医者の卵のかえらない日々
坪田侑也
第10回 暦の上ではディセンバー
2024.1.08
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十二月一日 菊池寛賞
 菊池寛賞のパーティに出席した。
 文壇の大偉人の名を関する賞のパーティ、アットマーク、ホテルオークラ。年明けに文藝春秋から新作が刊行される関係でご招待いただいた。文壇のパーティは以前にもボイルドエッグズの村上さんに連れられていくつか参加したが、コロナ禍以降は初めてだ。まえと同じように、ちゃんとビビる。周りにいるのはスーツ姿の年上の方々だし、中には文壇パーティらしく、着物姿の大作家の姿もあったりする。でも今日は、こそこそと、ただ豪勢な食事とお酒をいただきにきたわけじゃない。当然すべきは、新作と自分自身の営業活動。さらに別の目的もあった。贈呈式で、菊池寛賞を受賞された東野圭吾さんのスピーチを聞くことだ。
 小学生のころ、読書の対象が児童書から一般書に移ったとき、最初に触れた作家の一人だ(もうお一人は宮部みゆきさんです)。そこで失望していたら、僕はその後の人生で読書をすることはなかっただろうし、もちろん小説を書くこともなかっただろう。でも当然失望なんてするはずもなく、特にガリレオシリーズを貪るように読んだ。
 そんな東野圭吾さんのスピーチを目の前で聞くなんて、こんな貴重な機会はない。そもそもお姿を拝見できるだけでも、すごいことだ。居住まいを正し、マイクに向かう東野さんを網膜に焼き付けるようにじっと見つめた。
 ここから東野さんのスピーチの内容について描写してみようかと思ったのだけど、一度書いてみてどうにも上手く表現できなかったので割愛します。でもとにかく、偉大な作家は話も面白いのか、と驚いた。気づけば引き込まれていた。
 贈呈式が終わり、立食パーティに会は移った。さて、ここからは営業だ。文藝春秋の担当の方に連れられ、何人もの編集者や書店の方にご挨拶する。どっさり名刺をもらう。学生なもので、情けないことに、名刺入れすら持っていない。すぐにジャケットの内ポケットはパンパンになる。名刺入れ、早く買おう。でも今回、年齢の近い方や作家の方とお話しできたのはとても嬉しかった。
 ふと、自分がある長い列の最後尾にいることに気づく。担当の方に連れられて、そこにいた。列の先には、笑顔で談笑する東野圭吾さんが。全身から汗が噴き出した。スピーチを生で聞けただけで感激し、満足していたのに、まさか直接、お話し、するのか。順番を待つ間、列に並んでいる方にも担当の方はどんどん僕を紹介してくれる。ありがたい。とてもありがたいんですけど、えっと、東野さんとお話しする心の準備が。ああ、列がだんだん消えていく。あれ、ごっそり抜けた。前にいたのはグループだったのか。急に僕の番だ。
 目の前に現れる、大作家。現代日本文芸界の頂点。足が震えた。インナーが汗にまみれ、濡れ雑巾を纏っているようだ。
 そしてここで、この日の僕の記憶は途切れる。
 
十二月四日 冬の装い
 この時期、電車に乗ると、自分がいかに寒がりなのか痛感する(「寒がり」って字にすると「寒ぶり」に似てる)。僕みたいにニットセーターの上にダウンジャケットを重ねて、ぶくぶくに着膨れている人など全然見かけない。生地の薄そうなアウターとか、カーディガンを羽織っているだけとか、しまいにはパーカーだけなんて人もいて、信じられない思いがする。一億総暑がりだ。確かに電車内は暑いけど、でもドアが開くたびに寒いじゃん、と思う。新大久保とか高架の上にある駅だから寒いじゃん、目白とかホームが閑散としてるからなんか寒い気がするじゃん。しかし人々は平気そうな顔をしている。信じられない。
 
十二月六日 試験勉強
 試験前だ。「医学部って忙しい?」って人に聞かれるたびに「試験前くらいだよ」と答えているのだけど、いまがちょうどその「試験前」、一週間後に試験が迫っている。ただ、ようやく重い腰を上げて勉強を始めた体たらくで、ひどく焦っている。一方で再試験になっても別にいいか、くらいに考えてしまう自分もいる。
 試験勉強はもっぱらiPadを使う。授業の配布資料や学年で共有されるまとめノートはすべてPDF化されているので、それをダウンロードして、iPad上で書き込んだり線を引いたりしながら勉強するのだ。周りを見ても、これが一番オーソドックスな勉強法だと思う。熱心な人はさらに自分なりに試験対策の資料を作成したりするが、それもiPadのノートアプリで作っていることが多い。編集しやすく、またネットから画像を持ってきて貼り付けたりもできるのが利点。ずっと画面を見ることになるので視力が甚大なダメージを受けるのが欠点。勉強を終えてカフェを出ると、目がしょぼしょぼする。

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著者プロフィール

坪田侑也(つぼた・ゆうや)
2002年東京都生まれ。現在、都内の私立大学医学部在学。2018年、中学3年生のときに書いた『探偵はぼっちじゃない』で第21回ボイルドエッグズ新人賞を受賞。『探偵はぼっちじゃない』は2019年、KADOKAWAより単行本として刊行された。2022年、角川文庫。2023年5月、第2作となる長篇を脱稿。この第2作は『八秒で跳べ』として、2024年2月、文藝春秋より刊行される。

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