今月のゆでかげん(受賞作家 競作エッセイ)

尾崎英子 (お題:ビターなチョコ)
2023年2月6日

来月のお題:私の小説作法
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尾崎英子(お題:ビターなチョコ)
2023年2月6日
自転車ポリス

 スーパーに行こうと近所を自転車で走っていた時のこと。
 うちの前の道をまっすぐ行くと丁字路に突き当たり、そこを右に曲がり、すぐに左に行くと最寄りのスーパーがある。
 いつもどおり、家から走り出して丁字路に近づいてきたところ……だいたい7、8メートル手前だろうか、右に曲がるために路地の右側に移動して走っていた。
 その時だ。
「ちゃんと左側通行を守れよ!」
 前から走ってきた自転車に、すれ違いざまに怒鳴られた。あまりの大声に驚いて叫んでしまったが、一瞬何が起こったのかわからなかった。
 数秒して、見知らぬ他人からいきなり怒られたのだと理解し、ぶつけられた言葉を反芻した。
 たしかにわたしは路地の右側を走っていた。交通ルールに反しているのかもしれない。しかしちょっと待ってくれ。
 数メートル先の角を右に曲がるために、右に移動したばかりだった。ひっきりなしに車が行き来している交通量の多い路地でもなく、その時も車は走っていなかった。
 たしかに交通ルールを完璧に守るのなら、丁字路まで左側通行で走って、曲がるところで路地を横断するようにして右折するべきなのかもしれない。
 しかし住宅街の路地で、そこまで遵守している人がどれほどいるだろう。実際、そこまでする必要もないと思う。たとえばその現場にパトカーが走っていたとしても、わたしは注意されることはなかっただろう。
 にもかかわらず、わたしはいきなり見知らぬ人に怒鳴られたわけである。年の頃は5、60代の男性にだ。
 追いかけて文句を言いたくなったが、その人物は、次の角を曲がってしまった。それにわたしは小心者だし、変なことに巻き込まれたくないという気持ちが強いため、こういう時に腹におさめてしまう。
 とはいえ、思い出すほどに納得がいかなかった。
 その自転車は丁字路を曲がってきて、わたしに向かってくるようにして走ってきたわけだ。おそらく、わたしが左側から右側に移動していく姿も見えていたと思う。普通に考えれば、右に曲がりたくて、右側に移動したのだろう、と想像がつきそうだ。
 それにもかかわらず、その人物は怒鳴ってきた。通りすがりの人間の『非』を見つけて、ここぞとばかりに『注意』という体で不躾に怒りをぶつけてきたのだ。
 
 そして、その数週間後のこと。
 また似たようなことに出くわしてしまう。
 駅前の銀行に用があって車道から歩道に入り、銀行の駐輪場に自転車にまたがったまま入ったら、知らないおじいさんに怒鳴られたのだ。
「自転車で歩道を走るな!」
 大声でそう言われて、その時は、
「あっ、すみません」
 と、わたしも謝った。銀行の駐輪場に入るのに、横切っただけで怒らなくても……と思わないでもなかったが、たしかにこちらに非がある。
 ただ、その直後だ。
 自転車から降りたわたしを、大きな黒いバッグを背負った宅配員の自転車が追い越し、そのおじいさんの真横を通り抜けて歩道を漕いでいった。
 が、おじいさんは何も言わなかった。
 おいおいおいおい! なんで怒鳴らないんだよ?
 駐輪場に入るために一瞬歩道に自転車で入っただけのわたしには大声で怒鳴って、歩道をけっこうなスピードで漕ぎ去っていくあの宅配員はスルーってどういうことよ? 
 おじいさんがその宅配員に気づいていることは目線を見れば明らか。つまり、このおじいさんが、人を選んでいるのだとわかった瞬間だった。
「自分よりも体格の大きな男性には怒鳴らないんですか? 女性なら注意してもいいってことですか?」
 こっちこそ怒鳴りたくなったが、ここでも小心者の理性が制したのだった。
 
 じつは、この後にわたしはある事実に気づくことになる。
 そんなことも忘れた頃、くだんの銀行の近くで信号待ちしてたら、怒鳴る声が聞こえてきたのだ。見ると、例のおじいさんがまたしても歩道を走る自転車に注意しているのだった。もちろん怒鳴られている自転車に乗っているのは女性だ。
 いやだな、あのおじいさんだ。
 信号が青になったので、わたしは逃げるようにしておじいさんを横目に横断歩道を渡った。そして目的の肉屋で買い物をして、また銀行の前に行きかけたら、歩道にまだおじいさんがいるのが見えた。
 げっ、違う道で帰ろうかな。
 そう思いながらも、気になっておじさんの様子を遠くから観察してみると、どうやら歩道を行ったり来たりしてるのがわかった。「悪い子はいねーが」とばかりに、獲物が通るのを待ち構えているようだった。
 いったいなぜ、そこまでしてあのおじいさんは注意をしているのだろう。それも普通の声で言えばいいものを、大声で威圧的に怒鳴るというやり方で。さらに言えば、怒鳴る相手を選んでまでして。
 ルールを守らないことは悪いことだろう。歩道を自転車で走ることも、左側通行をきちんと守らないことも注意されるべきことなのかもしれない。
 とはいえ、言い方があろう。
 見ず知らずの人間を相手に、『注意』という名目で、一方的に怒りをぶつけていいわけがない。
 
 こうも立て続けに同じようなことに遭遇すると、やみくもに発散しなければやっていられない怒りや苛立ちを溜め込んだ人が増えているのかもしれないと思えてしまった。
 まあ、わからないでもない。
 たとえば、いろんなものが値上がりするし、先月の電気代なんて見たことがない金額が送られてきた。どこにぶつけていいのかわからないドロドロした怒りや憤り、将来への不安や焦燥感、何か大きな力に無碍に扱われているような、でも何もできない無力感……そういったものをわたしだって感じてしまう。
 また、孤独になっている人も多いのかもしれない。
 怒鳴るというコミュニケーションで、他者との接触を求めているのかもしれない。歩道を行ったり来たりしているおじいさんを見て、そんなことも感じた。 
 だからといって、もちろんシンパシーや同情を抱くことはないし、あそこには自転車ポリスのおじいさんがいるからできるだけ通らないようにしようと思うだけなのだが。


著者プロフィール

近況:
完全なる趣味で、1月から毎月1回、新月の少し前にインスタライブをはじめることにしました。淡路島時代からの幼馴染で、美活トレーナーのサンムーンサチコと、『ダイエット✖️占星術』で、役に立つような立たないようなことを雑談します。 フォローしていただければ誰でも見られます。 もしご興味あれば、ぜひ覗いてみてください。

尾崎英子のInstagram:
https://www.instagram.com/ozakieiko0817

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尾崎英子(おざき・えいこ)
1978年生まれ。大阪府出身。早稲田大学教育学部国語国文科卒。フリーライター。東京都在住。『小さいおじさん』で第15回ボイルドエッグズ新人賞を受賞。同作は6社による競争入札の結果、文藝春秋が落札、2013年10月同社より刊行され、大評判となった。「小説すばる」7月号に短篇「シトラスの森」掲載。「森へゆく径」にエッセイ「いつも心にファン気分を」を寄稿。2017年1月、『小さいおじさん』を改題し、『私たちの願いは、いつも。』として、角川文庫より刊行。「幽」vol.27(KADOKAWA)にエッセイ「ガラシャ夫人の肖像」を寄稿。5月 、長編第2作『くらげホテル』を KADOKAWAより刊行。11月、長編第3作『有村家のその日まで』を光文社より刊行。新作長編『竜になれ、馬になれ』を2019年12月、光文社より刊行。2020年12月、『ホテルメドゥーサ』を角川文庫より刊行(『くらげホテル』改題)。2022年6月、長編『たこせんと蜻蛉玉』を光文社より刊行。11月9日、中学受験小説『きみの鐘が鳴る』をポプラ社より刊行。

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