医者の卵のかえらない日々
坪田侑也
第2回 春眠に始まり寝不足に終わる
2023.05.01
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三月三十一日 年度の大晦日
 明日から新年度かあ。そうしみじみ思ったのは、母校の中学のバレー部に顔を出しに行って、そのとき、一年生の教室に資料が並べられているのを見たからだ。明日がきっと入学式なんだろう。学ランがまだ背丈にあっていない少年たちが明日それぞれの教室に詰め込まれるんだと思うと面白い。
 母校のバレー部に行ったのは、お世話になった顧問の先生が異動になると聞いたからだった。先生に挨拶したあと、ちゃっかり中学生に混ざって、試合形式の練習に参加した。この体育館でいろいろ悔しい思いをしたなあ、としみじみ思うほど感受性は鋭くないし、というかそもそも、僕らの時代から床も木の板から競技用のフローリングに変わったり、エアコンがついたりして、景色は様変わりしている。でも先生から、中学のころ坪田が暗い顔をしていたときがあった、心配だった、というようなことを言われて、ちょっと感傷的になりかけた。
 母校の中学には、わくわくの中学一年生が入ってくる。僕は明日から、現状維持、低空飛行の大学三年生である。
 
四月一日 エイプリルフール
 エイプリルフールである。ネット(主にツイッター)が盛り上がる日でもある。面白い、面白くないにかかわらず、嘘のツイートが大量に生産される。とはいえ、だいたいがすでに擦り倒されている、既視感のあるネタであり、例えばもう今さら企業のアカウントが急遽社名を変えるとか、業態を変えるとか言い出してもなんの新鮮味もないのだが、その中でも、まだその手法があったか、みたいな隙間をついて人々を面白がらせる投稿もある。そして当然、炎上しかけるアカウントもある。やらなくていい、完全な余興で炎上しているわけだ。馬鹿だよねえ……。
 とはいえ、今年はあまりそうした現象を僕は観測しなかった。というのも、僕が最近見ているタイムラインにいるのは、「春から〇〇(大学名)」とプロフィールに書いてあるアカウントばかりで、彼らの今日の投稿は当然嘘ツイートなどではなく、「入学式緊張する!」、「友達できるかなあ」とかなのだ。なんだか自分も新入生になったような気分にさせられる。嘘なんか吐く気も起きない。
 
四月二日 春の散歩
 昼過ぎに起き出した。春眠なので、まあ仕方ない。ふらふらと散歩に出る。道端に麻雀牌が落ちていた。なんの牌なんだろうと覗き込む。赤い漢字が見えて、「中」かなと思ったが、よく見ると「指」と書かれていた。指? 赤文字で指ってなに。
 明後日には大学が始まる。
 
四月四日 授業開始
 弊学は東京都内のS町にある。具体的な地名はここでは伏せるが、駅の前に病院とともに建っていて、前の大通りを、南に行けばA山一丁目、北に行けばY谷三丁目、キャンパスの裏手を西に進むとS駄ヶ谷に抜ける。洒落た街と活気ある商人の街と新しい競技場の街に囲まれている、まさに都心だ。なのにS町には、これといってなにもない。都心に突如生じたエアポケットのような感のある街に、弊学キャンパスは位置している。
 今日は三年生の最初の授業ということで、一限と三、四限に対面授業があった。久しぶりに、眠い目を擦りながら大講堂で授業を受ける(正確にはぼーっと座っている)。一限が終わるとすぐ、クラスメイトたちは昼飯を食べに講堂を出ていった。まだ十時半だし昼飯には早くないか、どの店もランチやってないでしょ、とか思っていた僕は完全にその流れに乗り遅れ、気づけば一人になっていた。大学生活も三年目だが、まだこんな感じである。「ご飯行こ!」と気軽に言えない人である。そんな自分の性格はもうわかっているので、そうなるよな、と思いながら、十一時ごろふらっとキャンパスを抜け出し、ちょっと遠くの方のラーメン屋まで足を伸ばし、そのまま三限が始まる十三時までS宿御苑をぶらついて時間を潰した。御苑の年間パスポートを持っているので、大学で時間が空いたときはよくこうして一人で御苑に来て、散歩したりベンチで本読んだり、芝生で寝ていたりする。結構幸せだ。
 四限の授業が予定ちょっと早めに終わったので、僕はすぐ電車に乗って、打ち合わせのために、ある出版社を目指した。初めてお会いする編集者の方に緊張しながら、原稿についていろいろ話して、菊池寛の銅像と写真を撮って、お寿司をご馳走になって、帰途に着いた。心地よい疲れだったので、最寄りの数駅手前から家まで歩いた。歩きながら、この心地よい疲れを誰かと共有したくて、というのは言い訳でほとんど酔った勢いで、高校時代の友達に電話をかけた。出なかった。

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著者プロフィール

坪田侑也(つぼた・ゆうや)
2002年東京都生まれ。現在、都内の私立大学医学部在学。2018年、中学3年生のときに書いた『探偵はぼっちじゃない』で第21回ボイルドエッグズ新人賞を受賞。『探偵はぼっちじゃない』は2019年、KADOKAWAより単行本として刊行された。2022年、角川文庫。

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