医者の卵のかえらない日々
坪田侑也
第1回 初日ですが特別編
2023.04.03

三月六日 駐車
 高校時代の友人と郊外のアウトレットモールに出かける。久しぶりに車の運転をした。免許を取ったのは大学に入る直前で、もう二年は経つから一般道も高速もそれほど不安なく走れる、というか高速は爽快で気持ちいいのだが、どうしたってまだ駐車が苦手だ。今日もサービスエリアで車を停めるとき、かなり左に寄ってしまって、やべえやべえと冷や汗が出て、友人に「あ、隣のクラウン、おばさん乗ってるわ」「わ、結構にらまれてるわ」と教えられ、さらにどばっと汗が噴き出た。視線を感じながら、切り返し切り返し、なんとか中央付近に収めたときには、塊のような疲れが襲ってきた。往路だったけど、もう帰りてえ、と思ってしまった。
 サービスエリアを出て、また高速をすいすい走る頃には、また楽しくなっていたけど。
 
三月七日 バレーボール
 医学部バレー部の大会があった。弊学医学部は学年の人数も少ないし、キャンパスも他学部と違うし、どうしたって閉鎖的な環境であるから、こういう大会で他の大学の人を見ると、妙な感慨を覚える。山奥を彷徨い歩いて、やっとの思いで他の集落を見つけた瞬間の感動を、五百倍くらいに薄めたらこんな感じなんだろう。山奥を彷徨い歩いた経験は幸いないんだけど。
 バレーは中学で三年間、高校で一年やっていた。高一の終わり、ちょうどデビュー作が出版されるタイミングで、部を辞めた。というのも、僕の通っていた高校のバレー部は県大会優勝と全国大会出場を目標に週六で練習する強豪校で、これはさすがに執筆と両立できないと、当時はめちゃくちゃ葛藤したけど、簡単に言えばそんな感じのことを考えたからだった。だから大学では、二年のブランクを経て、バレーをまた始めたことになる。
 今日の試合は二戦やって、一つ勝って、一つ負けた。負けた方の試合は、実力差はあったけど、でも勝てない試合ではなかった。あと少しだった気がする。
 スポーツって、実はかなりシンプルで、それゆえに冷酷だな、と最近よく思う。真剣に楽しむことができるのは技術的に秀でたプレイヤーで、技術をただ磨く過程は結構苦しい。試合にも勝てないし。
 僕は中一からバレーしているけど、別に上手くない。「あとちょっと上手くなれば楽しいのに!」という地点からずっと進めず、もがいているような状態だ。純粋に楽しめるくらいの技術があれば、きっとバレーボールは日々の生活のリフレッシュになったり、最良の現実逃避になるんだろう。でもその技術を身につけるためには練習の量が必要で、しかし自分の生活を振り返ってみると、がむしゃらに練習を重ねるほどの時間的、精神的余裕がない。なにより僕は小説を書きたいんだし。ただ同時に、バレーする余裕はない、とか冷めたふうに考えてしまう自分にうんざりもするし、だせえよなあ、と思う。
 そんなふうにぐるぐる悩みながら帰るくらいには、今日の敗北は悔しかった。
 
三月八日 暖かくなってきた日の散歩
 趣味の欄が二つ与えられていたら、最初は「読書、バレーボール」って書くんだろうけど、あとから所属部活の欄が別にあるのを見つけたら、「バレーボール」はそっちに書いて、趣味の方は「読書、散歩」にするだろう。「読書」と「散歩」。人見知り関東代表みたいな組み合わせだが、事実なんだから仕方ない。
 今日は暖かかったので、ぶらぶら隣駅の方まで散歩した。二月末は試験勉強に追われていたから、久しぶりの散歩だった。歩きながら、最初は目下やらなければならないこととか、次作の構想とか、そういうことを意識的に考えるのだが、気づいたら思考はだらっと流れていく。中華料理屋の店頭のメニューに「ニラレバー定食」と書かれていて、ニラでできたしなしなのレバーを想像してみたり、保育園の園庭に結構立派なお社があるのを見つけて、社の方にはボールを蹴っちゃいけない、みたいな規則がありそうだと考えてみたりする。
 途中、小さな本屋に寄って、川上未映子の『黄色い家』を購入した。以前池袋の大型書店で見つけて、でも買わなかった本だ。ハードカバーの本はなるべく町の本屋で買いたい。本を買うと同時にいいことをしたような気分にもなって、二倍ほくほくできる。一種のライフハックだと思っている。
 
三月十五日 お久しぶりです
 不甲斐ないことに、結構間隔が空いてしまった。書くことがなかったわけではなく、どちらかというとこの一週間は、ミステリ好きと集まって三津田信三について激論を交わしたり、バレーの試合のために茨城のつくばまで行ったり、その帰りに大洗に立ち寄って海を眺めたり、と盛りだくさんだったのだが、盛りだくさんだった分、日記に手が回らなかった。反省です。
 今日はというと、To doリストを眺めながら、ずっとうんうん唸っていた。四月を前に、大学は全体的に新歓ムードだ。医学部バレー部も新入生をできるだけ多く入部させて、部を存続させていかないといけない。そのためになにをすれば効果的なのか。どうしたら多くの新入生が入部してくれるのか。そういう正解のない問いに苦しめられ、これから四月にかけて、僕は毎日うんうん唸っているはずだ。
 
三月十六日 山形旅行・一
 しばらく前から、一人旅しないといけない、とずっと思っていた。一人旅したい、じゃなくて、しないといけない。割と普段から一人で行動するのが好きなタイプだから、じゃあ旅はどうなんだ、一人で行けんのか、やってみろよ、と自分自身に対して挑みかかるような気持ちがあったのだ。ちょうど三月中旬はバレーの練習も他の用事もない日が、ぽっかり二日空いていた。
 でも予算とスケジュールを踏まえると、行きたい場所が全然思い浮かばなかった。つい二日前までそんな調子で、高校時代の地図帳を睨みながら、もうめんどくさいからやめるかあ、とか考えていた。
 で、最終的に思いついたのは目的地ではなく、「新幹線に乗りたい」ということと「温泉に入りたい」という、二つの条件だった。一人で新幹線に乗る楽しさは何度か経験あるから知っている。温泉は無論、いいものだ。二つの条件を念頭に、新幹線の路線図と地図帳を交互に眺めた結果、いま、僕は山形のかみのやま温泉にいる。最寄りは山形新幹線のかみのやま温泉駅。条件に完全合致。
 とはいえ、行きは仙台から来た。というのも目的地の一つに、山寺(立石寺)を組み込んだからだ。東京から東北新幹線で仙台に向かい、仙山線に乗り換えて、山寺駅を目指す、という行程である。
 昼飯がてら仙台の駅を出て、ああ一人旅ってこんな感じか、とさっそく思った。誰かと一緒にいると、その数人で「旅行客」という一個の塊になるけど、一人だと「旅行客」という輪郭がぼやけて、慣れない街に溶け込んでいるような気分になる。でも、あくまで溶け込んでいるような気分であって、その街の人間になる擬似体験ができるほどの没入ではない。旅先との、その微妙な距離感が楽しいのかもしれない、と思った。仙台では牛タンを食べて、この前の芥川賞で話題になった駅前の丸善を覗いてから、仙山線に乗り込んだ。
 一時間ほど揺られて、山寺駅に到着。ホーム上からも、山の上の寺社が見えた。山寺は松尾芭蕉も訪れ、「静けさや岩にしみ入る蝉の声」と一句詠んだことで知られる名刹だ。そういえば中学の国語の授業で、どうして「しみ入る」であって、「しみつく」や「しみこむ」ではないのか考えさせられたなと思い出しながら、千段以上ある階段を登った。想像以上の景色に嘆息し、それから足を伸ばして裏山寺というエリアに行ってみた。観光客は山寺と比べて極端に少ない上に、道も整備されていない。木を摑んだりしないと歩けないような獣道を進み、山間の神社や奇岩を回った。駅前まで降りてくるころには、靴の中に土が入って、靴下がどろどろになっていた。なんでこんなことに……。誰かといたら、「でもこんな登山みたいなこと、久しぶりにして楽しかったわ!」とか言って、気を紛らせる+自分の心の広さに酔う、みたいな芸当ができたけど、一人だと叶わない。早く温泉浸かりたい、とだけ思う。
 で、夕食に蕎麦食べて、ビールやらポテチやらを買い出しに行って、温泉浸かって、いまである。ついさっきまでは、ひたすら本を読んだり、次作の構想をじっくり練ったりするつもりだったのだけれど、身体は疲れているしアルコールは入ってるし温泉入ってぽかぽかしてるし、もうやばい。眠い。

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著者プロフィール

坪田侑也(つぼた・ゆうや)
2002年東京都生まれ。現在、都内の私立大学医学部在学。2018年、中学3年生のときに書いた『探偵はぼっちじゃない』で第21回ボイルドエッグズ新人賞を受賞。『探偵はぼっちじゃない』は2019年、KADOKAWAより単行本として刊行された。2022年、角川文庫。

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