医者の卵のかえらない日々
坪田侑也
第1回 初日ですが特別編
2023.04.03

三月十七日 山形旅行・二
 二日目。大雪。気温も氷点下。東京ではほとんど降らなかったので、こんなに雪を見たのは今シーズン初めてだった。一番暖かいセーターの上に一番暖かいダウンを着て、十時過ぎに旅館を出た。
 二日目の予定は特に立てていなくて、夜東京で友達と飯を食う予定があったから、三時過ぎくらいに新幹線に乗ればいいだけだった。山形駅の方でも行ってみるかと思って、かみのやま温泉駅から奥羽本線に乗ろうとしたが、当たり前だけど昼頃なんてそう何本も電車が出ているわけじゃなく、駅舎で甲子園を見ながら、一時間ほど時間を潰した。
 山形駅に降り立つと、もはや笑えてくるくらいの大雪だった。その見事な降りっぷりを見ていたらおかしく、楽しく思えてきて、えいや、と歩き出した。折り畳み傘では防ぎ切れず、足の先が濡れ、靴下まで染みた。こんなに靴下が被害を受ける旅だとは思わなかった。
 人気のない雪の市街地を徒歩十五分ほど歩いて、一応の目的地である、文翔館という旧県庁に着いた。赤レンガ造りの近代建築で、館内をぶらっと見て回ったあと、近くのイタリア料理店でマルゲリータを食べて、駅に戻った。駅に戻る途中、通りかかった本屋に目的もなくふらっと立ち寄った。こういう寄り道、別に山形じゃなくてもできるような寄り道は、他人と一緒の旅行だとやりづらいだろう。
 お土産を買って、東京駅までの二時間ちょっとのためにコーヒーやドーナツを買い込んで、新幹線に乗り込む。前の列には家族連れが四人、通路を挟んで横並びで座っていた。これから東京旅行に行くのか、山形旅行から帰るのか、たぶん前者っぽいのだが、僕の前の席には中学生くらいの女の子が座っていた。彼女はおもむろに、土台のついたプラスチックの板のようなものを二つ取り出し、窓の下の出っぱり部分に立たせると、スマホでぱしゃぱしゃ撮り始めた。アクリルスタンドだった。一つは呪術廻戦の最強キャラ、五条悟で、もう一つは名前はわかんないけど、たぶん刀剣乱舞のキャラだと思う。父親が「なんでそれ、持ってきたんだよ」と笑いながら言うと、その子は「だって一緒に行きたいじゃん」と当然のように答えた。
 それからアクスタを大事そうにしまうと、後ろの席の僕を首を伸ばして振り返って、
「席、倒してもいいですか」
 と遠慮がちに聞いてきた。いいよ、と僕は答えた。彼女は、どうも、というふうに頷いて、ちょっとだけ背もたれを倒した。僕はめちゃくちゃびっくりしていた。
 えなんで、なんで俺いまタメ口なんか使ったんだろう。
 見知らぬ人に自然にタメ口を使ってしまうなんて、人生で初めてのことだった。いくら明らかに年下の相手とはいえ、本当は「どうぞ」と言いたかった。なのに、思わず「いいよ」と口にしていた。びっくりして、鼓動が早くなっていた。
 そうこうしているうちに、山形新幹線は東京に向けて加速し始める。
 
三月二十一日 宿酔
 二日酔いでダウンしていた一日だった。(「宿酔」に「ふつかよい」とルビが振られている小説を読むと、それだけでお洒落だなあと思ってしまう。関係ない話。)昼過ぎに起き出してみると、WBCで日本がメキシコに劇的な勝利を収めていた。村上の決勝打とか岡本のホームランが寸前でキャッチされた瞬間とかの映像を眺めていたら、それだけで一時間くらい経った。リアルタイムで見なかった自分をぶちのめしたいと思った。ぬるぬる起き出したあと、悔しさを晴らすようにしばらく甲子園を見た。野球ってかっこいいなあ、とぼうっとした頭で思った。
 明日のWBC決勝は絶対生で見ます。
 
三月二十二日 WBC決勝
 フィクションのような展開。渋谷のHUBに朝から行って、マイアミからの中継を見た。大盛況、大歓喜。わー野球やりてえなあ、と何度も思った僕は、小学生のとき野球少年だったのです。
 
三月二十三日 交通系
 しばらく頑なに現金払いを続けてきた僕だが、数カ月前にようやくPayPayを始め、世のキャッシュレス決済の波に遅ればせながら飛び込んだ。これで僕も、コンビニで会計するとき「ペイペイで」とちょっと得意になって答えられるし、バーコードを読み取ってもらったあと、やけに高い声で携帯が「ペイペイ!」と鳴くのを、慣れてますけど、みたいな表情で見守ることもできるようになったわけだ。正直はしゃぎ過ぎているPayPayのあのテレビCMを見たって、もう気恥ずかしくなったりはしない。
 とはいえ、実のところ最もよく使う決済方法はPayPayではなく、交通系ICカードのPASMOで、というのも会計時にスマホではなく財布を出す方が習慣づいていて、そのまま財布に入っているPASMOでピッとやる方が簡単だからなのだが、実は今日その決済方法でちょっとした問題に直面した。
 支払いを済ませるとき、その方法を店員に告げる。最近ではもう当たり前のことで、僕も普段から、「現金でお願いします」とか「PASMOでお願いします」とか、違和感なく言っている。しかし先日、コンビニで会計したあと、ふいに疑問を抱いた。「PASMOで」って言うの、実はかなり失礼なんじゃないか? 
 PASMOは交通系ICカードの一つだ。他にもSUICAやらICOCAやらPITAPAなどあるうちの、一つの種類に過ぎない。なので「PASMOで」と言ってしまうのは、コンビニ会計失礼あるあるの筆頭「タバコを買うとき番号ではなく銘柄で言う」と同じ部類の失礼や自己中心性に塗れた行為なのではないか? 店員が福岡出身で「PASMO? はやかけんしか知らん」と思われたらどうするんだ。
 そこで今日、変えてみた。初めて「交通系でお願いします」と言ってみたのだ。PASMOではなく、より大きな括りの「交通系ICカード」を指定することで、店側にとってはわかりやすくなるんじゃないか、と踏んだのだ。どうだろう。ありがとうございます、PASMOでとかSUICAでとか不躾に言ってくる客ばかりでいつも困ってるんですよ、くらい言われるだろうか、さすがに言われることはなくても、でも心の中で感謝されるだろうか、と想像した。
 しかし、店員の答えは「はい?」だった。
 恥ずかしくなった僕は「PASMOで」と慌てて言い直した。ああ、と店員は納得したように頷く。僕はブリックパックのプロテインを手に、そそくさと店を出る。
「交通系」。言ってみて初めてわかったけど、日常会話レベルの速度で口にすると、これ、めちゃくちゃ聞き取りづらいわ。
 
三月二十六日 中央道
 バレーの試合が八王子であって、少々辺鄙な場所だったから車で行ったのだが、朝が早く終わるのも十八時過ぎとかだったから、帰りの中央道の眠気が半端じゃなかった。目をかっぴらき、セブンイレブンで買ったアイスカフェラテを吸い、タイムフリーで聴いていたオードリーのオールナイトニッポンのジングルを大声で歌って、ときどきもう脈絡なく「わー」とか叫んで、なんとか耐えた。
 
三月二十七日 桜
 今年はまだ、見ようとして桜を見ていなかった。なんか回りくどい表現になっちゃったけど、要は、花見をしていなかった。夜、家に帰る途中なんかに、小学校の校門近くとか公園の中とかにたまたま桜が目に入って、あーもうこんなに咲いてるんだ、と思うだけで、青空をバックにピンク色の桜がどかんと咲き誇る、ザ・春、「春」で検索して出てくるフリー画像、異性とお花見に行ったことを匂わせるインスタグラムのストーリーの写真、みたいな光景はまだ見ていなかった。
 今日ようやく、ちゃんと昼間に桜を見た。新歓関連の作業に集中しようと向かったカフェの道中見かけて、わざわざ桜を見に行ったわけではなかったのだけど、なんだかぶわっと春を強烈に、襲いかかってくるような勢いで感じた。
 と同時に、まだ桜見れてないんだよなあ、と思ったり、話の流れで友人に言ったりすることで、暗に忙しさを鼻にかけていた自分にも気がついた。「俺昨日全然寝てないわー」の亜種じゃん、これ。めっちゃダサいやつじゃん。
 
三月二十八日 反省で月を終える
 四つ歳上の兄貴がいるのだが、今日はその引っ越しの手伝いで一日が終わった。家から車で二時間走って荷物を運んで、運び入れて、買い出しして、家具組み立てて、また二時間かけてやっと家に帰りつくと、もう日付を回っていた。あちゃあ、という気分だった。
 いや別に、引っ越しの手伝い自体はいいんだけれど、ただ今日はこの日記の〆切だったのだ。三月二十八日はもう終わっていたが、まだ足掻きたくて、風呂から上がったあと誤字脱字のチェックやら表現の直しやらやってみたが、へとへとに疲れていて集中力がもたず、結局力尽きて、寝落ちした。
 初月なのに、原稿が遅れた……。三月は反省とともに終えます……。

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著者プロフィール

坪田侑也(つぼた・ゆうや)
2002年東京都生まれ。現在、都内の私立大学医学部在学。2018年、中学3年生のときに書いた『探偵はぼっちじゃない』で第21回ボイルドエッグズ新人賞を受賞。『探偵はぼっちじゃない』は2019年、KADOKAWAより単行本として刊行された。2022年、角川文庫。

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