミニ警察…………………………小嶋陽太郎
ゴールデンルーキー…………………黒瀬陽
ぐるイブ……………………………園山創介

3月のお題:花霞
萬代先生……………………………尾﨑英子
ある日のこと……………………小嶋陽太郎
サイクリングロード………………園山創介
宮島の紅葉、弥山の梅………………黒瀬陽

2月のお題:謎
ばったり会う人……………………尾﨑英子
宮島スイーツの謎……………………黒瀬陽
チンチン電車………………………園山創介
子どものころの不思議なできごとシリーズ
       …………………小嶋陽太郎


1月のお題:新年の挨拶
知らねえアメリカ人どころの騒ぎじゃない
       …………………小嶋陽太郎

良き朝………………………………園山創介
猪突のご挨拶…………………………黒瀬陽
ありがたい…………………………尾﨑英子

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