医者の卵のかえらない日々
坪田侑也
第8回 十月、失せ物、出がたし
2023.11.06
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十月二日 手探り
 新作を書くうえでちょっと調べたいことがあって、弊学のメディアセンターに行った。膨大な医学書を前に途方が暮れるような気分だったが、なにを知りたいのか改めて頭の中を整理してから、資料を探す。小説を書き出す前に下調べをした経験がいままでない(中学生の頃にその真似事みたいなことはしていた記憶はあるけど)ので、暗闇の中歩くような、手探り感がある。でも、とりあえずは楽しむことを意識して続けていこうと思う。
 そういえばメディアセンターに向かう途中、下校する小学生たちに出くわした。それを見て、もう下校するような時間か、メディアに来るの予定より遅くなっちゃったな、とか考えていたのだけれど、小学生数人がわーいとばかりに近くの交番に入っていったから驚いた。通報か? 不審者でも近くにいたのか? まさか俺か? とか思って、交番を見ると、中で初老の警官と楽しそうに喋っている。なんだかすごい。こんなことあるんだ。僕は小学生時分に、警察官と仲良くなった記憶なんてない。どういうきっかけで仲良くなるんだろう。
 
十月六日 肌ざみいでございまさあね
 朝夕がすっかり肌寒い。先週までの猛烈な残暑が信じられないくらいだが、ここ数年を思い出してみるとそんな季節の変わり方は毎年のことで当たり前で、「秋がないから、四季じゃなくてもう二季だよな」なんていう冗談も、もう陳腐に聞こえるようになってきた。
 ただ昼間は日差しが強いから、今日僕は長袖シャツに短パン、という格好で過ごしていた。この服装が一年で一番好きだ。ずっとこの格好ができる気候だったらいい。楽だし、お洒落な感じがするし、アメリカ西海岸の気分にもなれる。日が落ちて寒くなったら、バックパックから薄手のパーカーを取り出して羽織り、海沿いの道を歩く。明朝のサーフィンのことを考えながら。そんな具合だ。西海岸、行ったことがないけど。アメリカすら行ったことないけど。サーフィンもしたことないけど。
 
十月九日 理解
 今日いちにち、うっすらと体調が悪かった。身体的な体調よりも主に気分の方が停滞気味で、昼過ぎにバイトから帰ってきてから、なにもやる気が起きず布団にくるまって居眠りしたり、だらだらネットやYouTubeを見たりして過ごしていた。本当は大学の課題で、明日までに作らないといけないスライドがあったのだけれど、この日記を書いている現時点でも全然終わっていない。明日の午前中頑張れ、俺。
 数年前だったら、こういう不調に見舞われたとき、原因がわからずいらいらして、さらに気分が落ち込むような悪循環に繋がっていたのだが、今日はなんというか自分を俯瞰するような心持ちで「ああ、昨日いちにち出掛けていたからその疲れと、先週の睡眠不足と、なにより寒さのせいだな」と思うことができた。自分自身に対する理解度が上がっている。十代ではわからなかった。二十一歳にして、自らの身体のことがぼんやりと摑めてきているのだ。
 しかしまだわからないのは、こういう不調の対処法である。本を読んだらいいのか、映画を観たらいいのか、またはそういうエンタメを摂取するような行為って疲れるから、大人しく早く寝た方がいいのか。はたまた散歩か。その辺はまだわからない。今後わかってくるんだろう、と先の自分に期待している。

十月十二日 金木犀
 唐突に金木犀の匂いがした。家の近所でも、大学のキャンパスでも。まるで示し合わせたみたいに同時に、香った。

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著者プロフィール

坪田侑也(つぼた・ゆうや)
2002年東京都生まれ。現在、都内の私立大学医学部在学。2018年、中学3年生のときに書いた『探偵はぼっちじゃない』で第21回ボイルドエッグズ新人賞を受賞。『探偵はぼっちじゃない』は2019年、KADOKAWAより単行本として刊行された。2022年、角川文庫。2023年5月、第2作となる長篇を脱稿。この第2作は『八秒で跳べ』として、2024年2月1日、文藝春秋より刊行される。

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