医者の卵のかえらない日々
坪田侑也
第9回 少年は老い易いのか、学も成り難いのか
2023.12.04
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十一月一日 ビックカメラ
 先月失くしたAirPodsのケースを買いに、新宿のビックカメラに出かけた。友人からはAmazonで三千円で売られている非純正品(というか偽物)の存在も教えてもらっていたが、悩んだ末、正規品を買うことにした。値段は五倍くらい違うが、もし偽物を買ったら使うたびに少しだけ嫌な気持ちがしそうだったからだ。
 手続きを済ませ商品の準備ができるのを待っているとき、店内に流れるCMソングがやけに耳についた。短い間隔で、ひっきりなしに再生される。それも、僕の知っているビックカメラの曲ではない。あの「不思議な不思議な池袋、東が西武で西東武」という曲じゃないのだ。そのとき流れていたのは、よく歌詞の聞き取れない、でもやはりどうやら池袋について歌っている曲だった。調べてみると、今年の夏にリニューアルされたばかりの新曲らしい。歌詞を追いながら聞くと、なるほど、池袋を通る路線を歌っているのだ。八路線通っていることを歌ったあと、「山手、湘南、埼京、東武、西武、丸ノ内、有楽町、副都心線」と早口で並べ立てる。ネットではラップ調と称されていた。
 これがひどく耳に残った。帰ってきてからも、何度も歌ってしまった。「山手、湘南、埼京、東武、西武……」。絶対どこかで噛んでしまうから、何度もチャレンジする。母親にうるさい、変な曲歌うな、と言われる。
 
十一月四日 東大駒場
 京王井の頭線駒場東大前駅で背筋をぴんと張って下りる。我が物顔で改札を抜ける。慣れたように駒場キャンパス方面の階段を下る。しかし正門を抜けて、いくつもの立て看板に出迎えられたじろいだとき、あるいは本郷キャンパスの安田講堂に似た建物を目にして駒場にもあるんだと驚いたとき(あとで調べたら旧一高の本館らしい)、こいつは東大生でないと即座に看破されたことだろう。結局友人と二人して、すげえなあ、新鮮だなあ、と写真を撮りまくった。
 さて今日なぜ東大に来たかというと、とあるシンポジウムを聴講するためだった。日本英語学会主催の公開シンポジウムで、僕も友人も英語の言語学的な側面に興味があるわけではなかったのだが、しかし翻訳家の柴田元幸さんが登壇されるということで聞きに行きたい、となったのだ。友人は柴田元幸さんと村上春樹さんの対談集が好きで、僕は柴田元幸さんの訳すポール・オースターの作品が好きである。加えて僕はこのところ、柴田さんのエッセイ『ケンブリッジ・サーカス』を読んでいた。
 名前と所属する大学名を受付で記入して、講義室に入る。座席はほとんど埋まっていた。老若男女、留学生らしい外国人もいる。シンポジウムのテーマは、単語「you」を多面的に論じる、というものだった。「you」には、「あなた」という意味もあれば、一般の人々を示す総称的な意味合いもある。そんな多義的な「you」を構文、英語史、辞書学、英日翻訳といったさまざまな観点から味わってみよう、というのがシンポジウムの主旨だった。
 専門用語ばかりでまったくわからなかったらどうしよう、と友人と危惧していたが、そんなことはなかった。非常にわかりやすく、興味深いお話ばかりで楽しかった。
 もちろん、僕らにとってのシンポジウムの目玉は柴田元幸さんの英日翻訳における「you」についてのお話だった。これがすごくエキサイティングだった。ちょうどいま読んでいるオースターの『幽霊たち』が例に引かれて嬉しかったし、英米の文学の違いや翻訳の裏話も面白かった。それに普段医学の授業を受けている身からしたら、これが文学の授業かという感慨も覚えた。文学部に入っていたら、こういう授業を毎日受けていたのか、と思わず夢想してしまう。
 興味深い話をいくつも聞いて満足した僕たちは、秋の駒場を散歩して、またパシャパシャと写真を撮った。
 
十一月六日 少年老い易く①
 久しぶりに中学時代の友人数人と会った。近況報告に始まり、懐かしい話をいろいろして、二軒目のラーメン店に入ったところでふと、友人の一人と「年をとったと思う瞬間はあるか」というような話になった。大学三年生がする会話じゃない気もするが、腰が痛いとか肩が上がらないとか、そういう典型的な身体の不調が答えにならない分、むしろいまだから面白いテーマかもしれない。
 話を持ち出した友人は「二日酔いがひどくなった」と言った。僕も二日酔いがひどいたちなので、心から同情する。もうお酒なんてラベルも見たくない、くらいの最悪の気分になる。酒を飲む自分の姿がまったく想像できなくなる。でも、回復したらそんな気分すっかり忘れてしまって、また機会があれば躊躇なく飲んでしまう。
 しかし、と友人の回答を改めて考えてみる。お酒を飲むようになってわずか一年でそんな変調に見舞われるだろうか。二十代前半の青年がそれほどの「老化」をするだろうか。例えば、二十歳になりたての頃はおっかなびっくり、きちんとチェイサーとして水も挟みながら酒を飲んでいて、でも最近は自分の許容範囲もわかっているから、特に気にせず飲む。その結果、翌日に持ち越すくらいの酒量になる。そういう飲み方の変化による影響、ということもありえそうだ。
 ただそこまで冷静になって考えたのは、この日記を書いているいまのことで、話していた瞬間は「たしかにそんなこともあるかも」と流した。そして少し悩んでから、僕は「YouTubeのおすすめ欄に動物の動画が増えた」と答えた。最近、犬、猫、カメ、ペンギン、ヤモリなどが出てくる、いわゆる癒し系の動画がよくサジェストされるのだ。小さい子どもの動画なんかもときどき混ざる。高校生の頃はそんな動画が出てくることは絶対になかった。YouTubeにエンタメではなく、癒しを求める頻度が増えた、ということなんだと思う。「老化」を広く、例えば「年をとったことによる変化のうちポジティブでないもの」と仮に定義するなら、動物の動画が増えたことはまさに「老化」じゃないだろうか。
 僕の答えを聞いた友人が納得してくれたかどうかは、よく覚えていない。

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著者プロフィール

坪田侑也(つぼた・ゆうや)
2002年東京都生まれ。現在、都内の私立大学医学部在学。2018年、中学3年生のときに書いた『探偵はぼっちじゃない』で第21回ボイルドエッグズ新人賞を受賞。『探偵はぼっちじゃない』は2019年、KADOKAWAより単行本として刊行された。2022年、角川文庫。2023年5月、第2作となる長篇を脱稿。この第2作は『八秒で跳べ』として、2024年2月、文藝春秋より刊行される。

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