医者の卵のかえらない日々
坪田侑也
第12回 はるか先の未来だと思ってた
2024.3.04

二月十日 発売日
『八秒で跳べ』の発売日だ。午前中、まずは先日取材を受けた「王様のブランチ」のオンエアがあったらしい。あったらしい、と書いたのは、僕は見ていないからだ。出演したブックコーナーが放送されていた時間、自分の部屋にこもっていた。リアルタイムで観るなんて、無理だ。あとで録画を再生してみたけれど、それも直視できなくて、薄目で見た。音量も「16」にした。うげえ、と何度も言ってしまった。いやありがたいんです、もちろん。こうしてテレビで取り上げてくださるなんて、こんなにありがたいことはない。ないんだけど、それとこれとは話が別というか。TVerで番組を見てくれた友人からは「いい子ぶってた」という感想をもらった。いい子だろ、俺いつも。
 さて、そんなこんなで午後。観たい映画のレイトショーがあったので、新宿に出かけた(観たのは『ブレイキング・ニュース』という香港映画)。上映開始まで少し時間があったので、紀伊國屋書店を覗いた。デビュー作『探偵はぼっちじゃない』のときも、発売日に覗きに行ったのは、ここ新宿の紀伊國屋だった。あのときは他の新刊に埋もれるように平積みされていて、すぐには見つけられなかった。しかし今回は特設コーナーまで作ってくださっている。エレベーター脇のいい位置だ。本当にありがとうございます。
 去年の夏頃(だったかな?)、発売が二〇二四年の二月になると聞いて、はるか先、遠い遠い未来だと思っていたのだが、今日こうして発売日を迎えたわけだ。はるか未来は、万事無事に生きていれば当然だけど、現在になるのである。そのことは感慨深く感じるけど、一方で過ぎ去っていった日々を思うと不安にもなってくる。はるか未来だと思っていることが、気づけば眼前にある恐怖。そうして歳をとっていくのかな、と思うと恐ろしい。
 まあなににせよ、新刊が出たわけである。五年ぶり。小説家としての再スタート。さて明日からまた原稿頑張るぞ。気張って書くぞ。
 と言いたいところなのだが、試験が来週に迫っている。
 
二月十二日 試験前
 試験が数日後に迫っていて、本来ならば一分一秒を惜しんで疾患の名前を覚え、基準値を覚え、治療法とレジメンに含まれる薬剤を覚えなければならないのだが、試験勉強中の常としてどうでもいい動画、最近でいえば「猫ミーム」を見て時間を浪費してしまっている。チピチピチャパチャパじゃないんだよ、まったく。なにが、ハッピーハピハッピーだ、ふざけるな、と莫大な時間が過ぎてから怒りが湧いてくる。いや猫は悪くない。悪いのは、くだらない動画を作っているどこかの誰かであり、それに夢中になってしまう僕であり、畢竟、人類が悪い。
 
二月十八日 オードリーのオールナイトニッポン
 東京ドームでオードリーのオールナイトニッポンのライブがあった。ラジオイベントとしては史上最大規模。チケットの倍率も高かったが、なんとか運よく当選することができて、現地参戦してきた。
 オードリーのオールナイトニッポンを聴き始めたのは、高二のころだから、だいたい四年ほど聴いている計算になる。十五年続いているラジオ番組の直近四年を聴いているだけだから、ヘビーリスナーとは言い難い。でもこの四年間、毎週土曜の夜を楽しみにしていた(実際はradikoのタイムフリーで聞くわけで、土曜夜にリアタイはしないんだけど)。そんなラジオの一大イベント。
 んー、いくらでもエモい方向に感想を書くことはできるんだけど(同じ番組を共有していた人たちと一堂に会している感慨、とか、オードリーのお二人の軌跡が胸に迫って、とか)、でも本当に率直に、ただただ正直にドームライブの感想を書けば、「面白かった」に尽きる。お二人のエピソードトークを聴きながらにやにやしたし、コーナーでは馬鹿みたいに笑った。ゲストでフワちゃんと星野源さんが出てきたときは、ぶち上がった。本当に面白く、楽しかった。
「二〇二四年二月十八日、東京ドームでライブやりやす」
 この一年、オードリーのオールナイトニッポンで幾度となく、オードリーの春日さんが言っていたことだ。すごく先のことで、まるで架空の予定のようにずっと聞こえていた。でもこうして当日はやってくるわけだ。実際に目の前でライブは行われるわけだ。
 そんな、新刊の発売日に感じたことと同じことを今夜も感じた。

二月二十三日 泥のように
 朝目覚めたら、昼の一時だった。昨夜ベッドに入ったのが二時ごろだったから、十一時間ほど寝ていたことになる。その間、一度も目覚めることなく、泥のように眠っていた。泥のように眠る、っていう表現、ありがちだけど好きだ。身体が極限まで弛緩し、ベッドや布団との境界が曖昧になり、世界に自分が溶けていくような感覚。本当に熟睡しているときって、たしかにそんな感じだ。
 どうしてこんなに寝ていたかというと、試験が昨日終わったのだ。三年生になって、これまでの試験をすべて合格点オーバー、オールクリアしている坪田侑也、またの名をミスターパーフェクト(誰も呼ばない)は、今回余裕をぶっこいて、極限まで勉強を始めないという無謀な策に、なんの覚悟もなく打って出てしまった。その結果もたらされたのは、試験対策があと一日遅かったらおそらく間に合わなかっただろう、という恐怖、それと極限まで削られた睡眠時間だった。ここ二日は、合わせて七時間も寝ていない。おかげでずっと、ぼんやりと頭が痛かった。
 でも試験が終わり、こうして半日近く寝て元気になった。ポケモンセンターに預けたモンスターボールを受付のお姉さんの笑顔とともに返してもらったときみたいに、または宿屋で「休む」を選択して、画面が暗転して明転して、でもパーティの何人かは棺桶のままで、そうか死んだ仲間は宿屋じゃ復活しない、教会に行かないきゃいけないのか、と気づいて、でも生きているパーティーメンバーのHPとMPは全回復しているときみたいに、元気になった。
 夜から予定があるので、家にいられる時間はそう長くはない。春休みにやりたいことを紙に書き出して(「ハイキュー!!」の映画を観る、NISAを始める、とか)、部活関係の連絡をいくつかして、本を少し読んだらもう家を出る時刻になった。

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著者プロフィール

坪田侑也(つぼた・ゆうや)
2002年東京都生まれ。現在、都内の私立大学医学部在学。2018年、中学3年生のときに書いた『探偵はぼっちじゃない』で第21回ボイルドエッグズ新人賞を受賞。『探偵はぼっちじゃない』は2019年、KADOKAWAより単行本として刊行された。2022年、角川文庫。2023年5月、第2作となる長篇を脱稿。この第2作は『八秒で跳べ』として、2024年2月、文藝春秋より刊行される。

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