医者の卵のかえらない日々
坪田侑也
第4回 水無月、休無月(やすみなつき)
2023.07.03
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六月二日 散髪
 髪を切った。髪の伸びるスピードが早い方で(こう書くとなんだか「呪いの人形」感がありますね)、かつ前髪が長いとバレーボールをするときに邪魔になるので、散髪にはだいたい二カ月ごと行っている。いや、いま改めて思ったけど、二カ月ごとって別に特別短いスパンじゃないか。わからない。他人と比べたことないし。でもまあ「髪伸びるの早いですねえ」とたしかに今日美容師の人に言われたので、きっとそうなんだろうと判断して、先に進もう。
「美容院での会話に困る」などと言う手合いがよくいるが、僕はといえば「会話をしない」派の人間である。基本、寝ている。小さい頃から通っている店なので、気を遣うことはない。相手の美容師の人は気にしているかもしれないけど(ちなみに小さい頃から通っているが、担当とかは特になくて、前回と違う人に切ってもらったりもする。それでも僕は寝る)。でもこれは実は仕方なくて、散髪のときって必ず眼鏡を外さなくてはならず、視力が奪われてしまって、目のやり場がないのだ。裸眼の視力は〇・一以下なので、雑誌もスマホも当然見えない。目の前はぼやけた世界で、鏡に映る自分の姿さえ朧げだ。そうなるともう目を瞑るほかなく、慢性的な睡眠不足のせいで目を瞑った途端、寝てしまう。起きたときには、短くなった髪がぼんやり鏡に映っている。
 友人の一人に、美容院では積極的に会話をする、という奴がいる。そいつは必ず「なぜあなたは美容師になったのですか」と聞くらしい。最高だ。めちゃくちゃ面白い答えが返ってきそうだ。小説にも生きるかもしれない。
 でも僕にはできない。視界がぼやけた状態でそんな質問できるはずがない。
 
六月六日 パソコン
 ZOOMでの授業を三時間以上受けていたら(半分以上寝ていた)、パソコンの充電が十五%を切った。電源に繋がずZOOMを垂れ流していたわけで、まあ当然だ。ただそんな僕のパソコンは、数カ月前から「修理サービス推奨」と表示されるようになっていた。バッテリーの劣化らしい。中三の夏に、それまで貯金していたお年玉をばちんと使って買ったMacBook Air 2017で、いま他の同級生が持っているものと比べると、デカいし、重いし、分厚い。指紋認証でロックを解除する機能ももちろんない。でも僕のMacは、背面のリンゴマークが光る。これがなかなか、いかす。
 
六月九日 試験
 高校までと違って、大学の試験は朝一番にあるわけじゃない。だいたい十三時からとかが多く、今日の消化器内科学の試験なんて十六時半からだった。復習する時間が増えるのはいいのだけど、その分、疲れてしまう。試験が始まる頃には眠気も最高潮に達していて、さらにマークシート形式だったからなおさら集中力は続かず、試験中何度か数分ぼんやりしてしまった。試験終わったらどっか寄って帰ろうかな、とか考えて。でも実際、試験が終わった日の帰りほど楽しいものはない。
 それで帰り道、心身ともにへとへとだったけど、池袋の無印良品に寄って靴下を買った。こんな生活必需品の買い物でも楽しい。ついでに三省堂書店の漫画コーナーも覗いてみた。そうしたら、読みたかった漫画の新刊だらけ。買い忘れていた作品もかごに入れ、しめておよそ五千円。以下内訳。葦原大介『ワールドトリガー』26巻、藤本タツキ『チェンソーマン』14巻、とよ田みのる『これ描いて死ね』3巻、沙村広明『波よ聞いてくれ』10巻、河野別荘地『足が早いイワシと私』、田島列島『みちかとまり』1巻。
 へとへとだけど、うきうき。
 
六月十二日 打ち合わせ
 今シーズン最高の湿気(自分体感比)の中、新刊の打ち合わせのため某出版社へ。ゲラを見せてもらって、出版を実感する。その後、タイトルをどうしようかという話になり、しかしなかなかまとまらず、考え過ぎてもうなにがいいのかわからないような状態にもなったので、次回に持ち越しとなった。六月は試験勉強の合間、タイトルのことでずっと唸ることになりそうだ。
 打ち合わせの中の会話で、一つだけ心残りがあった。最後、装丁の話題になった流れで、編集の方に「好みの装丁はありますか」と聞かれた。しかしとっさに答えられなかった。なにかあったはず、これは保存用も買いたいとまで思った装丁が、と頭をフル回転させたのだが、結局浮かばなかった。思い出せたものの中で悪くないと思った一つを口にして、その話は終わってしまった。帰り道にようやく思い当たったので、ここに書いておきます。恩田陸『歩道橋シネマ』(新潮社)です。いわゆるジャケ買いをした記憶がある。
 夜、先週金曜日に買った漫画、『みちかとまり』の1巻を読んだ。著者は、『水は海に向かって流れる』や『子供はわかってあげない』の田島列島さん。大好きな漫画家だ。田島さんは、脱力感のあるユーモアと人の弱さや罪の切実な描写が絡み合い、でも最後はやっぱりユーモアで温かく包み込む、そんな愛らしい作品を描かれる方だ、と思っている。今度の『みちかとまり』もそういう予想を抱いて、というのも帯や表紙を見るかぎり、小学生が主人公の夏休みの物語らしいから、なにげなく読み始めたのだが、まさかの内容に強烈さに度肝を抜かれた。こんな不気味な作品も書くんだ、と驚いた。でも、作品の不気味さは面白さに直結しているし、くすりとさせるユーモアは今作でも随所に散りばめられていて、どんどん読ませられる。傑作の予感。2巻は十二月刊行らしいが、続きが待ちきれないです。

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著者プロフィール

坪田侑也(つぼた・ゆうや)
2002年東京都生まれ。現在、都内の私立大学医学部在学。2018年、中学3年生のときに書いた『探偵はぼっちじゃない』で第21回ボイルドエッグズ新人賞を受賞。『探偵はぼっちじゃない』は2019年、KADOKAWAより単行本として刊行された。2022年、角川文庫。2023年5月、第2作となる長篇を脱稿した。

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