ぼくの小説作法
……・ときどきサンドイッチ作り・……
大石大
第11回 椅子難民の末路
2024.2.19

 昨年末から自民党の裏金問題が世間を騒がせているが、まさか2024年にもなって「秘書が勝手にやった」という類の言い訳が通用するとは思ってもみなかった。僕もこれからは彼らを見習って、作品をけなされたときは「エージェントが勝手に書き換えた」と言い返すことにしようと思う。
 逮捕されないとわかってから続々収支報告書への不記載額を発表し始めた政治家の中に、堀井学議員の名前があったのだが、久々に彼の姿をテレビで見たときに、「あれ?」と思った。
 堀井議員は元スピードスケート選手で、僕も現役時代の姿を見たことがあるのだが、そのころはスキンヘッドだったのに、今は髪の毛がふさふさになっていた。この人は同姓同名の別人なのか、単に好きで剃っていただけで髪を伸ばしただけなのか、それとも今さらカツラをかぶり始めたのだろうか……不思議に思い、ネットで調べてみた。
 すると、やはり堀井議員は最近カツラを着用し始めたらしく、新聞・雑誌のインタビュー記事や、本人のブログに、カツラを使うようになった心境が書かれていた。
 長年、薄毛がコンプレックスで、数年前にカツラをかぶろうと決意した。周囲はみな反対し、中には「頭がおかしくなったんじゃないか」と言う者までいたものの、思い切って購入に踏み切った。最初は他者の視線が怖く、家族の前でだけ身につけ、来客があったらあわてて外す日々が続いたのち、徐々に党の会合や国会の場にカツラ姿で出向くようになった。当初は不審者だと勘違いされて騒ぎになったりと苦労はあったものの、今ではカツラ姿も定着し、仲間とカツラの話題で盛り上がることもできるようになった。
 これからは堂々とカツラを着用して同じ立場の人たちを勇気づけていきたい、と堀井議員は語っていた。そしてブログでは、自身のことを二刀流ならぬ「二頭流代議士」と名乗っていたのだった。
 てっきりカツラというものは、薄毛が周囲にばれないために使うものだとばかり思っていた。でも、たしかに堀井議員のように、薄毛が周囲に(それどころか日本中に!)知れわたったあとで、やっぱり髪の毛がほしいと思い、カツラをかぶる人がいてもおかしくない。どうやらその場合は、薄毛の事実を隠すためにカツラをつける人たちとはまったく違う苦労を強いられるらしい。「最初は家族の前でだけ身につけ、来客があったらあわてて外す」のくだりを読んだときは思わず笑ってしまった。ふつうは、人前でカツラをつけ、家族の前でだけは素顔を見せるはずなのに。
 記事によると、病気で髪が抜けたためにウィッグをつけたことを悩んでいたが、堀井議員の姿を見て勇気が出た、という女性がいたらしい。僕も、カツラ生活を満喫し、「夢を実現した!」とまで語る堀井議員の様子を知るうちに、だんだん彼を応援したくなってきた。これからも、カツラ生活の楽しさを発信して、同じ境遇の人たちを元気づけてほしいな、と、勝手ながら願っている。あともうひとつ、カツラ代の出どころが裏金ではないことも心より願っている。
 薄毛で悩みながらも、カツラにしたときの周囲の反応が怖くて尻込みしている人は、きっとほかにもいるのだろう。カツラにまつわる悩みといえば、ばれたときの恐怖、というイメージしかなかったけど、こういうタイプの苦悩もあったのだ、と思い知らされた。
 こういう、可視化されていない悩みにスポットライトを当てた小説を書けないだろうか、と思う。声に出す人はほとんどいないものの、この世の中にはたしかに存在する、当事者にとっては深刻な悩みを題材に、多くの人に共感してもらえるような作品を書いてみたい。そのためにはもっと視野を広くしなければいけないし、より想像力を働かせなければならない。そう簡単なことではないだろう、と思う。
 もっとも、自分の中に「可視化されていない悩み」があれば、視野の広さも想像力もいらない。自分の正直な感情を、作品に表すだけでいいのだ。
 いま、僕は、「こんなことで悩んでいるのは世の中で僕ひとりなのではないか」と思っている悩みがある。だが、この悩みを描いたとしても、面白い話にはなりそうにないし、多くの人が共感してくれるとも思えない。
 先月の当欄で、デスクチェアにまつわる悩みを記した。どれだけ買い換えても、腰が痛くなったり尻が痛くなったりと、まともな椅子に巡り会えないことを嘆いた。そして、今度こそはのつもりで4万5千円の椅子を買い、原稿の締め切り直後に届くことになっていると記した。もう椅子の悩みからは解放されたい、と願い、納品を待った。
 願いは届かなかった。
 店で試したときは、たしかに座りやすかったはずなのだ。だが、家で座った瞬間、「またしくじった」という痛恨の思いが胸を突いた。座ってすぐに尻と太ももに違和感を覚えた。しばらく座り続けていると、違和感は痛みに変わり、椅子の上でじっとしていられなくなった。
 椅子の座面が高すぎる気がしたので、椅子の前に板を置き、その上に足を乗せると尻と太ももの負担が軽くなった。そこで、靴を履きながら椅子に座ればちょうどいいかもしれない、と思い、近くのスーパーに売られていた安物の靴を買ってきた(家具店ではちゃんと靴を脱いで試し座りしたはずなのに、どうしてこんなことになるのか、わけがわからない)。
 ところが家で履いてみると、足が窮屈だった。店頭で靴を試し履きして、ぴったりのサイズの靴を買ってきたはずなのに。泣きたくなった。もうすぐ四十になるというのに、僕は椅子も靴もまともに選ぶことができないのだ。
 それからしばらくの間、僕はサイズの合わない靴を履いて仕事をすることになった。靴を履いた直後は身体が楽になった気がしたが、結局、しばらく座っていると痛くて座っていられなくなる。たまに、奇跡的に身体と椅子が一体化し、いっさいの違和感を覚えることなく執筆に集中できるときがあるのだが、それも長くは続かない。
 今、僕は新品の椅子と、それまで使っていたダイニングチェア(こちらは尻と太ももの痛みは感じない代わりに腰が痛くなってくる。ちなみに新品の椅子は、腰の負担はまったくない)に交互に座りながら仕事をして、どちらの椅子にも耐えがたくなってきたら居間のソファーに移動することにしている。ソファーは、座り心地はいいのだが、どうしても気が抜けてしまい、思うように集中できないことが少なくない。
 リラックスして椅子に座る、という当たり前のことで、どうしてこれほど頭を悩ませなければならないのだろうか。椅子を変えるために靴を履いたり脱いだりを繰り返すたびに、こんなアホみたいなことをしているのは世界じゅう見渡しても自分だけなのではないかとやるせなくなってくる。今では、新品の椅子が目に入るたびに、窓の外に放り投げたい衝動にかられる。ここはマンションの四階だから、きっと派手にぶっ壊れるだろう。その光景を想像すると、少しだけ胸がすっとする。
 最近では、いっそのこと座るのをやめて、昇降式の机を買って立ったまま仕事をするのはどうだろう、と思い始めている。座る時間が長いと寿命が縮む、というデータもあるのだ。立ちっぱなしで仕事をすれば、腰の負担は減り、寿命が延び、椅子の悩みからも解放される。一石三鳥でいいかもしれない。


著者プロフィール

大石大(おおいし・だい)
1984年秋田県生まれ。法政大学社会学部卒業。『シャガクに訊け!』で第22回ボイルドエッグズ新人賞を受賞(2019年2月1日発表)。受賞作は光文社より2019年10月刊行された。2020年、短篇「バビップとケーブブ」が「小説宝石」12月号(光文社)に掲載。2021年5月、単行本第2作『いつものBarで、失恋の謎解きを』を双葉社より刊行。2022年5月、単行本第3作『死神を祀る』を双葉社より刊行。短篇「シェルター」が「小説宝石」7月号(光文社)に掲載。短篇「危険業務手当」が「小説宝石」8・9月合併号に掲載。2022年10月、『シャガクに訊け!』が文庫化、光文社文庫より刊行。2023年6月20日、光文社より新作『校庭の迷える大人たち』刊行。

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