医者の卵のかえらない日々
坪田侑也
第6回 試される大地で試される
2023.09.04
1

八月五日 帰京
 東日本医科大学総合体育大会(東医体)が終わって、帰ってきた。開催地は埼玉で、遠くまで遠征に行っていたわけではないのだけど、東医体というお祭りのような行事から日常に戻ってみると、とてつもない達成感と疲労感があった。またすぐ戻りたいなあ、とも思う。
 とはいえひとまず東医体は終わり、八月は部の活動はオフだ。練習はない。その代わり、別の予定がいろいろ詰まっているので、今後の日記の展開を明かす上でも、その予定について書いておこう。
 中旬から月末まで、北海道に行きます。最初の二日は利尻、それから二週間弱は稚内です。利尻の方は三月の山形以来の一人旅、稚内は大学の実習だ。看護学部や薬学部の学生と合同で、地域の医療や健康問題について調査する。地元の人々と関わりながらその地域を深く調べることになるから、この経験をもとにいつか稚内を小説の舞台に出すことができるかもしれない、とかひそかに目論んでいる。それにインタビューや調査の手法は、小説の取材にも直結して生きてくるだろう。準備や他の実習メンバーとの関係構築(ほとんど初対面なんです)が目下大変だが。
 ということで、今月の日記は特に後半、忙しさから、ちょっと薄くなるかもしれません。でもなるべく、少しでもいいので日々の雑感を綴っていけたらと思うので、何卒。
 
八月七日 東京
 稚内の実習の打ち合わせで弊学病院の会議室に行った。会議室は十階だったから、エレベーターホールの広い窓から、新宿のビル群が一望できる。綿飴をちぎって放ったような雲が強烈な日差しの中にいくつも浮かんでいて、そのずっと遠くに、青みがかった山陰がぼんやり見えた。実家は一軒家で、普段高層階に行く機会は滅多にないから忘れがちだけど、関東平野もどこかに終わりがあって、山が控えている、東京も山に囲まれているのだ、と思い出させられた。「山が見える街」を旅行先の景色として認識している東京育ちの僕は、こんな景色を見るだけで、軽く動揺する。
 
八月九日 ペペロンチーノ
 両親が旅行に出かけた。行き先は奇しくも北海道で、僕が稚内に旅立つ来週月曜に、ちょうど入れ違いで帰京するという。
 唐突に一人暮らしのような生活になった。一般的な実家暮らしの男子大学生として家事全般には慣れていないけど、でも苦には思わないたちだったから、一人で気ままに過ごすことができるだろう。というか気ままに過ごしてやると意気込む。外食したり、家で酒を飲みながら映画を見たり。最高だ。
 とはいえ東医体や後に控える稚内実習旅行で懐事情に不安を抱える身としては、なるべく出費は避けたい。朝昼夜の三食のうち、外食は一食までと決めた。その中でも昼食は基本家で済ませよう。
 ということで初日の今日は、昼にペペロンチーノを作った。この前同じように親がいなかった日に明太パスタを作って、それが大成功したから、今日もパスタである。パスタの才があるのかもしれない、と思ってすらいた。
 パスタの才はあっても経験が少ないから、わからないことは多い。まずわからないのが一人分のパスタの量だ。いや正確にいうと一人分というか、自分が食べたい量のパスタが乾麺にするとどれくらいなのかがわからない。一般的な一人分なら、ネット検索すれば出てくるが、こちらは食べ盛りの男子学生なのだ。できたらたらふく食いたい。結局乏しい経験から考えて、一束半を沸騰したお湯に入れる。パスタを茹でるときに必要な塩の量もよくわからない。よくわからないから、適当にぱっぱと振っておく。同時にフライパンでソースを作っていく。オリーブオイル、ニンニク、鷹の爪。これも量はわからない(レシピの分量は茹でているパスタの量が違うので、当てにならない)。わからないときは多めだ。乏しい経験で得た、僕の料理哲学である。冷蔵庫に大量にレタスが余っていたから、それも炒める。サラダチキンもあったから、ほぐして炒める。茹で上がったパスタにソースを絡める。洗い物が面倒だから、皿には盛らない。食卓にフライパンごと運ぶ。
 見た目は素晴らしい。最高に美味しそうだ。麦茶も用意して、いざ食す。
 一口。味がしない。二口。本当に味がしない。びっくりした。パスタそのものの小麦の味しかしない。見た目が良かっただけに混乱し、焦ってしまう。焦ってしまって、さっき戸棚で見つけたペペロンチーノのパスタソースなるものをかける。二、三周かけてこれで大丈夫だろうと安堵する。しかしそこで気がついた。パッケージには「茹でたパスタに大さじ二杯」。大さじ二? いま僕は間違いなく、大さじ二十はかけたぞ。
 恐る恐る食べてみた。まず襲ってきたのは味ではなく、辛さだった。麦茶を一気飲みする。もう一口食べてみる。今度は味がわかった。でもこれはペペロンチーノの味じゃない。油の味。適当な表現は一つしか思い浮かばない。まるでこれ、ガソリンスタンドを食べているみたいだ。
 麦茶を何度も飲み干しながら、頑張って食べる。たらふく食べたいなあ、とか思って、茹ですぎた自分を恨む。不味いパスタ大盛りほど、最悪なものはない。
 やっとの思いで完食する。気分は悪いが、満腹にはなった。そのことがまた腹立たしい。
 油に塗れたフライパンとフォークを見て、僕はため息をつく。

1 2 次へ


著者プロフィール

坪田侑也(つぼた・ゆうや)
2002年東京都生まれ。現在、都内の私立大学医学部在学。2018年、中学3年生のときに書いた『探偵はぼっちじゃない』で第21回ボイルドエッグズ新人賞を受賞。『探偵はぼっちじゃない』は2019年、KADOKAWAより単行本として刊行された。2022年、角川文庫。2023年5月、第2作となる長篇を脱稿した。出版社も決まり、現在ゲラ作業中。

☞ Amazon > 坪田侑也『探偵はぼっちじゃない』(角川文庫)

Copyright (c) 2023 Yuya Tsubota, Boiled Eggs Ltd. All rights reserved.  Since 1999.01.01