ぼくの小説作法
……・ときどきサンドイッチ作り・……
大石大
第8回 知識×想像力
2023.11.20

 一年ほど前、市の図書館を訪れた際に、ふだんは入ることのないレファレンス室に立ち寄ってみた。
 室内には、大量の事典がずらりと並んでいた。「温泉事典」や、「茶席の禅語事典」、「日本の怪異事典」など(記憶を頼りに書いているので、題名は正確なものではありません。このあとで登場する事典も同様です)、この世にはさまざまな事典が存在するのだなと驚きながら書架をながめていると、その中に「右翼事典」という、他の事典を圧倒するほど分厚い一冊を見つけた。
 いったいどんなことが書かれているのかと気になって手に取り、適当に開いた最初のページに、「統一教会」という項目を見つけた。組織の成り立ちについてくわしく説明をした上で、他国では旧統一教会に対する規制が厳しくなり、布教活動が制限される中、日本だけが堂々と活動できている理由について、「自民党との癒着があるからに他ならない」という趣旨の指摘がはっきりとなされていた。
 ちょうどこの時期は元首相の殺人事件があった直後で、連日、旧統一教会が自民党の議員たちとつながっている事実が報道されていた。行きすぎた高額献金を行う宗教団体が政権与党と深い関わりを築いている実態に、当時の僕は大きなショックを受けたのだが、どうやらこの件は、事典にも載るほどの明確な事実だったらしい。自分がいかにものを知らないかを思い知らされた気分だった。
「右翼事典」をしまい、引き続き書架をながめていると、今度は「天敵活用大事典」という、これまたとてつもなく分厚い事典を見つけた。
 タイトルを見た時点では、いったいこれがなんの事典なのかまったく見当がつかなかったのだが、読んでみたところ、これはどうやら、農業従事者向けの事典のようだった。農作物が害虫に食い荒らされないために、害虫の天敵となる虫を、カラー写真を載せて紹介し、いかにして農作物を守っていくかのアドバイスがされていた。
 自分の人生にはなんの関係もないけれど、世の中にはこのような情報を切実に欲している人もいるのだな、と感じ、すぐに、これらの情報を駆使して育てた野菜や果物を日々食べているのだから、「自分の人生にはなんの関係もない」というのは大きな間違いだ、と気がついた。
 事典をしまい、あらためて大量の書物が陳列された書架を見わたした。
 世の中にはたくさんの知識が存在していて、その中の多くが自分の生活につながっているのだ、と思うと、なんだか途方もない思いにかられそうになる。その一方で、この事実は、自分の仕事と照らし合わせると、非常に心強いことなのではないか、とも思えてきた。
 過去、社会学や心理学など、既存の知識を生かした作品を書いてきた。執筆のために資料を調べるのは面倒ではあるけれど、調べた内容を作品に取り入れることで、すべてを想像力に頼らなくても小説を書くことができる、という安心感を与えてくれたし、知識と想像力を組み合わせることで、さまざまな方向性の作品を描くことができるのかもしれない、という手応えを覚えることもできた。
 そして、どうやらこの世にはとてつもなく膨大な量の知識が存在するらしい。
 さまざまな種類の事典が並ぶ書架を前にして、この世には、まだ誰も作品に昇華させていない知識が山のようにあることを実感した。それらを頼りにしていけば、書くべき題材が見つからない、という事態に陥る心配はないのかもしれない、と勇気づけられた。
 さらに、それから半年後、「とてつもなく膨大」なのは知識だけではない、ということに気づかされた。
 古本屋で、「官能小説用語事典」という事典を見つけた。
 これは、過去のありとあらゆる官能小説に登場する隠語を調べ上げ、意味と用例を紹介するという、作り上げるまでの手間を想像するだけで気が遠くなりそうになる事典だった。この手の表現は苦手なので、ややげんなりしながら目を通していたのだが(苦手なら手に取るなよ、という話なのだが)、編集後記に興味深いことが書かれていた。
 そこには、官能小説でさまざまな隠語が使われるようになった経緯が記されていた。
 戦前の日本は検閲が厳しく、少しでも過激な表現があると発禁処分を受ける恐れがあったため、官能小説作家たちは直接的な言葉を避け、婉曲的に、しかし確実に意図が伝わるような表現をそれぞれ生み出さざるを得なくなった。しかしそのことが逆に新たな語彙を次々と生み出すことになり、官能小説をより豊かなものにしていったのだそうだ。官能小説は作家と警察の二人三脚によって発展していった、と、皮肉交じりに指摘されてもいた。その結果、隠語だけを集めた事典ができるほど、多様な表現を生み出すことになったらしい。
 この文章を読んだときに、人間の想像力の奥深さを実感させられた。
 そして、前年に図書館の事典コーナーの前で抱いた手応えを思い出した。
 この世にはとてつもなく膨大な知識が存在して、人間には無限大の想像力が備わっている。それらを掛け合わせれば、表現の可能性には果てがないのかもしれない。今後、何を書けばいいかわからない、と一時的には悩むこともあるかもしれないけれど、考え続けていれば必ず書くべき物語を見つけ出すことができる、という確信を得ることができた。
 現在、これまで手がけてきた作品が一段落し、次に書くべき物語をなかなか思いつけずにいる。アイディアはいくつか浮かんでくるのだが、「これだ!」と自信を持てるほどのものはまだなく、同じ場所で延々と足踏みを続けるかのような実りのない日々を過ごしている。
 ただ、それでも懲りずに足を動かし続けていれば、いつかは足が前に進んでいくはずだ。かつて抱いた確信をよりどころにしながら、次作のアイディアを練り続けている。


著者プロフィール

大石大(おおいし・だい)
1984年秋田県生まれ。法政大学社会学部卒業。『シャガクに訊け!』で第22回ボイルドエッグズ新人賞を受賞(2019年2月1日発表)。受賞作は光文社より2019年10月刊行された。2020年、短篇「バビップとケーブブ」が「小説宝石」12月号(光文社)に掲載。2021年5月、単行本第2作『いつものBarで、失恋の謎解きを』を双葉社より刊行。2022年5月、単行本第3作『死神を祀る』を双葉社より刊行。短篇「シェルター」が「小説宝石」7月号(光文社)に掲載。短篇「危険業務手当」が「小説宝石」8・9月合併号に掲載。2022年10月、『シャガクに訊け!』が文庫化、光文社文庫より刊行。2023年6月20日、光文社より新作『校庭の迷える大人たち』刊行。

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