ぼくの小説作法
……・ときどきサンドイッチ作り・……
大石大
第9回 タイトルは難しい
2023.12.18

 前回のエッセイで、図書館で見つけた変わった事典の話をしたが、その流れでもう一冊取り上げたいと思う。
 これは事典のコーナーではなく、一般書の棚で見つけたのだが、『忍者学大全』という、とんでもなく分厚い本が並んでいた。中を覗くと、忍術書の読み解き方、さまざまな忍術の紹介、忍者を題材にした小説や漫画、戦国期や江戸期、さらには現代忍者の実像まで、とにかく忍者に関するあらゆることを書き記した一冊だった。
 今まで生きていて忍者に関心を抱いたことはただの一度もないのだが、この本には妙に惹かれてしまった。真っ赤な装丁と、凶器としても使えそうな大きさ・重さを誇るこの書籍は、一緒に並ぶほかの本を圧倒するほどの存在感を放っていた。定価は税込みでおよそ8,000円。高いな! と最初は思ったのだが、この一冊で忍者のすべてがわかるのであれば、むしろ安いのではないか、という気もしてくる。
 何より、『忍者学大全』というタイトルがいい。「この一冊に忍者のありとあらゆる知識を詰め込んだ」という、著者・出版社の自負が感じられる。
 以前、二十年ほど前から新書やビジネス書のタイトルがどんどん長くなっていった、と指摘する記事を読んだことがある。ベストセラーになった本を例に挙げると、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』、『これからの「正義」の話をしよう』、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』などがある。読者にアピールするための戦略なのだろうし、一定の効果はあったのだろうと思う一方で、長文のタイトルが増えれば増えるほど、逆にシンプルなタイトルの潔さが際立ってくる。
 これは特に岩波新書と中公新書が顕著で、たとえば岩波新書だと『昭和天皇』、『独ソ戦』、『トラウマ』、中公新書だと『応仁の乱』、『タイの歴史』、『SDGs』のような、もうちょっと頭を使ったらどうなのかと苦言を呈したくなるくらい、なんのひねりもないタイトルが多い。だが、これがいいのだ。シンプルなタイトルからは、気をてらったことをしなくても読者に支持してもらえるはずだという、レーベル側の自信を感じる。僕たち読者も、この『昭和天皇』を読めば昭和天皇のすべてがわかるに違いない、という安心感を抱いて本を手に取ることができる。
 この、出版社と読者のコミュニケーションは、両新書が長い時間をかけて積み重ねてきた実績があるからこそ成立する。もし新興のレーベルが同じことをやったとしても、たぶん読者は見向きもしないはずだ。
 小説にも同じことが言える。
 何年か前に、五木寛之の『親鸞』という、親鸞の生涯を題材にした小説を読んだことがあるが、仮に僕がまったく同じ内容の小説を書いたとしても、このタイトルで出版することは許されないのではないかと思う。「親鸞」というタイトルは、著者が五木寛之だからこそ成立する。あの五木寛之が親鸞の生涯を書いたのなら読んでみたい、と多くの読者に思わせるだけの実績を積み重ねてきたということなのだろう。
 僕もこうなりたい。
 売れたい、とか、たくさんの読者に支持されたい、とか、そういった願いとはまったく別の事情で、僕も岩波・中公新書や五木寛之のような、余計なひねりのないタイトルをつけられるようになりたいと思う。
 理由は簡単、タイトルを考えるのが苦手なのだ。
 短編の場合はわりとすんなり浮かぶのだが、長編や、連作短編全体の(つまり書籍の)タイトルとなると、さっぱり思いつかなくなる。これまで発表した作品には、編集者がすべて考えてくれて、僕は一文字も関わっていないものすらあるのだ(以前ネットで読者の感想を読んでいた際、『タイトルが、本書のコンセプトを明確に示しているのがすばらしい』と褒めているのを見て、なんだか後ろめたくなったことがある)。
 これはタイトルを考える能力が欠如していることへの言い訳なので話半分で読んでほしいのだが、小説を書く才能と、タイトルを思いつく才能はまったくの別物ではないか、と思えてならない。すべての小説家がいいタイトルを思いつけるとは限らないのではないか。むしろ、いいタイトルを編み出すのは編集者のほうが向いている気がする。タイトルは作品の一部ではあるけれど、それだけではなく、本を売り出すためのアピール要素という側面が大きい。本を書くプロの小説家ではなく、本を売るプロである編集者にタイトルを考えてもらったほうが売り上げに結びつくのではないだろうか。
 ただ、そんな僕も、とうとう会心のタイトルを思いついた。
 先日書き終えた連作短編の最終話がそれに当たるのだが、タイトルがひらめいた瞬間、心の中で快哉を叫び、興奮のあまり、ノートにメモしたタイトルをボールペンで何重にもぐるぐる巻きにした。おそらく、このタイトルを目にした者はみなクスリと笑ってくれる(特にミステリー好きの読者は喜んでくれると思う)はずだし、単に奇をてらっただけではなく、作品の内容と照らし合わせても、このタイトルでなければならない必然性がちゃんとある、と思っている。
 連作自体は、編集者と話し合った末、一部の短編を別の話に差し替えることになったため、脱稿はもう少し先のことになりそうだ。そのため連作のタイトルに関する話もまだしていないのだが、個人的にはぜひこの最終話のタイトルを総タイトルにしたいと願っている。僕の望むタイトルで刊行され、書店で見かけた読者がクスリと笑ってくれるところを想像しつつ、原稿が完成するまでもうひと踏ん張りしているところだ。


著者プロフィール

大石大(おおいし・だい)
1984年秋田県生まれ。法政大学社会学部卒業。『シャガクに訊け!』で第22回ボイルドエッグズ新人賞を受賞(2019年2月1日発表)。受賞作は光文社より2019年10月刊行された。2020年、短篇「バビップとケーブブ」が「小説宝石」12月号(光文社)に掲載。2021年5月、単行本第2作『いつものBarで、失恋の謎解きを』を双葉社より刊行。2022年5月、単行本第3作『死神を祀る』を双葉社より刊行。短篇「シェルター」が「小説宝石」7月号(光文社)に掲載。短篇「危険業務手当」が「小説宝石」8・9月合併号に掲載。2022年10月、『シャガクに訊け!』が文庫化、光文社文庫より刊行。2023年6月20日、光文社より新作『校庭の迷える大人たち』刊行。

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