第27回ボイルドエッグズ新人賞・結果発表
2024年5月10日

第27回ボイルドエッグズ新人賞
該当作なし


選考過程
1 第27回ボイルドエッグズ新人賞には、総数65作品のエントリーがありました。☞ 第27回ボイルドエッグズ新人賞エントリー作品
2 慎重な検討の結果、最終的に、今回は該当作なしとなりました。


第27回ボイルドエッグズ新人賞講評/村上達朗

 前回に続き、今回も残念な結果でした。応募数はふえたものの、これはと読み手をうならせる作品は減っていました。傾向としては、クドカンの大ヒット・ドラマ「不適切にもほどがある!」にあやかったわけではないと思いますが、昭和懐古の作品が多く、また万城目学が(ついに!)直木賞を受賞した影響か、奇想・不思議系の作品も目につきました。
 しかし、新人賞に応募する場合、こうした流行や話題には注意が必要です。昭和ものやタイムスリップものが流行っているなら、応募者はむしろそれらを避けねばなりません。二番煎じととられるのが関の山だからです。万城目学が注目を浴びているなら、そこからもなるべく距離を置かねばなりません。万城目学は万城目学であって、余人には代えがたい独自性と作風の才能だからです。万城目学のジャンルは万城目学に任せ、近づかないことです。
 この講評ではつねづね書いていることですが、作家は作者である以前に、一読者なのですから、自分が書いているものが、書き手を離れて読者としてどう見えるか、その視点を忘れないことが大事です。昨今のブームに乗っかっていると見えたら、やめることです。かりに「昨今のブーム」を知らないとしたら、それはそれで作家として問題があるので、小説を書く以前に、世間に目を向ける必要があります。
 誰かの作品に似ていると気づいたら、これもいったん立ち止まるべきです。立ち止まった上で、(どの作家にも似ていない独創的な作品を目指すなどとは夢にも思わずに)、自分なりの工夫ができるか考えてみることです。人間はひとりひとり違うように、どんなに似ていても、どこかに自分なりの味が必ずあるはずだからです。その味は自分ではすぐにはわからないと思います。その味に気づくためにも、つねに作者でなく、読者の視点に立って自作をながめてみる習慣をつけることが肝要だと思います。
 
 二、三、気になった作品について講評します。
 まず、桐原夕一氏『木棉花の咲く頃に』は、二〇〇〇年ごろの日本企業の中国工場を舞台にした自伝的(?)作品でした。文章は飾りがなく読みやすく、かつて企業戦士と呼ばれた時代の会社員たちの物語です。といって、ぎらぎらした、いかにもな人物たちが出てくることはなく、あくまでも等身大の当時の日本人たちの日常が描かれているところに好感を抱きました。当時の海外勤務の会社員の日常生活って、きっとこんなだったんだろうなと思わせるリアルな筆致です。どこか懐かしい感じのする中国大陸の素朴な情景も、文章と人物たちのやりとりから立ち上ってきます。ただ、物語としては、主人公がまったく動かないので起伏に乏しく、またその主人公をふくめた人物たちのメンタリティが、いまでは古く感じられて、読者受けしないだろうと思いました。当時の生活者の記録として価値があると思う一方で、新人賞受賞作とするには、小説の見せ方になんらかの工夫が必要ではないかと感じました。
 
 天野橋立氏『田園デジタルアワー1986』は、以前に応募のあった作品の改稿です。80年代半ばの琵琶湖周辺にある高校のパソコン部を舞台にした青春物語で、こちらも自伝的作品。パソコン黎明期の、コンピュータ・オタク(ギーク)たちの群像劇です。前回は「田園」の描写が希薄なこととラストの展開が調子よすぎるところを指摘しました。改稿では、冒頭から「田園」描写に力を注ぎ、ラストの展開も都合のよい成功話でなくドタバタ劇に変更しています。文章は平易、誠実、女性キャラが書き割りのようで弱いと感じられた点を除けば、甘酸っぱい青春ものとして過不足ない仕上がりになったと思います。問題はこれを新人賞の観点からみたときに、どうかということでした。デジタル世界に突如生成AIが現れた現代からすると、ここで描かれている世界にはいつのまにか深い断絶ができてしまったように感じられるのです。この80年代のデジタルアワーに、共感をともなった郷愁を覚える読者はいまでは少ないのではないか。物語が時代の変化に敏感である必要は必ずしもありませんが、新人の作品にはそうした観点も要求されるということを述べておきたいと思います。
 
 澵井宏彰氏『尖閣からのボトルレター』はタイトルどおり、シーカヤックで尖閣諸島の無人島に置かれた手紙入りのボトルを探しにいくという、風変わりな物語です。自然の描写と登場人物たちのせりふまわしが素晴らしく、比喩表現もふくめて村上春樹風の作品でした。いやむしろ、村上春樹の奇想にアウトドアのうんちくをプラスした作風と言ったほうが適切かもしれません。物語も、誰もいないはずの尖閣諸島に置かれたボトルレターに、どうやって返事を書けたのか、という村上春樹風の謎めいた設定。ただ、どうにもよくわからなかったのが、この「ボトルレター」でした。ボトルレターとはふつう、海岸などに打ち上げられた宛先不明の「ボトルに入っていた手紙」(message in a bottle)のことでしょう。でも、この話ではボトルレターが尖閣諸島の無人島にあり、そのボトルレターと文通していた人物がいるというのです。どうやら、このボトルレターとは、海岸に打ち上げられた、いわゆる「ボトルに入っていた手紙」ではないようなのです。そのあたりの仕組み、設定の説明がないので、尖閣諸島にそれを探しに行くという登場人物たちの動機も腑に落ちず、むりやり作り出した感が最後までつきまといました。ないものねだりかもしれませんが、ボトルレターにまつわる村上春樹風の謎めいた設定をやめ、シーカヤックでの冒険と恋模様にフォーカスしたストレートなアウトドア小説になっていたならと、文章がよいだけに残念に思った次第です。

 第27回の講評は以上とします。気落ちしている方もいると思いますが、この講評がすこしでもみなさんの挑戦の背中を押せればと願います。次回、大型新人の登場を心待ちにしています。

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