ぼくの小説作法
……・ときどきサンドイッチ作り・……
大石大
第6回 小説のテーマはなくてもいい
2023.09.18

 前回のエッセイでも触れたとおり、八月に母校の高校で講演を行ってきた。
 生徒や一般市民、およそ三十人を前に、高校時代に読んだ小説のこと、小説家になるまでの経緯、ふだんどのようにして小説の執筆を行っているかなどについて、一時間ほど話をしてきた。
 後日、生徒たちからの感想文をいただいたのだが、その中で「小説のテーマについての話が意外だった」という趣旨のコメントを見つけたので、今回は小説のテーマにまつわる話をしようと思う(ここで使われるテーマという言葉の意味は、『作品を通して読者に伝えたいメッセージ』くらいに捉えてください)。
 
 講演の中で、一作の小説を書き上げるまでの過程を話した。
 僕の場合、まず最初に作品の設定を思いつき、次に、その設定が最大限生きるようなストーリー作り、キャラクター作りの二つを同時並行で練り上げていく。そして一番最後に、この作品に合致する小説のテーマや、読者に伝えたいメッセージとは何かを考える。
 たとえばデビュー作の『シャガクに訊け!』の執筆は、「社会学部の先生が、学生の悩みを社会学の知識で解決する話」という発想が浮かんだところからスタートし、次いでその設定をもとにキャラクターとストーリー作りに取りかかった。先生が優秀な人だと面白みがないから、ふだんはだらしない人間にすることでギャップを持たせ、先生のダメっぷりに突っ込みを入れる学生を主人公にしよう、とキャラ設定を決め、ストーリーは「悩み相談→解決」の繰り返しだけだとあまりにも単調なので、後半にひとつスケールの大きな話を用意して、その話の中に前半で先生に悩み相談を持ちかけてきた人たちを再登場させることで長編としての統一感を持たせよう、と決めた。そして物語のテーマは、「なぜ我々は勉強しなければならないのか」とした。この問いの答えとして、前々から思うところがあり、ちょうどこの作品の内容にフィットしそうなので、作品のテーマにすることにしたのだ。
 今の話の中で、最後にテーマを考える、という点を意外に思うかもしれない。
 僕の場合、単に「面白い話が書きたい」という動機のみで小説を書いており、小説を通して世に問わなければならない何かがあるわけではない。ただ、これは小説家に限らず誰しも同じだと思うのだけど、日々さまざまな経験をしたり、見聞を広めていったりする中で、人間の生き方や社会問題について、その人なりのオリジナルの考えというものが自然と育まれていくはずだ。もし今書こうとしている小説の中に、自分なりの考えや問題意識を反映させることで物語がより面白くなりそうであれば、それを作品のテーマとして設定している。だから、作品によってはテーマというものを特に意識しないまま執筆を進めていく場合もある。
 自分の考えを伝えるために小説を書くのではなく、もし作品の中に自分の思いを乗せることで作品がより輝きを増すようであれば、それを小説のテーマとして設定するのである。
 
 ……という話をしたのである。
 人の小説を読んでいると、たまに「作者はこのメッセージを伝えたいがためにこの小説を書いたんだな」という、書き手の意図を露骨に感じることがある。ただ、メッセージ性があまりにも強すぎたり、やたらと説教くさかったりすると、登場人物が話したり考えたりしている場面でも、登場人物を操っている作者の顔が浮かんできて興ざめしてしまい、「そんなにも伝えたいことがはっきりしてるなら小説なんて書かずに投書しろ!」と文句を言いたくなることがある。小説が、作者の主張を伝えるための道具に成り下がっているように感じてしまうのだ。
 とはいえ、僕も昔はテーマ性を前面に押し出した小説を書こうとしていた時期があった。
 当時は「自分が抱える鬱屈を小説という形で昇華するのだ!」と意気込んでいたのだが、いざそのような動機に基づいて話を書こうとすると、どんな物語にすればいいのかさっぱり見当がつかず、なんの成果も生み出せない時期が続いた。
 考えを変えるきっかけのひとつになったのは、ある本格ミステリ作家のエッセイを読んだことだった。
 その作家は、トリックを思いつくところから執筆をスタートさせる、と語っていた。次いで、そのトリックを成立させるためのストーリーやキャラクター設定を考えて、最後にそのトリックやストーリーから必然的に導き出されるテーマを決める、と語っていた。
 テーマを一番最後に考える、というのが当時の僕にとっては意外だった。テーマというものは、作品を作る上での大前提であり、このテーマを表現するために作品があるのかと思っていた。だが、この作家の場合は、トリックを成立させることを執筆の最重要課題と考えていて、テーマは物語の内容から自然と決まっていくものなのだと捉えているようだった。
 そのエッセイを読んだあたりから、僕も考え方を徐々に変えていった。自分の鬱屈なんてものはもうどうでもいいから、単純に誰かが読んで「面白い」と思える話を目指そう。自己表現のための執筆、自分のための小説ではなくて、読者のための小説を書こうと切り替えたら、少しずつ小説のアイディアが浮かんでくるようになっていった。
 作品に自分の思いを込めることは、小説を面白くするための手段であり、決して小説を書く目的ではない。そう思って執筆に取りかかる方が、よりすぐれた作品になるはずだし、結果的には自分なりの考えを作品に盛り込んでいくことができるのではないか、と思っている。


著者プロフィール

大石大(おおいし・だい)
1984年秋田県生まれ。法政大学社会学部卒業。『シャガクに訊け!』で第22回ボイルドエッグズ新人賞を受賞(2019年2月1日発表)。受賞作は光文社より2019年10月刊行された。2020年、短篇「バビップとケーブブ」が「小説宝石」12月号(光文社)に掲載。2021年5月、単行本第2作『いつものBarで、失恋の謎解きを』を双葉社より刊行。2022年5月、単行本第3作『死神を祀る』を双葉社より刊行。短篇「シェルター」が「小説宝石」7月号(光文社)に掲載。短篇「危険業務手当」が「小説宝石」8・9月合併号に掲載。2022年10月、『シャガクに訊け!』が文庫化、光文社文庫より刊行。2023年6月20日、光文社より新作『校庭の迷える大人たち』刊行。

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