第19回ボイルドエッグズ新人賞発表
2016年5月10日

第19回ボイルドエッグズ新人賞
該当作なし


選考過程
1 第19回ボイルドエッグズ新人賞には、総数30作品のエントリーがありました。⇒第19回ボイルドエッグズ新人賞エントリー作品
2 慎重な検討の結果、最終的に、今回は該当作なしとなりました。


第19回ボイルドエッグズ新人賞講評/村上達朗

 該当作なしが続いたせいなのか、今回いつになく応募数が少なかったことは残念に思いました。少ないなかにも才能の輝きを感じられる作品があってくれればと願いつつ読みました。結果は願いもむなしく、三回続けての「該当作なし」でした。しかし、応募作全体の質からすると、「惜しい」作品がこれまでより多かった気がします。小説としての構造・構成に難がある反面、文章のうまい作品がいくつもありました。以下、読後「受賞にあと一歩」と感じた作品について感想を述べます。
 
 まず「これはもしかするとすごい才能かも」と思わされたのは、小車猿雪氏『色町小町』でした。まだ20代の大学生とは思えない達者な文体――どんな文体かといえば、江戸戯作体、もしくは明治時代の樋口一葉のような擬古文なのです。物語の内容は、いつの時代ともどこの場所ともしれない遊郭が舞台で、そこに生きる遊女たちを描いているのですが、この遊女というのが主人公であるスター花魁・色町をのぞくと、もち肌の人魚や半獣の男娼など、みな不思議な生き物。いわば和風ファンタジーで、その独特な戯作体と合わせ、これは期待できると思いながら読みました。
 現在、こんな変な文体で書ける作家(というか、書こうとする作家)はいないし、この若さでなぜ書ける? と読み手に思わせるところにも面白みがあるのですが、残念なことに物語が弱かった。独特の文体を駆使するのに精力をそがれ、物語の構造、登場人物たちの真の葛藤、細部のリアリティがおろそかになってしまったのではないかと推察します。
 小説としての勝負は、土台(設定)でなく、その上に生きる人物たちとその葛藤をどう描くかというところにあるはずです。ですから、次回はぜひ、この変な文体で、たとえばあえて現代を舞台にするなどして(必要ならそこにファンタジー要素を紛れ込ませる)、登場人物たちに葛藤を与え、結果として読者に驚いてもらえるような作品に挑戦してみてはどうでしょうか。文体に自己耽溺しない(つまり、名調子にみずから酔って書きすぎない)よう心がけることも肝要かと思います。
 
 次は田中えむ氏『ラブレター・フォー・ストロベリー・アイスクリーム・ガールズ』で、こちらは一人称の独白体にうまさがありました。言葉の感覚、流れ、リズムに才能を感じさせます。作品は短篇集というより、少女という限られた時間に生きる女性たちの心情を切り取った、心象風景のスケッチといった作品集です。その一人称の語りには、ちょっと窪美澄に通じる生理感覚があり、こちらも20代半ばという年齢でよくぞここまで書けると感心しました。
 ただ語りそのものは上手なのですが、他者が弱いというか、自分語りに終始し、他者の存在にまで意識が及ばないのが問題だと思いました。前回の講評でも書いた「自問自答」に陥っているエピソードが多い。少女という脆くかけがえのない存在、その光の濃淡を正確に描くためには、じつは他者との関係をこそもっと描かねばならないということに気づいてほしいと思います。
「POP(ポップさんとポップちゃん)」に登場する公園の砂場の、延々と砂山を作り続けるポップさんと主人公との関係を描いたパートは秀逸だし、「わにの涙」に出てくる援交の相手の男性キャラ(と二人の会話)もリアリティを感じさせてとてもよいものです。作品集のところどころに、そうした魅力的なキャラが顔を出すのですが、断片のままで終わっているところがじつに惜しいと感じました。
 感覚だけで勝負しようとせず、小説としての構成や構造により自覚的になって、「作り込む」作業に挑んでみる。それができれば、その先に作家デビューが見えてくるかもしれません。
 
 打って変わって、西城俊介氏『勝利の男神』は理知的な文体が非常によい、どこか筒井康隆を思わせる奇想スポーツ小説です。物語は二子玉川(らしき)駅を降りたサラリーマン風の主人公が多摩川河川敷で少年野球の練習をながめてからマンションに帰宅するまでの描写から始まるのですが、的確でスムーズな文章がその情景を心地よく読み手の脳裏に届けます。この作者も20代半ばとはとても思えないこなれた文章の書き手です。
 このサラリーマン風主人公はじつは「スポーツ競技の勝敗をつかさどる勝利の神様」で、日々担当する試合の勝敗に腐心しているというのが話のミソです(笑)。マンションには勝利の女神も同居しており、男神の采配ぶりに異を唱えます。やがては任された重要な試合で主人公の男神がどう試合をコントロールするのかという見せ場がやってくるというストーリーです。
 文章にも話の土台作りにもその展開にも特段の破綻はないのですが、ぼくが読みながら感じたのは、このアイディアは短篇のネタではないかということでした。物語上、試合の実況がある程度必要なのはわかりますが、それはほどほどにして(映像ならよいが、文章で細々と追うのはややしんどいので)、長篇としては、神様同士の葛藤をもっと描くなり人間たちとのからみをもっと強く描くなりの工夫が必要だったのではないでしょうか。
 また、試合の結果が結局は神の采配に左右されるということでは、「人間たちの努力は所詮無駄なのか?」との疑念が読み手に生じ、物語に必要な切迫感が失われかねません。神の采配と思わせておいて、じつは人間同士の戦いの結果だった、神様は無用(もしくは無力)だった(笑)、というようなある種のどんでん返しの工夫も必要だったかもしれません。
 この文章力があれば、西城氏はアイディア次第でいろいろな話が書けそうです。長篇としての膨らませ方に意を払い、理知的な文体と若さを武器に、現実に立脚したさらなる奇想にチャレンジしてほしいと思いました。
 
 受賞作にするかどうかを最後の最後まで悩んだ作品が、三好崇之氏『復讐するはマレにあり』です。三好氏も20代前半の現役大学生で、作品の舞台は東京国立市にある(一橋大学をモデルにした)京橋大学、主人公もその大学の二回生という設定。長らく大学生が主人公の小説で現在の若者の生活と意見を知りたいと願っていたぼくのような人間には、この作品はまさにどんぴしゃりでした。ちなみに小説の出だしはこうです。
 
 つい数分前から、カレシガとかモトカノガとか、僕には到底理解の及ばない言葉が、パタパタと耳の周りを飛び交い始めていた。
 むんずと引っ捕まえて、ティッシュペーパーにくるんで、そのままゴミ箱にリリースしてやろうかとも思った。けれどもそれは叶わない。なんとなれば、こいつらはカイコガやヤママユガと違って、鼓膜の振動でしか、その存在を捉えることができないからだ。
 
 大学近くの居酒屋での単なるクラスの飲み会なのですが、まわりに飛び交っている「カレシが」「元カノが」は、彼女のいない童貞である主人公の「僕」にとっては忌むべき不快語なのです(笑)。酒席で孤立する「僕」はそのうち童貞であることをまわりにからかわれ、酒を飲みすぎてトイレに駆け込みます。そこまでが、いわばプロローグ。
 先を期待して読むと、続くパートでは、いつのまにか一人称が「俺」になっており、「俺」の恋愛にまつわるエピソードが綴られます。つまり、この「俺」は冒頭の「僕」とは別の学生であり、この作品は、非リアの「僕」とリア充の「俺」それぞれのエピソードが交互に語られ、やがてそれらがひとつに収斂していく物語であるということが判明するのです。ちなみにタイトルの「マレ」は「僕」の名前「希典(まれすけ)」からとられています(タイトルが「復讐するは我にあり」のもじりであることは言うまでもありません)。
 なかなか凝った仕掛けの小説で、実際に、伏線の張り方やエピソードのつなげ方など、よく考えられています。しかし、読んでいたぼく自身は、やや拍子抜けしました。
 というのは、出だしの童貞であるがゆえの「僕」の観察と思索とやせがまんぶりを綴る文体が、現代のある種の大学生を描いているように思えて面白く、それがその後の展開によってどう変化するのか(あるいはしないのか)を期待したのですが、「非リアとリア充」なるいわば既成概念で物語の自由を縛ってしまったところが、なんとも惜しいと思ったのです。苦しくても最後まで「僕」の一人称文体のみで勝負してくれたら、とてつもなく魅力的な小説になったはずなのにと残念に思いました。
 冷静になって読み返すと、タイトルの「復讐」に相当するエピソードが抜け落ちているようだし、「僕」や「俺」の恋愛の対象となる女子大生たちも、主人公たちに比べると影が薄く感じたのも事実でした。
 それでも、新しい大学生小説を生み出すべく書かれた意欲と気概、才気にあふれた作品であったことはたしかです。
 大学生小説には、森見登美彦や、本新人賞の先輩である万城目学らに傑作があり、それらを超える作品を新たに生み出すのは口で言うほど簡単な作業ではないでしょう。しかし、そろそろ現在の大学生や、社会に出る寸前の20代前半の若者を等身大の視点・文体で生き生きと描いた小説を読んでみたいものです。そんなまだ見ぬ作品が登場したとき、出版界にも新たな息吹がもたらされるものと夢想しています。
 
 今回取り上げた応募作の作者は、期せずして20代前半から半ばの年齢でした。バラエティに富むこれらの作品がすべて20代の若者によって書かれていたというところに、ぼくは面白みを感じます。第16回受賞者で現在活躍している小嶋陽太郎も20代半ばです。近い将来、もしかするとこの年代から次の出版界を担う作家が続々と輩出するのではないかとの期待(妄想?)を抱きつつ、同時にまた、出版界には年齢制限などなく、出版人およびエージェントとしてはひたすら面白い作品の登場を待ち望んでいるということをお伝えして、第19回の講評とします。



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